メッセージ - たましいを刈り入れる時が来た(ヨハネ 4:31-38)
主日礼拝
たましいを刈り入れる時が来た(ヨハネ 4:31-38)
English Service
今日は収穫感謝祭である。主は、私達が食べるようにと、大地の良き実りを与えて下さった。本日はそれを主に感謝する日である。土地が実らせる実りは、私達にとって喜びであるが、主が喜ばれる”実り”がある。
また、大地の実りを刈り入れる収穫があるように、天におけるまことの刈り入れと収穫がある。主が喜ばれる実りとは、私達人間が結ばせるものであり、そして天における収穫とは、人のたましいの収穫である。
主の喜ばれる実り、主の食べる食物とは何か。
『イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。』(ヨハネ4:34)
主が喜ばれる実りは、私達が御心を行い、そのわざを成す事である。主はさらに続けて、刈り入れの事を仰せられる。
『あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。』(35-36節)
この時、イエス様は前もって、サマリヤの井戸で一人の女性と会い、彼女にイエス様の言葉という”種”を蒔いておいた。種付けられた彼女は、居ても立ってもいられなくなり、町へ出て行って人々にイエス様の事を伝え始めていた。彼女の口から出た御言葉の種は、その地方へと広まって行き、御言葉が種付けられた人々もまた居ても立っても居られなくなり、彼女の導きで、団体でイエス様の所に押し寄せて来る事になる。
この事を指して、イエス様は、畑は色づき、刈り入れを待っている、と言われた。
古くから不信仰の町と言われていたサマリヤ、しかしメシヤを待ち望み、先祖ヤコブ由来の伝統を守っていたこの町に、イエス様が来られ、御言葉という種が蒔かれた事により、大いなる刈り入れが近づいている、と。
人が思う刈り入れ時と、主の刈り入れ時とは違う。人は収穫までまだだろう、と思い込んでいても、私達は思い込みに従ってはならない。霊の目を開けて、見るべきである。刈り入れを待ち望んでいるたましい達に目を向けるべきだ。天の刈り入れで刈り取られるのは、人であり、人がイエス様を救い主として信じる時、たましいは収穫され、天国という倉に納められる。つまり、人それぞれが、主に捧げられるべき供え物なのだ。
『そこで、『一人がまき、一人が刈る』ということわざが、ほんとうの事となる。わたしは、あなた方を遣わして、あなた方がそのために労苦しなかったものを刈りとらせた。他の人々が労苦し、あなた方は、彼らの労苦の実にあずかっているのである」。』(37-38節)
人々が救いを求めて飢え渇き、押し寄せて来る時こそ私達・主の弟子達の出番である。彼らにイエス様を伝えて、彼らが受け入れるなら、天の「刈り入れ」が成就する。
天的な刈り取りシーズンが来ようとしている。いや、もう来ている。中国では一日に万単位の人々が救われ、それを脅威に感じた共産党が迫害にかかっている。アフリカは既に四方八方に教会が建っている。
アマゾンも奥地に教会が既に1万箇所はあり、キム先生の弟子が、1000人の牧師を集めますので来て下さい、と言われても、1万人を1週間集めて寝起きさせる場所や経済がないから、今は行けない、という。
アメリカではユダヤ人600万人中、250万人が既にイエス様を信じている。ムスリムも、ユダヤ人も、イエス様に直接出会って救われる人が続々起こされており、先週も茨城の働きでイラン人2人が洗礼を受けた。
私達は、働かなくてはならない。人々のたましいに救いへの飢え渇きが起こり、私達の元に来る時、彼らを、唯一満たして下さるイエス様のほうへと、一歩、背中を後押しして進ませるのだ。恐れてはならない。
私達はそのためにこそ、遣わされたのだ。私達が労苦して種まいて育てたものを刈り取るのではない。主は、「わたしは、あなた方を遣わして、あなた方がそのために労苦しなかったものを刈りとらせた。他の人々が労苦し、あなた方は、彼らの労苦の実にあずかっているのである」とまで言われた。私達はどうして、この救いのわざの「上げ膳据え膳」に、乗らないでおられようか。私達自身が、主の倉に納められるにふさわしい者となり、そして主の倉を、救いに飢え渇くたましい達でいっぱい満たして行くべきなのだ。
今、日本だけが、不思議な現象が起きている。統計的に、殉教者が出た所は、必ず福音が栄えるはず、なのに、日本だけがその恩恵には「まだ」あずかっていない。日本は沢山の殉教者を出しているので、必ずこの国に、天的な刈り取りの時が来るはずだ。
畑は色づき、刈り入れを待つばかりになっている。準備は出来ているだろうか? 刈り入れの時が来た時、その大いなる働きに、大いに用いられる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!