メッセージ - 神とその恵みの言葉に委ねます(使徒20:32-38)
礼拝説教メッセージ音声:神とその恵みの言葉に委ねます(使徒20:32-38):右クリックで保存
韓国語通訳有
救いとは徹底的に自己責任で、大切なこの人を天国に行かせるために、私が代わりに信じます、私が代わりに地獄に行きます、といった取引は一切出来ない。
救いは確かに自己責任ではあるのだが、私はあなたに伝えました、はい、あとはあなたの責任です、と、投げっ放しでいてはならず、伝えた者達のために心砕いてケアするべきである。
パウロは昼も夜も涙を流しながらエペソの人達のために心砕き、教え、ケアして来た。
しかしある日突然、エペソの人達にパウロとの今生の別れが、ある日突然訪れたように、私達にとってのパウロとも、いずれ別れの時が来る。
私達にとってパウロのような人、すなわち、私達に救いの道を教えてくれて、日々霊的に面倒を見てくれ、時には涙を流して訓戒してくれてきた人が、ある日突然いなくなっても、皆さんは御言葉にしっかり留まり続ける事が出来るだろうか。
パウロの願いは自分がいなくなった後もしっかりと御言葉に留まり続ける事であったように、皆さんにとってのパウロの願いも、そうである。
「そして今、私はあなたたちを、神とその恵みの言葉とに委ねます。この言葉には、あなたたちを建て上げ、すべての聖徒と共に、あなたたちに遺産を与える力があるのです。」(32節)
私達が、大切な人達に最終的にできる事とは、結局「神と恵みの言葉に委ねる」という事である。
自分にとって大切な人、子供、親、友人について、自分のものとして握り締めている手を離し、神とその恵みの言葉に委ねるなら、自分の支配から離れ、神様の支配に移る。
神と恵みの御言葉にしっかりと繋がるなら、その言葉はパウロといった人間よりもはるかに力があり、自身を立て上げ、遺産が与えられ、多くの実を結ぶことが出来るのだ。
実を結ぶ者・結ばない者の違いは、御言葉であるイエスさまに繋がっているか、いないかである。
留まっている者は多くの実を結ばせるが、留まっていない者は切り倒され、投げ捨てられ、火で焼かれてしまう。
御言葉がその人の内に留まっているのなら、何でも望みを申し出る事が出来、望みが叶えられ、喜びに満たされ、その喜びによって御父は栄光をお受けになるのだ。(ヨハネ15:1-8)
まことの言葉なるイエス様にしっかりとつながり、豊かな実を結ばせる皆さんでありますように。
イエスさまの名前によって祝福します!