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メッセージ - 詩篇23篇に隠された主の御名 - ジェホバ・ロイ、ジェホバ・イルエ(詩篇23:1)

詩篇23篇に隠された主の御名 - ジェホバ・ロイ、ジェホバ・イルエ(詩篇23:1)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 詩篇
執筆 : 
pastor 2018-10-19 7:40

詩篇23篇に隠された主の御名 - ジェホバ・ロイ、ジェホバ・イルエ(詩篇23:1)
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詩篇23篇は、ダビデが創った詩篇の中でも、珠玉のような詩篇として、キリスト教・ユダヤ教両者から愛されている。
一般の映画や文学でも多く引用され、教会に行った事が無い人でも詩篇23篇のフレーズを聞いた事がある人は多いだろう。
この詩篇23篇は、ダビデ自身の「主はどのようなお方であるのか」という信仰告白が詰まっていて、彼はこの23篇の中に、8種類の「主の呼び名」を秘めた。

聖書の中には多くの主の呼び名が出てくる。ジェホバ・イルエや、ジェホバ・シャンマ、ジェホバ・ニシなど。
それぞれ、主の呼び名はそれぞれの主のご性質をあらわしているが、詩篇23篇にダビデが秘めた主の御名の宝を、これから何度かに渡って掘り起こして行きたい。
なお、国や訳によっては「ジェホバ」が「アドナイ」または「ヤーウェ」に、また、たとえば「イルエ」が「エレ」または「ジレ」等と発音するが、いずれも、呼び名や発音が違うだけで、意味は同じである。

ダビデが真っ先に告白した主のご性質は、「主はわたしの牧者(ジェホバ・ロイ)であって、わたしには乏しいことがない。」(1節)であった。
詩篇23篇に真っ先に登場する主の呼び名は、ジェホバ・ロイ、すなわち「主はわたしの牧者」である。
「ロイ」には、羊を飼う、食べさせる、牧草地へ導く、保護する、一緒に伴う、などの意味が含まれている。

ダビデは少年の頃、父の羊を飼っていたので、羊の性質をよく知っている。
彼の人生で、彼自身が歩んできた道を振り返ってみると、主がいつも共におられた。
そしてその主について、彼が真っ先に表現したそのご性質は「羊飼い」である。

羊は愚かで弱く、羊飼いがいなければ、何もできない。
しかしながら、羊はいつでも羊飼いが守っている故に、全て、必要なものが備えられる。
豚には羊飼いは必要ないが、いつも自分の身を怪我し、無作為に汚れたものを食べている。
それに引き換え、羊はいつも羊飼いに導かれる故、新鮮な、良い牧草へと導かれ、良い水の所に導かれ、いつも良いものを得ている。

羊が安全に暮らすためには、力あるかないか、個性があるか無いかは関係ない。
ただ、羊飼いの声を聞き、その後について行くだけである。それでこそ、彼らは生きながらえる事ができる。
羊飼いがいないなら、いかに能力がある羊であっても、所詮は羊である。彼らは弱り果てる以外には無い。

ダビデは、主こそ、自分の「羊飼い」だと呼んだ。
彼は人生の中、色々な敵が立ちふさがった。色々な困難があった。
強大な敵が何度も立ちふさがったし、親しい人からの裏切りもあったが、ダビデは、その都度、主に避け、主を拠り所とした
自分自身の中から湧き出て来る罪という最大の敵に打ち負かされてしまった時も、躊躇なく主に帰り、自分の罪を告白した。
主に全てをうちあける事こそ、救いを引き出すために必須の手続きである。主は、そんなダビデの羊飼いとなってくださった。

「わたしには乏しいことがない。」(1節b)
この節後半には、さらに、「ジェホバ・イルエ」、すなわち「備え主」の御名が練り込められている。
この「ジェホバ・イルエ」の御名が登場する場面は、アブラハムがイサクを捧げる場面である(創世記22章)。

彼が主の命令によりイサクを捧げようとした、まさにその時、主は制止した。彼の主に対する従順が、行いによって証明されたのだ。
それで主は、イサクに代わる犠牲として、角をやぶにひっかけた羊を備え、アブラハムは羊を身代わりに捧げた。
それでアブラハムは、主が備えて下さった故に、そこをジェホバ・イルエと名付けた。

さて、ジェホバ・イルエの言葉は「主の山には備えあり」の言葉と共に「備え主」という意味として定着しているが、実は、ジェホバ・イルエの正しい意味は、別にある。
この言葉は、分解すると、「ジェホバ(主)+ラアー(見つめる)」、そして「ラアー」は未完成形なので、原意は「主はずっと見つめ続けておられる」であり、英語のKJVが正しい訳出をしている( In the mount of the LORD it shall be seen.)

アブラハムは、イサクを捧げた時、気づいたのだ。
主はずっと、自分の信仰が、このイサクを捧げるという「行い」によって「完成」されるのを、今か、今かとずっと見続けておられたのだ、と。
そういうわけで、ヤコブは次のように書いている。

ヤコブ2:21 わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。
2:22 あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、
2:23 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。
2:24 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。

アブラハムがジェホバ・イルエと名付けたモリヤの山には、後の時代、ソロモン神殿が建ち、バビロン捕囚の時に破壊された。
しかし主は、今なお、そこを見つめ続け、待っておられる。
アブラハムの子孫達が、茨の冠を頭にひっかけた「まことの小羊キリスト」を身代わりの犠牲として捧げるのを。

主はアブラハムが信仰の完成をするために必要な、イサクの身代わりとなる羊を備えて下さったように、私達が信仰の完成を成就するために、私達の身代わりとなってくださった、まことの小羊キリストを備えて下さった。
主はずっと私達を見続けておられ、そして私達の信仰が行いを通して完成するのを、待っておられるのだ。

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