メッセージ - 主が愛する者に与える信仰の訓練 (1サムエル記23:1-13)

主が愛する者に与える信仰の訓練 (1サムエル記23:1-13)

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執筆 : 
pastor 2018-11-18 22:30

主日礼拝


主が愛する者に与える信仰の訓練 (1サムエル記23:1-13)


English Service

 
 
 先週の日本コーエンは、朝から夜までみっちりと学んだ1週間だった。1サムエル記から、またエリヤとエリシャの時代について1列王記から、そして、夜は聖書に基づいた東洋医学を学んだ。多岐に渡る恵みを頂いたが、今日特に分かち合いたいのは、主がダビデを偉大な王とならせた「主の訓練」についてである。
 サウルは王になるまで訓練を受けていなかったため、シェオル(地獄)になってしまったが、ダビデは油を注がれてから王になるまで10年以上の訓練を受け、偉大な王となった。私達も、訓練は受けるべきなのだ。
 
 彼はサウル王から命を狙われるようになってから、人が続々と集まって来た。といっても、集まって来たのは、問題を抱えている人(マツォク)、借金を負って逃げてきた人(ナシャ)、心傷ついて苦々しい人(ネフェシュ・マラ)だった。ただでさえ王に追い回されて、助けが必要なのに、問題を抱えた人ばかり集まって来た。
そんな彼らの面倒をみるために、日々、食料を調達し、また諸々のいざこざを解決しなくてはならない。
 
 私達は思うかもしれない。今すぐ目の前の困難が取り除かれてほしい、少しでも多くのお金が必要だ、少しでも能力ある人が来て、助けてほしい、と。しかし主の助けは、優れた物資や人を送る事ばかりではない。
 実は、この困難な状況で彼らの面倒を見る事が、主から送られた「助け」であり、同時に「訓練」だったのだ。
 
 そんなダビデの元に、さらに一報が届く。ケイラというイスラエルの町が、ペリシテに攻められている、と。
本来国を守るのはサウル王の仕事のはずだが、サウルはそっちのけで、無実のダビデを追い回している。
 ダビデは毎日、危険と窮乏にさらされ、やっとその日を生きているので、誰かを助けている場合ではない。
けれども、ほうっておけないのが、ダビデの王であるゆえんだ。彼は主に伺った。助けるべきでしょうか、と。
 主の答えは、「行ってペリシテびとを撃ち、ケイラを救いなさい」であった(2節)。しかしダビデの部下は非常に常識的な意見をする。今は人の助けをしている場合ではない、むしろ自分達の身を案じるべきだ、と。
 
 私達は信仰生活を送る上で、このようなジレンマに陥る事がある。主の御心は「行け」なのに、自分の状況を、常識的に判断したり、人から「行くな」と言われたりし、その狭間で揺れる事が。
 主の助けの方法は、世の方法とは全く違う。世は、親も学校も、神なしの生き方・思考パターンを教育し、自分の英知と力で問題を解決するよう教えるが、その思考からは、全能なる神が、全く除外されている。
この思考(ギリシア思考)で塗られた世は、神に伺おう、とか、祈りで解決しよう、とかが、全く理解できない。
 聖書は、神中心の生き方(ヘブライ思考)で歩む信仰者が、神の方法によって生きる術が記されている。
その方法は、世の考え方ではあまりに無意味な、愚かな方法に見えるが、しかし、神を信じ、従順して行く時、実体として勝利が、祝福がもたらされる。ここに、世を取るか、神の言葉を取るかが試される戦いがある。
 
 ダビデは、神の言葉と人間の声との狭間で揺れ動いた時、もう一度主に伺った。『主は彼に答えて言われた、「立って、ケイラへ下りなさい。わたしはペリシテびとをあなたの手に渡します」。
 ダビデとその従者たちはケイラへ行って、ペリシテびとと戦い、彼らの家畜を奪いとり、彼らを多く撃ち殺した。こうしてダビデはケイラの住民を救った。』(4-5節) 
 人の思いとしては「止めたほうがいい」と見える事でも、主の言葉どおりにした所、圧倒的に勝利し、敵の家畜や食料も分捕り、戦わない場合よりも、遥かに良い結果となった。
 こうして一気に物持ちになったダビデ達。ところがサウル王は、ダビデがケイラを救ったと聞いて、ダビデもろともケイラを滅ぼそうと、大軍を率いて向かって来た。それを聞いたダビデは、再び主に伺う。
 ダビデはこれ以降、「主に伺う」事が、彼の人生の基本路線となり、そして主に伺わず行動したら、必ず失敗した。
 主の答えは、サウルは来る、そしてケイラの住民は、無情にも、ダビデをサウルに渡す、というものだった。
 本来ケイラが襲われた時、救うべきは、サウルだったはずなのに、国王から追われているダビデが救った。
それなのにサウルは、国敵ペリシテは放置し、国を救ったほうのダビデを追い、しかも、自国の町ケイラを襲ってまで、ダビデを滅ぼそうとしている。
 ダビデとしては、どうして自分は良い事をしているのに、報われず、サウルも、ケイラも、善を悪で返すのだろう、と思えた事だろう。しかし主は見ておられ、人も見ている。
 人はことごとくダビデがした良い事に、悪で返したが、主は常にダビデの味方であり盾であった。ダビデはこのような訓練をしっかり受けたからこそ、今も偉大な王と尊敬されているのだ。
 
 私達も、訓練を受けている時は悲しく思えるが、これによって訓練された人は、後には決して揺るがされない平安な義の実を結ばせるようになる(ヘブル12:1-11)。
 
 いつも失望せず耐え忍び、大いに用いられる皆さんでありますように!

 

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