メッセージ - まことの主人からさらに優れた飾りで飾られるために(雅歌1:10-17)
雅歌書講解説教
まことの主人からさらに優れた飾りで飾られるために(雅歌1:10-17)
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雅歌書には男女の愛が記されており、特に1章では、新婚の若者らしい本当にみずみずしい愛が記されている。
前回は、花嫁は自分がぶどう畑の見張りに無理やりにさせられ、黒くなってしまった、と嘆いたが、しかし花婿の評価は「美しい」、と言うものだった。
そして、わたしがどこにいるかを知りたいなら、羊達の足跡についてきなさいと。
私たちもイエス様の羊たちの後について行って、まことの羊飼いイエス様の傍で、イエス様に言われた通りに雌やぎを飼う。そのように、御声に聴き従って従順して行くなら、ますます花婿との関係は良好になって行き、花婿はますます良いものをプレゼントしてくれるようになる。
花嫁が、花婿の御声について言ったならば、9節の言葉が与えられる。
雅歌1:9 わが愛する者よ、わたしはあなたをパロの車の雌馬になぞらえる。
自分の愛する女性を、とてもたくましく、筋肉が隆々としているパロの戦車馬になぞらえるのは、ちょっと不思議に聞こえるかもしれない。
この「パロの戦車」は、よく訓練され、とても従順である。出エジプト記を見ると、パロの戦車馬は、火の柱が立っていても、紅海の水が割れても、それでも、パロの命令に従って飛び込んでいった。
主人が「行け」と言えば行き、飛び込めと言えば飛び込んでいくほどに、よく訓練され、いらない身勝手さも削ぎ落とされ、忠実に主人の声の通りに行っていくのが、パロの馬である。
この花婿が「パロの雌馬になぞらえよう」と言ったのは、この女性は、よほど主人に対する従順さが成長している様を褒めそやしたのだろう。
女性が筋肉隆々でたくましい事も、ある種の美しさはある。
腹筋、背筋を鍛える事にはいくらかの有益はあるが、男性である主人に喜ばれる筋肉は、「聞き従う筋」のたくましさである。
「主人の声に従順であること」において鍛えられて行く事こそ、私達の主人イエス様が、私達・花嫁へ求めておられる事である。
主の御声によく聴き従う、主人に服従することにおいて鍛えられて行くなら、どんどん主からの寵愛を受けるようになっていく。しかし従順さが衰えてしまっているなら、どんどん主の寵愛から離れて行ってしまう。
従順である花嫁に対し、花婿はさらに優れたアクセサリーをプレゼントをする。
雅歌1:10 あなたのほおは美しく飾られ、あなたの首は宝石をつらねた首飾で美しい。
1:11 われわれは銀を散らした金の飾り物を、あなたのために造ろう。
彼女は、黒かっただろうし、ある程度の筋肉がついていただろう。しかし花婿は、そんな彼女を、オーダーメイドの飾りで、飾らせてくださった。
従順の度合いが進んで行くにつれて、さらにさらに優れたプレゼントが与えられるのだ。
女性が、男性にとっての喜びとなるためには、自分の好きな飾りを身につけるのではなく、相手の男性から贈られたアクセサリー、男性の好みに合ったアクセサリーを、身につける事だ。
もし贈られても、それを身に付けないなら、相手の男性を重んじていない事になる。
主が私たちに下さるアクセサリーは、皆、主の目に慕わしくなるための「御言葉」の飾りである。
1テモテ2:9-10 また、女はつつましい身なりをし、適度に慎み深く身を飾るべきであって、髪を編んだり、金や真珠をつけたり、高価な着物を着たりしてはいけない。むしろ、良いわざをもって飾りとすることが、信仰を言いあらわしている女に似つかわしい。
私たちは、御言葉で飾るべきであって、世の言葉を飾るべきではない。
私達が御言葉によって飾られるならば、次はますます素晴らしいプレゼントを用意し、どんどん飾りをつけさせてくださる。もし、世の癖、手癖、悪い癖を身につけるならば、そんなものを身に付けたものを、主は、喜ばれない。
もし主が私たちに「御言葉を覚えなさい」と言う「首飾り」が与えられたならば、それを身に付けるべきであり、この行いをしなさい、と言う飾り輪が与えられたなら、それを身に付けるべきだ。
私達が主の御言葉を、どこに飾るべきかが、申命記に記されている。
申命記6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、
6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。
6:8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、
6:9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。
すなわち、主から与えられた御言葉という飾りは、心に、子どもたちに、手に、目の間に、そして家の入り口の柱、門に置くのであり、そしてその飾りは、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、身に着けておくべきものである。
花婿は花嫁の何を慕っているか。
雅歌1:10 あなたのほおは美しく飾られ、あなたの首は宝石をつらねた首飾で美しい。
花婿は、あなたの頬や首は、自分が贈った飾りがついてあるから、美しいと言っている。男性の喜びとは、相手の女性が、自分が贈った飾りを身に着けている事である。
私達も、花婿である主の御前で、自分好みの自前の飾りは外し、主が飾らせてくださる「良き技」「従順」と言う飾り輪を身につけて行くならば、どんどん整えられ、美しく、主から仕立て上げられていく。
続いて、12節以降は、花嫁の側の言葉である。
雅歌1:12 王がその席に着かれたとき、わたしのナルドはそのかおりを放った。
1:13 わが愛する者は、わたしにとっては、わたしの乳ぶさの間にある没薬の袋のようです。
女性の乳房の間は、何人たりとも侵入を許さないところである。
ただ、本当に愛する男性へ、あるいは、本当に愛らしい赤ちゃん以外には、決して明け渡さないところである。
良くない女性は、平気で乳房を他にあらわにしたりする。しかし神の民はそうではない。本当に守るべきところは、守るのだ。
この乳房の間に宿るナルドは、何人たりとも手出しのできない尊い香りで、わたしの愛する方はそのように、何者にも嗅がせたくない尊い香りだ、と言っている。
また没薬とは、物を腐らせないようにする薬であり、良い香りを放つ。
自分の、愛する方へ捧げる愛を、没薬によって腐らせず、いつでもみずみずしい、新鮮な、状態に保っていたい。
そのような願いをもって、彼女は没薬の袋を、乳房の間に忍ばせていて、私の愛する方は、このようなお方です、と言っている。
本当に大切な大切な、他の物には侵入生中さらないところに入れて、あなたに対する愛は、いつまでも腐らないようにしておきたい、と言う願いが込められているのだ。
雅歌1:14 わが愛する者は、わたしにとっては、エンゲデのぶどう園にあるヘンナ樹の花ぶさのようです。愛する方は、この乳房の間に宿る、物薬の袋のよう。
私たちも、主に対する従順を、服従、愛を、いつまでも新鮮に保ち、それを、何人たりとも侵入を許さない状態に保つようにするべきだ。
主人が飾ってくださる贈り物を、しっかりと身に付ける歩みをしていくならば、主との愛し愛される関係はどんどん成熟し、どんどん親密になっていく。
雅歌1:15 わが愛する者よ、見よ、あなたは美しい、見よ、あなたは美しい、あなたの目ははとのようだ。
花婿は感嘆詞をもって花嫁を褒め讃えている。目は鳩のようだ、と。
他の箇所では「蛇のようにさとく、鳩のように素直でありなさい」とあるが、鳩は素直さの象徴である。
私達は主に対し、鳩のような愛らしい素直な瞳をもって見つめ、聴き従う心を持つべきである。
花嫁は、この褒めそやす声に対し、16節と17節で言っている。
雅歌1:16 わが愛する者よ、見よ、あなたは美しく、まことにりっぱです。わたしたちの床は緑、
1:17 わたしたちの家の梁は香柏、そのたるきはいとすぎです。
この長椅子(エレス:床)とは、カウチのような、ベッドのようなところである。
青々としている(ラアナン)とは、強く盛んな、あるいは、みずみずしい、春の木々のようによく茂っている事である。
新婚の夫婦のベッド、そこは夫婦が一つとなり、産んで増えて地に満ちていく営みをする所である。
そこが、春の木々のように茂っていくかのように。
私達も、イエス様とますます一つとなり、十字架のイエス様の懐深くにおさまって、イエス様の死と一つとなり、イエス様の復活と同様に復活され、主イエス様のいのちを、産んで増えて地に満ちていくための活動をしていくのである。
確かに新婚の男女にとっては、世界の全てのものがバラ色のようになったような気もするが、これは、私達と主との関係においても同じである。
主に愛し、主に愛されている関係であるなら、世界がとても変わったものに見える。
何もかも美しく、みずみずしく、若々しく育っていく。
主の御声に聴き従って歩んでいくならば、どんどん主から飾らされ、美しくされ、鷲のように若々しくされていく。
アブラハムとサラの夫婦は、100歳と90歳であったが、しかし子供を生み出す力が与えられ、また、サラは89歳であったにもかかわらず、美しさのゆえに、異邦の王に略奪結婚させられてしまった。
そのようなことが実際に起きる。
イエス様との関係が、結婚したばかりの男女のようにみずみずしく、若々しくなっていき、ますます主から飾られ美しくされていく皆さんでありますように!
主から与えられた言葉を、喜んで自分の心・思い・手のわざへと飾りつけ、主の喜びとされて、ますます優れた飾りで飾られていく皆さんでありますように!
麗しい方、イエス様のお名前によって祝福します!