メッセージ - 隷属して生きる「くせ」に勝利するために(出エジプト記3章)
主日礼拝
隷属して生きる「くせ」に勝利するために(出エジプト記3章)
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人は子供から大人へと成長していく過程で、色々な制限をかけられながら育って行く。あれをしなさい、これをしてはだめだ、と、周りから言われながら。時には心に傷を受けるほどの激しい言動を受けながら。
そうして自分の中に壁が構築されて行く。それは、無知な子供時代には、その人を防護するものであったかもしれないが、大人になってからその壁が健全に生きる事を阻む壁になってしまっている事がある。
大人になって家庭を持つにあたり、大胆に世界を駆け巡って、神様が用意して下さった祝福のあらゆる良いものを、自分の人生に取り入れ、それを家族や子供達に提供し、自分の家庭をますます富ませて行くのは健全な姿であるが、もし、構築された壁のために、主にあって進んで行くべき所に進めず、狭く貧しい「井の中の蛙」の状態で恐々として生きていかなくてはならないとするなら、それは除かれるべきものである。
エジプトで430年、奴隷として過ごして来たイスラエルの民は、まさにそういう状態だった。彼らは生まれた時から追い使う者の怒号や鞭の恐怖の下、隷属して生きる「くせ」がついてしまい、人生のために戦う事や、新しい未知の領域へ踏み込んで行く事を「するな」と言われて育ってしまった。これを、奴隷根性という。
天地を創造し、あの大空を創られ、全ての生き物に良いものを提供して下さった主は、天に属するお方。
健全で、気前良く、富んでおられ、スカッと晴れ渡った秋の大空よりも広くてすがすがしいお方である。
その主が仰せられた。『わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。』(出エジプト記3:7) 主がモーセに現れたのは、彼らを奴隷としてこき使うエジプトから救い出し、彼らを良い広い地、乳と蜜の流れる地、先祖アブラハムに約束して下さった地、邪悪なカナン人達が占拠してしまっている地に、導き上るためだった。
主は言われる。今、イスラエルの人々の叫びが届き、エジプト人が彼らを虐げるそのしえたげを見た、と。
そしてモーセに言われる。『さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう』(10節) モーセはエジプトで育ち、エジプトの威力を知っており、散々な目に遭って、逃げて来た。強烈な恐れという壁が、モーセの中にあり、そんなエジプトの王へと使わされていくなど、とんでもない、と思っていた。しかしモーセは、再びエジプトへと戻って行く。奴隷として苦しみ、その不健全な束縛の中にある人々を救い出すために、そして、パロと主にあって対決するために。
彼はどうして、彼の中の壁を打ち破って戻って行く事が出来たのだろう。その根拠は何か?
彼が戻って行くことができたまず第一の根拠は、「主が共におられる」というしるし故である。『神は言われた、「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。』(12節)
次に、全てのものを存在させ、存続させるお方が、彼を遣わされた故、である。『イスラエルの人々にこう言いなさい、「わたしは有る」という方が、わたしをあなた方の所へつかわされました、と。」(14節)
そして、その全存在の根源なるお方が、直々に手を延べ、エジプトを打って下さる故である(20節)。
私達も、私達を不当に奴隷にして来たサタン由来の「追い使う者」に、10の災いが降りかかるよう祈るのだ。
さらに主は、モーセに、奴隷として使われた430年分、溜まりに溜まった未払い賃金をごっそりと剥ぎ取らなければならない、と言って下さった(21-22節)。それらの期待ゆえ、モーセは行く事が出来たのである。
私達は、奴隷根性の怖じ気付いた霊を取り除いて下さい、と祈り、自らも追い出す「攻撃」をするべきだ。
主が約束して下さった御言葉を握り、祈りの中に込めて宣言し、その通り行うなら、いかに奴隷の性質が染み付いてしまった人でも、主は解放させてくださるのみならず、この時代のモーセとして用いて下さる。
私達も、この国にはびこる暗闇の勢力、男の子をナイルに投げ込んだエジプト由来の霊、自殺者を年間3万人も出させているこの国の空中の霊に、10の災いを宣言し、奴隷として苦しんでいる人々を解放するモーセのような働き人となる事を目指し、また、そのような指導者を、御言葉教育によって育てるべきだ。
人生を狭い所で縮こませる「壁」や、エジプトが強いてきた奴隷根性、主の働きを「できません」と言って縮こませる思考パターン、ケチケチ精神など、全て押し付けられて来た束縛を、拒否し、投げ捨てるのだ。
主にある健全ないのちを束縛する不安や恐れに、雹が降る災い、蝿にたかられる災い、蛙にまみれる災いや、その他、エジプトに主が降らせた10の災いが降り、へし折られ、紅海の海に沈んで、二度と来なくなるよう宣言するのだ。そして自分の家族や事業に対しては、祝福を宣言し、今の時代のモーセとして用いられていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!