メッセージ - 主との交わりの甘く麗しい感覚を慕い求めて(詩篇27篇)

主との交わりの甘く麗しい感覚を慕い求めて(詩篇27篇)

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執筆 : 
pastor 2018-11-28 10:22

主との交わりの甘く麗しい感覚を慕い求めて(詩篇27篇)
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詩篇27篇 ダビデの歌
27:1 主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。
27:2 わたしのあだ、わたしの敵である悪を行う者どもが、襲ってきて、わたしをそしり、わたしを攻めるとき、彼らはつまずき倒れるであろう。
27:3 たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。たといいくさが起って、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。

27篇は、ダビデが敵を前にした時、ダビデの主に対する思いと姿勢がよく現れた詩篇である。
彼は「主はわたしの光、わたしの救だ、わたしの命のとりでだ」と、信仰をもって宣言した。
主を救いとする時、恐れは取り除かれ、そして主の御言葉を信仰を混ぜて宣言する時、その救いは実体として現れていく。
それで彼の人生、戦いにおいて、敗北は無かったのだ。

主を助け、主を拠り所とする人は、確かに守られ、匿われる。(詩篇91篇)
91:4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
91:5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
91:6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
91:7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
91:8 あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
91:9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので

信仰をもって主の約束の御言葉を宣言し、主に助けを求めて行く時、主はその信仰を実体化させて下さるが、この主の守りに囲われる時、甘く麗しい感覚が沸き起こる。

27:4 わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。
27:5 それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。

女性が愛する男性の腕にくるまれる時、甘い安心感を覚えるように、ダビデも主に対して、そうだった。
だから彼は主の宮を慕い求め、生涯、そこに住む事を求めた。
この、主と主の宮をうるわしいと感じる感覚は、クリスチャンがイエス様に対して覚えるべき感覚である。
麗しい主を慕い求め、探し、門を叩き続ける人こそ、主を見出し、奥の間で主と麗しい愛の交わりにあずかれる人である。

雅歌3:1 わたしは夜、床の上で、わが魂の愛する者をたずねた。わたしは彼をたずねたが、見つからなかった。わたしは彼を呼んだが、答がなかった。
3:2 「わたしは今起きて、町をまわり歩き、街路や広場で、わが魂の愛する者をたずねよう」と、彼をたずねたが、見つからなかった。
3:3 町をまわり歩く夜回りたちに出会ったので、「あなたがたは、わが魂の愛する者を見ましたか」と尋ねた。
3:4 わたしが彼らと別れて行くとすぐ、わが魂の愛する者に出会った。わたしは彼を引き留めて行かせず、ついにわが母の家につれて行き、わたしを産んだ者のへやにはいった。

この、主との麗しい交わりに入った人は、たとえ敵が目の前にいたとしても、真理の上では主の守りの御手で囲まれているゆえに、大胆に、自信満々になる事ができる。

27:6 今わたしのこうべはわたしをめぐる敵の上に高くあげられる。それゆえ、わたしは主の幕屋で/喜びの声をあげて、いけにえをささげ、歌って、主をほめたたえるであろう。

ダビデは主の守りを信じ、宣言し、それが実体化になった。
だからダビデは、あらゆる戦いで勝利を得続けたのである。

27:7 主よ、わたしが声をあげて呼ばわるとき、聞いて、わたしをあわれみ、わたしに答えてください。
27:8 あなたは仰せられました、「わが顔をたずね求めよ」と。あなたにむかって、わたしの心は言います、「主よ、わたしはみ顔をたずね求めます」と。

「わが顔をたずね求めよ」、これは父なる神の、私達に対して願っておられる事であるが、ダビデはその心を熟知していた故に、それを先取りして宣言した。
もし子供がお父さんに向かって、『僕はお父さんの心を知っているよ。だからお父さんに代わって言います。「わたしの顔をたずね求めよ」』と言ったとしたら、その子供はとてもかわいいのではなかろうか。
主の目に、ダビデは、どれほどかわいく映っただろう。それ故主はダビデを特別に扱って下さった。
私達も、主からの特別待遇をいただきたいなら、心して御心を先取りし、御言葉を宣言するべきである。

27:9 み顔をわたしに隠さないでください。怒ってあなたのしもべを退けないでください。あなたはわたしの助けです。わが救の神よ、わたしを追い出し、わたしを捨てないでください。

主は、決して捨てない、と言っておられるのだけれど、この、主に捨てられてしまうのではないか、という気持はたまに沸き起こってくる。
罪を犯した時、自分が相応しくないと感じる時など。
その時、悪魔、サタンがその人を絶望させ主から引き離すためにその感覚を用いるが、私達はそれを信仰をもって制さなくてはならない。

しかし少なくとも、主に捨てられて欲しくないという思いがあるのは、健全な思いであり、主を敬わない人には、沸き起こらない感覚である。
第一サムエル記において、大祭司エリは、息子たちが御前で大きな罪を犯し続けた故に、主から捨てられる、と、幼子サムエルを通して警告を受けた時、「主の御旨がなりますように」などと、信心深そうな事を言ったが、もしダビデだったどうだっただろうか。
一刻でも早く主の御まえに走って行って、赦しを乞い、悔い改めたのではなかろうか。
つまりエリの中には、主を敬う心、主を愛し親しむ心は、無かったのだ。

私達は、人の前に信心深そうに装う事よりも、ダビデのように、なりふり構わず主を愛し、主に慕い求め、罪を犯した時でも、主に食いついて行って、赦しを求めるべきである。

27:10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。

世の親は、その娘や息子を、捨てるかもしれない。
しかし、たとい親が私達を見捨てたとしても、主は決して見捨てないし、忘れない。
なぜなら主は、十字架上で、手のひらに私達を刻みつけられたからである。

「シオンは言う。主はわたしを見捨てられた/わたしの主はわたしを忘れられた、と。女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、
わたしはあなたを/わたしの手のひらに刻みつける。
あなたの城壁は常にわたしの前にある。」(イザヤ49:14-16)

27:11 主よ、あなたの道をわたしに教え、わたしのあだのゆえに、わたしを平らかな道に導いてください。
27:12 わたしのあだの望むがままに、わたしを引き渡さないでください。偽りのあかしをする者がわたしに逆らって起り、暴言を吐くからです。

平時の時さえも、ただ主の麗しさを仰ぎ見ようと求め続けている者こそ、有事の時にも真に主により頼む者である。

27:13 わたしは信じます、生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。
27:14 主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。

私達もダビデのように、いつでも主に求め、主を待ち望み、おりにかなった助けを得る者でありたい。

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