メッセージ - ダビデが臣下の人々に、王のための執りを教えた詩篇(詩篇20篇)
ダビデが臣下の人々に、王のための執りを教えた詩篇(詩篇20篇)
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詩篇20 聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌
この詩はダビデが創って聖歌隊に歌わせた歌であるが、その内容は、臣下の人達に王であるダビデのための執り成しをさせる内容である。
すなわち、ダビデが主に助けられ、祝福されるように。主が、ダビデの願いと祈りを、聞き入れて下さいますように、と。
臣民が王のために祈るのは、まことに理に適った事である。
なぜなら、王が祝福される事はすなわちその国が祝福され、ひいては、臣民が祝福される事につながるからだ。
1節から5節まで「あなた」という言葉が何度も出て来るが、その「あなた」とは、臣民の目線で見たダビデ王である。
20:1 主が悩みの日にあなたに答え、ヤコブの神のみ名があなたを守られるように。
20:2 主が聖所から助けをあなたにおくり、シオンからあなたをささえ、
20:3 あなたのもろもろの供え物をみ心にとめ、あなたの燔祭をうけられるように。〔セラ
ここは、民の口からダビデを執り成す祈りであるが、現代の私達は、この箇所の「あなた」に、自分の教会の名前や指導者の名前を入れて祈る時、素晴らしい執り成しの祈りとなる。
20:4 主があなたの心の願いをゆるし、あなたのはかりごとを/ことごとく遂げさせられるように。
20:5 われらがあなたの勝利を喜びうたい、われらの神のみ名によって旗を揚げるように。主があなたの求めをすべて遂げさせられるように。
イエス様も言われた。
マタイ6:9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
6:10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
天の「御国(バシレイア)」とは、主の心のままの統治が行われる領域の事である。
御国を求める事は、すなわち、主の統治が成就することを求める事なのだ。
私達は自分の生活に、人生に、夫婦関係や親子関係に、主の統治が来るよう、祈るべきだ。
20:6 今わたしは知る、主はその油そそがれた者を助けられることを。主はその右の手による大いなる勝利をもって/その聖なる天から彼に答えられるであろう。
「油注がれた者」は、ヘブライ語でマシアハ(メシア)、それはギリシア語で「クリストス(キリスト)」に相当する語である。
イザヤ61:1 主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、
61:2 主の恵みの年と/われわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、
61:3 シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために/植えられた者ととなえられる。
これは、新約においてイエス様が会堂で教えられ(ルカ4:18-19)、そして「この日、この御言葉があなたの耳の中で成就した」(ルカ4:21原意)と言われた箇所である。
キリストの言葉が私達の耳の中に入るなら、この御言葉は私達の中でも成就し、キリストと同じわざを為していく事ができる。
なぜなら、キリストは私達教会のかしらであり、そのかしらにそそがれた油が、私達にも流れ滴って来るからである。
詩篇133:1 見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。
133:2 それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。
133:3 またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。
ここに出てくるアロンは大祭司であるが、私達の大祭司はキリストであり、そして私達もキリストに繋がるなら祭司であり、かしらなるキリストに注がれた油を私達も得る時、私達も油注がれた者としての働きをする。
すなわち、貧しい者に福音を宣べ伝える事を委ねられ、心痛む人を癒やし、捕われ人に放免を、縛られている者に解放を告げ、主の恵みの年と神の報復の日とを告げさせ、全ての悲しむ人を慰め、主の民の中の悲しむ人に喜びを与え、灰に代えて冠を、悲しみに代えて喜びの油を与え、憂いの心に代えて賛美の衣を与えさせるのである。
「こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために/植えられた者ととなえられる。」
まさにイザヤ61章で告げられている通りだ。
20:7 ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を「誇る(ザカール:覚える、記念とする)」。
20:8 彼らはかがみ、また倒れる。しかしわれらは起きて、まっすぐに立つ。
20:9 主よ、王に勝利をおさずけください。われらが呼ばわる時、われらにお答えください。
世の人は、戦車などの武力を誇り、それをもって支配しようとする。
しかし、あらゆる武器を造るのも、そしてそれを壊すのも、われらの神、主である。
ただ神の民がザカールする(覚え、記念とする)べきは、主の御名なのだ。
同じ言葉が、詩篇33篇にも記されている。
33:13 主は天から見おろされ、すべての人の子らを見、
33:14 そのおられる所から/地に住むすべての人をながめられる。
33:15 主はすべて彼らの心を造り、そのすべてのわざに心をとめられる。
33:16 王はその軍勢の多きによって救を得ない。勇士はその力の大いなるによって助けを得ない。
33:17 馬は勝利に頼みとならない。その大いなる力も人を助けることはできない。
33:18 見よ、主の目は主を恐れる者の上にあり、そのいつくしみを望む者の上にある。
33:19 これは主が彼らの魂を死から救い、ききんの時にも生きながらえさせるためである。
ここに書いてあるとおり、主は、全地をあまねく見渡し、一人一人を、その心までもご覧になられ、心が主に一つとなっている人を、探し求められる。
主は、多くの人々の中から、少年ダビデを見出した。彼がまだ羊飼いの少年で、誰にも見向きされない時から。
それは彼が、羊飼いの時から、彼の心が全く主と一つとなっていたからだ。
サウルと彼の配下の兵士たちは、ゴリヤテの装備や兵器、力強さに震えおののいたが、ダビデは主を恐れ、主を頼みとした故に、主に見出され、そして事実、彼が信じ、また口で宣言した通りに、主の陣営をなぶったゴリヤテの頭と胴体を切り離し、ペリシテ人の死体を野の獣のものとした。
主は全地を見渡し、このような者を探し求めておられる。
馬の力や戦車など世的な力を頼みとするのではなく、われらの神である主を頼みとし、不信仰の世において、ひときわ輝く神のわざを為す皆さんでありますように。イエス様のお名前によって祝福します!