メッセージ - 御業を行う為に徐々に勇気を与えて下さる主(出エジプト記7:1-8:19)
主日礼拝
御業を行う為に徐々に勇気を与えて下さる主(出エジプト記7:1-8:19)
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成田エクレシア礼拝 音声
主の民が、主の敵である不当な者達の下で奴隷状態になっている所を、主が開放させて下さる箇所が、出エジプト記である。主は現代の私達も、「世」というエジプトから、「サタン」というエジプトの王パロから、救い出して下さる。今回も、私達に奴隷を強いる者から、また、私達自身が、身につけてしまった奴隷根性や貧乏ぐせ、縮こまった考え、ケチケチ精神などからエクソダス(出エジプト)させて下さる主の導きを学びたい。
前回、モーセは弱さ故に主の言葉通り伝えられず、しるしも行えなかった。しかし主はパロの口を操作し、「しるしを行って見せよ」と言わせ、それで彼は主から命じられた通り、杖を蛇に変えるしるしをパロの前で行う事が出来た。まさに「主の上げ膳据え膳」によって、私達にも自信をつけさせて下さる主の恵みを見た。
ところで蛇といえばサタンを思い出すが、主のわざを示すしるしが、なぜ「蛇」なのか?主はサタンに活動許可を与える事も、尻尾をつかんで封じる事もできるのだが、それは私達・主に遣わされた働き人にも、与えられた権威である(マルコ16:18)。モーセが持っていたのは、羊飼いの杖であり、それは元来、羊を牧するためのものだが、それを手離して地に投げやると、蛇になる。私達が、羊達を正しく治める権威を行使せず、地に放り投げるなら、それは蛇となり、悪童達の野放し状態となって手がつけられなくなってしまうのだ。
子供達や部下達を、わがままな怠け状態に、罪をし放題の状態で放置し続けるなら、彼らの罪を満足させるための奴隷となって、家も組織も破綻し滅んでしまう。サタンを踏みつける事を躊躇したり、同調したり、見てみぬふりをして野放しにし続けるならは、蛇から良いようにされてしまうが、主は「蛇の尻尾を掴め」と言われる。そうであるからには、私達は主イエス・キリストの御名によって掴み、奴隷根性に勝利すべきだ。
パロはこれらを見たにもかかわらず、ますます心頑なになってしまうが、失敗ではない。さらなる主の御業を起こす引き金となるからだ。私達も主から示された通りに御言葉を発言し、しるしを行うべきである。それをしたなら、主が敵を「攻撃」してくださる。これ以降、主は、しもべモーセを通してエジプト攻撃へと転じる。
主がモーセを通して降される災いの内、最初の3つはモーセがアロンに命じる形で災いを降らせ、続く3つの災いはモーセが宣言すると起こり、その後の3つの災いは、モーセの手の杖で行わせている。
主はモーセに、御業を行う「自信」を徐々につけさせ、トレーニングしておられたのだ。私達にも同様である。
モーセはパロに警告を与える。主の民に礼拝をさせよ、さもないとナイルの川と水を打ち、血に変える、と。
しかしパロは警告を聞き入れない。それで主は、モーセがアロンに伸ばさせた杖を通して、ナイル川の水を血に変え、全エジプトの生活に支障が出る形で、災いが降された。ナイル川は、ヘブル人の男の子が投げ込まれ、殺され、その血が混じっている。主はそれに正しく報復をされたのだ(黙示録16:5-7)。
しかしパロは心を頑なにして、心に留めなかった。それは、第二の災い・かえるの災いが降るきっかけとなる。モーセは同様に警告を与えたが、パロは聞き入れず、それで、エジプト中かえるだらけになる。
かまども、かごもこね鉢も、寝台も。この災いで若干の進展がある。パロはモーセに、かえるを取り除くように、祈りの要請をしたのだ。パロは「あす」を指定し、モーセはその通りにすると約束した。モーセは帰ると、主に叫んで求めた(8:12)。かえるが時間指定で全滅するなど、人には不可能な事なので必死になったが、主に不可能は無い。モーセが約束した通り、主は翌日、かえるを死に絶えさせた。モーセはまた一つ経験し、主のわざを行う事で大胆になって行く。パロは災いの収束を見ると、感謝もせず、約束も守らず、心を頑なにしてイスラエルに礼拝させなかった。パロはこうして、エジプトに、さらなる災いを招いてしまう事となる。
『主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえをさし伸べて地のちりを打ち、それをエジプトの全国にわたって、ぶよとならせなさい』と」。』(8:16) 第三の災いは、ぶよの災いである。
モーセはアロンに地のちりを打たせると、それは人や動物にまとわりつく虫となってエジプト全土に満ちた。
この災いは、呪法師達にも真似出来ず、彼らは『これは神の指です』と言った。こうしてモーセは、ますます主の御業を為す事に自信を持つようになって行く。主はまことに、そのように働き人を力づけて下さる。
主は真実であり、主が為しなさい、と言われるなら、それは100%為すべきだ。奴隷状態から抜けだせない人とは、主から命じられた御言葉を実行しない人、攻撃すべき敵を攻撃しない人、権威に立たず今まで通り奴隷のままいる事である。私達は主が創世当初に命じられたように、主の御言葉に従って統治するべきなのだ。へびをも掴み、御言葉の剣を振りかざして敵を攻撃し、神の民を救う皆さんでありますように!