メッセージ - なんでも主に持って行って、主から可愛がられたダビデ(詩篇28篇)
なんでも主に持って行って、主から可愛がられたダビデ(詩篇28篇)
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詩篇28篇 ダビデの歌
28:1 主よ、わたしはあなたにむかって呼ばわります。わが岩よ、わたしにむかって/耳しいとならないでください。もしあなたが黙っておられるならば、おそらく、わたしは墓に下る者と等しくなるでしょう。
詩篇28篇も27篇同様、ダビデが敵によって苦しめられ、主に向かって祈る祈りである。
ダビデはどんな事でも、「主よ、わたしはあなたにむかって呼ばわります。」と、主になんでも持って行くのが、彼のトレードマークである。
親としては、どんな事でもいつでも親に持ってくる子供が、持って行かない子供よりも、かわいいのではなかろうか。
ダビデは、何事につけても、主に向かって持って行った。だから主の目には、彼は、かなりかわいかったのではないだろうか。
それで主は彼を高めて下さった。
28:2 わたしがあなたにむかって助けを求め、あなたの至聖所にむかって手をあげるとき、わたしの願いの声を聞いてください。
ダビデは悩みの時、主の至聖所に向かって手を上げた。その手は、祈りの手である。
28:3 悪しき者および悪を行う者らと共に/わたしを引き行かないでください。彼らはその隣り人とむつまじく語るけれども、その心には害悪をいだく者です。
ダビデは悪を行う者を、主に訴えている。
その彼らの性質は、彼らは表面的には仲良さそうに来るが、心には害悪を抱いている、というものだ、と。
28:4 どうぞ、そのわざにしたがい、その悪しき行いにしたがって彼らに報い、その手のわざにしたがって彼らに報い、その受くべき罰を彼らに与えてください。
28:5 彼らは主のもろもろのみわざと、み手のわざとを顧みないゆえに、主は彼らを倒して、再び建てられることはない。
この詩篇28篇には、3種類の「手」が登場する。
すなわち、自分の手と、敵の手と、そして主の御手である。
敵の手は、悪しきわざを行うが、その手が迫ってくる時こそ、私達が主に向かってきよい手を挙げて祈る時である。
パウロは以下のように勧めている。
1テモテ2:8 男は、怒ったり争ったりしないで、どんな場所でも、きよい手をあげて祈ってほしい。
またモーセも60万のつぶやきやすい群衆を40年間荒野で導いた時、彼自身が怒り心頭になりそうな時は幾度もあったが、その時モーセ自身はいつでも主にひれ伏して執り成し、祈った。
彼やダビデのように、問題も怒りも全てを主に持っていく人こそ、主の御業が働く人である。
この世界は、主の良きわざによって、6日に渡って創造されたが、主は、ご自身の創造のわざを見て、6度「よし」と言われた。
人の手のわざは、悪を行う事に傾きやすく、悪い事ばかりである。
だから私達は、主の「良き」わざを成す主の御手へと、持っていくべきである。
28:6 主はほむべきかな。主はわたしの願いの声を聞かれた。
28:7 主はわが力、わが盾。わたしの心は主に寄り頼む。わたしは助けを得たので、わたしの心は大いに喜び、歌をもって主をほめたたえる。
この詩篇の後半は、早速祈りが答えられ主を喜び褒め称えている箇所へと、早速移っている。
主を呼び求める人に、主が速やかに答えて下さる事例は、聖書には事欠かない。
ハンナも主に求めた時、主が答えてくださり、ダビデ同様の感謝の歌を主に捧げている。
ハンナはペニンナから嫌味といじめを受けたが、そのつのる憂いを彼女は誰にもぶつけず、全部、主へと持って行った。
主は、彼女の祈りに聞かれ、彼女もダビデのように、主をほめ歌った。
1サムエル記2:1 ハンナは祈って言った、/「わたしの心は主によって喜び、/わたしの力は主によって強められた、/わたしの口は敵をあざ笑う、/あなたの救によってわたしは楽しむからである。
2:2 主のように聖なるものはない、/あなたのほかには、だれもない、/われわれの神のような岩はない。
2:3 あなたがたは重ねて高慢に語ってはならない、/たかぶりの言葉を口にすることをやめよ。主はすべてを知る神であって、/もろもろのおこないは主によって量られる。
2:4 勇士の弓は折れ、/弱き者は力を帯びる。
2:5 飽き足りた者は食のために雇われ、/飢えたものは、もはや飢えることがない。うまずめは七人の子を産み、/多くの子をもつ女は孤独となる。
2:6 主は殺し、また生かし、/陰府にくだし、また上げられる。
2:7 主は貧しくし、また富ませ、/低くし、また高くされる。
2:8 貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、/乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、/王侯と共にすわらせ、/栄誉の位を継がせられる。地の柱は主のものであって、/その柱の上に、世界をすえられたからである。
2:9 主はその聖徒たちの足を守られる、/しかし悪いものどもは暗黒のうちに滅びる。人は力をもって勝つことができないからである。
2:10 主と争うものは粉々に砕かれるであろう、/主は彼らにむかって天から雷をとどろかし、/地のはてまでもさばき、/王に力を与え、/油そそがれた者の力を強くされるであろう」。
マリヤも、同様の祈りを祈った。
1:46 するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、
1:47 わたしの霊は救主なる神をたたえます。
1:48 この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、
1:49 力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。そのみ名はきよく、
1:50 そのあわれみは、代々限りなく/主をかしこみ恐れる者に及びます。
1:51 主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
1:52 権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、
1:53 飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。
1:54 主は、あわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けてくださいました、
1:55 わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを/とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。
これらはいずれも、自分の力によらず、自分で仕返しせず、ただ主の救いにより頼んだ人々による、感謝の祈りである。
主は彼らのような、主の御声に100%従順する人を通して、世に良き介入をする機会を得て、彼らを通して大きな事をして下さった。
まことに世は、主に従順な人を通してこそ、世に介入されるのである。
しかし、御声に聞き従わない人、驕り高ぶる者、悪を行う者は、廃れていく。
28:8 主はその民の力、その油そそがれた者の救のとりでである。
28:9 どうぞ、あなたの民を救い、あなたの嗣業を恵み、彼らの牧者となって、とこしえに彼らをいだき導いてください。
ダビデは確かにイスラエルを導く羊飼いであったが、それ以上に、主こそ、まことの羊飼いである。
パスターも牧師も「羊飼い」という意味であるが、真の羊飼いは、イエス様である。
だからパスターも牧師も、人々を、まことの羊飼いへと導く「羊飼いのしもべ」である。
私達も、ダビデのように祈るべきである。
どうぞ、あなたの民を救い、あなたの嗣業を恵み、彼らの牧者となって、とこしえに彼らを抱いて導いてください、と。
まことの大牧者よ、来て支配して下さい、と。