メッセージ - 従順という要塞を打ち破る武器(詩篇18:30-36)
従順という要塞を打ち破る武器(詩篇18:30-36)
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18:30 この神こそ、その道は完全であり、主の言葉は「真実:ツァラフ」です。主はすべて寄り頼む者の盾です。
「真実」と訳された語ツァラフは、元々「金属等を溶かす、ためす、純粋にする」の意味である。
神の御言葉は、人がどれほど試したとしても、一切不純なものが出てこない、完全に純粋なものである。
銀が、土の炉で何度もためす内に、どんどん純化され、美しさと価値を増して行くように、私達も、私達という「土の炉」で御言葉をよく咀嚼し吟味して行くなら、御言葉は私達の内でどんどん光を放ちって行く。
そして神の目の前に、純粋さ、高価さを増して行く。
そのような人が宣言する御言葉には、剣のような鋭さと恐ろしさがあり、力と権威があり、そして、愛と憐れみがある。
御言葉を信じ、その通り行う時には、癒やしが起こり、物事の解決や必要の満たしが起こり、奇跡も起きる。
主の言葉こそが、たとえ世が滅んだとしても決して滅びることのない、永遠を耐えるものであり、その素晴らしさと尊さを知ったダビデは、以下のように続ける。
18:31 主のほかに、だれが神でしょうか。われらの神のほかに、だれが岩でしょうか。
まさにそうである。ひと度、良いものを味わってしまったなら、不純なものには戻れなくなってしまう。
この御方の完全な力と愛、憐れみに、ひと度ひたされてしまったなら、もはや、他に何かを頼りにする必要性を覚えることがなくなり、ただ主だけを求めるようになって行くのだ。
18:32 神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を安全にされました。
18:33 神はわたしの足をめじかの足のようにされ、わたしを高い所に安全に立たせ、
18:34 わたしの手を戦いに慣らされたので、わたしの腕は青銅の弓をもひくことができます。
これらの優れた力と武器は、御言葉に服従した人のものである。
2コリント10:4 わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、
10:5 神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、
10:6 そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。
この箇所に「服従」という言葉が繰り返し出てきたように、服従こそ、要塞をも破壊する力ある武器だ。
それは、神の知恵に逆らう者、すなわちサタンに対抗し、敵から来るあらゆる災いや呪いを打ち砕く。
この「服従」が完成した時、ダビデが言ったように、主が、その彼の足を雌鹿のようにし、彼の腕を青銅の弓を引くようにされる。
雌鹿は、岩山を難なく飛び跳ね登って、あっという間に高い所へ上って行くが、同じように、主は、主の御言葉に服従する人の人生を、いかなる岩場をもたやすく乗り越える力を与えて下さり、決して揺るがされない土台に立たせ、高い所へと導いて下さる。
青銅の弓を絞るには、かなりの力が要るばかりでなく、ターゲットに当てるコントロール力も必要である。
「罪」(ハマルティア)の元々の意味は「的外し」であるが、主に信頼するなら、青銅の弓を引けるほど力強くして下さるばかりでなく、的を外して来た罪の歩みを卒業させ、きれいに的を射抜くような、真実な道を歩ませて下さるのだ。
18:35 あなたはその救の盾をわたしに与え、あなたの右の手はわたしをささえ、あなたの助けはわたしを大いなる者とされました。
主を頼りとしている人の人生は、救いの盾を得ている状態であり、その盾はたとえ目で見えなくても、確実に主のささえがその人を守っているのだ。
主を頼りとしない人は、盾なしの、丸腰で人生を戦っているようなもので、ただ自分由来の資源だけで戦わなくてはならない。
18:36 あなたがわたしの歩む所を広くされたので、わたしの足はすべらなかったのです。
御言葉に従順して行くなら、その人生は、広い所へと導かれていく。
強い敵が跳梁跋扈している所では、堂々と歩けず、狭いところで縮こまっていなければならないが、日々、御言葉に服従し、その人が構築してしまった小さな要塞を日々、打ち破って行くなら、敵はどんどん制圧され、どんどん自由な領域が拡大して行くのだ。
御言葉を蓄え、従順という武器をもって、あらゆる敵に立ち向かい、勝利し、力も知恵も富も増し加わって行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!