メッセージ - 人知をはるかに超えたキリストの情熱的な愛(雅歌8:6-7)
人知をはるかに超えたキリストの情熱的な愛(雅歌8:6-7)
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週報/メッセージ(説教)概要
イエス様はあなたを愛している。よく聞く言葉であるが、どれほど、どのように愛しておられるのだろう。男女の愛が歌われる書・雅歌書から、”真の男女関係”である「キリストと私達」の愛の関係を見ていきたい。
『わたしを刻みつけてください。あなたの心(labe:心臓)に、印章として。あなたの腕に、印章として。愛は死のように強く、熱情は陰府のように酷い。火花を散らして燃える炎。』(雅歌8:6 新共同訳)
ここには女性の男性に対する願望が記されている。女性が男性の心臓に、彼の左腕でしっかり結びつけられたい、と願うのは自然だが、実はイエス様は、十字架の上で彼女が願った通りを全ての人に対し、して下さったのだ。女性は「わたしを刻みつけて下さい」と願っているが、主はその手に、足に、脇腹に、私達の身代わりに負って下さった傷を刻みつけて下さった。イエス様は、私達がまだ罪人であった時から、命がけのpassion(受難)をもって私達を救おうとし、十字架という実体を伴った行動によって、愛を表して下さったのだ。(ローマ5:8) 友のためにではなく、敵対していた罪人のために死んで下さる…それは、罪によって死んでいた私達が、彼にあって生きるため。神の愛はまさに人知を遥かに超えている。(エペソ3:16-21)
イエス様の受難は英語ではpassionというが、十字架の場面で、イエス様はありとあらゆる痛み、悲しみ、苦しみを経験され、そうして愛を示された。実に情熱的に、感情的に、そして実際的に。
十字架の場面で、人々はイエス様をあざけり、鞭を打ち、刺の冠を被せ、笑いものにした。そして言った。
もし神の御子なら、今すぐ十字架から降りて来い、メシヤならその圧倒的な力で自分を救え、と。人は思う。
これだけばかにされ、傷つけられていて、もしメシヤとして自分を救う力があるなら、すぐにでも十字架から降りてその者共を滅ぼしてしまうのが当然だ。それをしないという事は、そのパワーが無いのだ、だから、彼はメシヤではない、と当然のように思う。しかしあいにく、神の愛は人知を遥かに超えている、と書いてある。
彼は、全被造物を創られ、万物は彼に在って成り立っている(コロサイ1:15-17)。罵る彼らをたちまち滅ぼす力も、権威も持っていながら、敢えて抵抗せず、わざと自分を十字架の苦しみへ明け渡したのだ!
一体、何のために?! それは、私達を愛するゆえに。救うために。十字架につけろと叫び罵る彼らを愛し、彼ら(すなわち私達)が罪の中で滅んで欲しくないと願う故、身代わりとなって十字架の罰を受けたのだ。
イエス様が十字架につけられたのは、ちょうど過越祭の時期であるが、ユダヤ人は過越祭の時、雅歌書を朗読する。イエス様は激しい情熱をもって私達を封印のように腕に、心臓に刻みつけて下さったのだ。
イエス様は神であられるのに、人となって降りて来られた。それは罪と死とサタンの呪いから、あの十字架の上で私達を奪い返し、私達をあのお方の手の中へ、脇腹へ、心臓の中へと、封印のようにしっかりと刻みつけ、かくまうために。神の愛は優しく、そして激しく激情的で、強いのだ。
そしてその愛の強さは、死よりも、さばきよりも強い。『愛は大水も消すことができない、洪水もおぼれさせることができない。もし人がその家の財産をことごとく与えて、愛に換えようとするならば、いたくいやしめられるでしょう。』(雅歌8:7) かつてノアの時代、全世界は甚だ罪深かったゆえに洪水によって裁かれたが、神の愛と憐れみは、裁きに対して勝ち誇る。イエス様を信じてその愛の覆いの中に入った私達には、裁きはもう届かない。神の愛は、どんな財産をもってしても買う事は出来ない。ただ信仰によるのでなければ。
そして、このキリストの愛は、死よりも、よみよりも強い。『・・・わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。』(ローマ8:31-39)
『王はわたしをそのへや(奥の間)に連れて行かれた。わたしたちは、あなたによって喜び楽しみ、ぶどう酒にまさって、あなたの愛をほめたたえます。』(雅歌1:4) 愛する男女は、奥の部屋で愛の交歓をするものだが、キリストは十字架の上で、封じられていた奥の間へ通じる覆いを、破棄して下さった。
イエス様が息を引き取られた時、神殿の幕が真っ二つに裂け、それまで封じられていた最も聖なる場所への道が開かれ、天国への道が、イエス様の裂かれた御体を通して開通したのだ。そうまでして主は、私達にあらゆる良きものを提供して下さった。そうであるからには、私達も主の愛に対して熱心であるべきである。
キリストの人知を超えた十字架の愛の広さ、長さ、高さ、深さをますます理解できる皆さんでありますように!