メッセージ - 神を道具とする者達(使徒19:23-32)
礼拝説教メッセージ音声:神を道具とする者達(使徒19:23-32):右クリックで保存
韓国語通訳有
「諸君、よく知られているように、われわれが楽に暮らしているのは、この商売のおかげです。それなのに、諸君も見聞きしているように、あのパウロが、『人の手で造ったものなどは神ではない』などと言って、このエフェソだけではなく、ほとんどアシア〔州〕全域にわたって、大勢の人々を説き伏せ、誘惑してしまった。
これでは、私たちの仕事の評判が悪くなる恐れがあるばかりではなく、大いなる女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、全アシア、全世界が崇拝している女神のご威光さえも、消えてしまう恐れがあります」(使徒19:26,27)
アルテミス神殿の参拝方法は、この銀細工人たちが作っているような細工物を買い、それを神殿に奉納するという方法だったようである。
福音が伝えられて縮小してしまうような商売は、汚れた商売である。
この度騒動を起こした銀細工人達は、そのような礼拝システムが続く限り安泰だが、福音が広まり偶像礼拝する者がいなくなると、今までのように楽して儲ける事が出来なくなってしまうのだ。
何も価値を生み出さない、意味の無い物事に、あたかも大きな価値があるかのような幻想を抱かせたり、あるいは、実体の無い恐怖によって人々を束縛する事によって、人からお金や時間、労力を搾取するような仕組みもまた、偶像崇拝の特徴である。
現代日本も、そのように人々を恐怖させ搾取するシステムに気付かないうちに束縛され、閉塞感の内にあえいでいる者が多くいる。
終わりの時代にはそのような、人間の作ったシステムという「獣の像」を神とし、それに拝む事が強要されるものだが、あくまで天地を創られたまことの神を神とし、イエスキリストを主とする者には、最後まで守られる事が約束されている。
銀細工人たちに扇動された大勢の群集たちは「大いなるかな、エフェソ人のアルテミス」と叫んだ。
彼らの表向きの主張は、我らが神アルテミスが貶められている、それはけしからん、大いなるは我らエフェソ人の神アルテミスだ、というものだ。
しかし本心ではそんな神はどうでもよく、ラクしてこの世の富が儲けられるシステムを脅かすような、パウロが伝えている福音を掻き消したい、というのが本音だ。
めいめいがアルテミスという抽象的存在を、自分の欲望の隠れ蓑にし、その欲望がまかり通ることを叫びたいだけ。
だから、それを叫ぶ為に劇場に参加した群集は、なぜ集まったのかさえ知らず、ある者はこのことを叫び、ほかの者は別のことを叫んでいる状態だったのだ。
現代の教会においても、良く分からないけれど「アーメン」や「ハレルヤ」などのキリスト教用語をとりあえず叫んだり、「主よ主よ主よ主よ主よ・・・」と2時間も叫んでいれば何かもらえるかもと勘違いしている者も中にはいるが、エペソ人がアルテミスを欲望を満たす道具にしたように、それはまことの神を自分の欲望を満たすための道具にしているに過ぎない。
イエスは、主である。
イエス様は自分の欲望を満たすための道具でるのか、それとも、自分の人生を支配していただく「主」であるのか、日々意識していたい。