メッセージ - 男と女をひとつへと繋げていく御言葉(雅歌5:9-16)

男と女をひとつへと繋げていく御言葉(雅歌5:9-16)

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執筆 : 
pastor 2019-4-10 8:48

男と女をひとつへと繋げていく御言葉(雅歌5:9-16)

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雅歌5:9 女のうちの最も美しい者よ、あなたの愛する者は、ほかの人の愛する者に、なんのまさるところがあるか。あなたの愛する者は、ほかの人の愛する者に、なんのまさるところがあって、そのように、わたしたちに誓い、願うのか。
 
私達は、イエス様の何がいいのか、何であなたの唇からそんなにイエス様イエス様という言葉が出てくるのか、と聞かれた時、どう答えるだろう。あなたの愛する神は、他の神々より、どこが優れているのですか、と問われる時、何と答えるだろう。
すぐに答えが出てくる人は、本当にいつもイエス様の事を思っている人だ。しかし、ただ口先でイエスは主ですと告白してはいても、どうも行動を見るに、あまりキリスト者としての品性が見えない人には、この質問をしてみると良い。
エルサレムの娘たちは、彼女に問いかけた。女の中で最も美しい人よ、あなたの愛する方は、どこがそんなに優れているのですかと。
なぜなら8節で、彼女がこう言ったからだ。
雅歌5:8 エルサレムの娘たちよ、わたしはあなたがたに誓って、お願いする。もしわが愛する者を見たなら、わたしが愛のために病みわずらっていると、彼に告げてください。
どうして彼女はエルサレムの娘たちにそのこと言ったのか。それは、前回の1節から7節にある通りのことが起きたから。
彼女は一度、花婿を軽んじた。
花婿は夜露に濡れて苦労して帰ってきたのに、彼女の方がちょっとした理由で彼を受け入れなかった。どうして私は足をよこせましょう、どうして服を再び着れるでしょう、と、ちょっと面倒な事をしたくないからと、花婿のためにドアを開けない。
だから彼は、去っていってしまった。最後に彼が発した言葉によって、彼女は気を失った、と6節に書いてある。
それで彼女は町中探すが、夜回りに打ち叩かれた。愛するべきお方を、ないがしろにした故に、打ち叩かれるような目にあったから、彼女は思い知った。 あの方は、本当にいとおしい、と。
私達は、イエス様をないがしろにしていないだろうか。
彼女は打ち叩かれて、最終的に知った、私は、あの方がいとおしい。 もしあの方に会ったら、私は愛に病んでいると、伝えてください、と。
 
それを女たちに問われる。
雅歌5:9 女のうちの最も美しい者よ、あなたの愛する者は、ほかの人の愛する者に、なんのまさるところがあるか。あなたの愛する者は、ほかの人の愛する者に、なんのまさるところがあって、そのように、わたしたちに誓い、願うのか。
 
 
そこで10節以降
雅歌5:10 わが愛する者は白く輝き、かつ赤く、万人にぬきんで、
「赤い」とは、当時の相手を美しいと褒めそやす表現である。ダビデは紅顔の美少年であったし、エサウは生まれながらにして赤かったので、父イサクは彼を愛した。
そして彼女は、頭から順番に下にくだって褒めそやしている。
5:11 その頭は純金のように、その髪の毛はうねっていて、からすのように黒い。
5:12 その目は泉のほとりのはとのように、乳で洗われて、良く落ち着いている。
5:13 そのほおは、かんばしい花の床のように、かおりを放ち、そのくちびるは、ゆりの花のようで、没薬の液をしたたらす。
 
彼が「開けておくれ」と言う時、彼女は閉ざしていたが、その彼から、かわらぬ愛のしるしである没薬の液が滴っていた。
彼女がようやく、開けた時、その没薬が彼女の手に触れた。
それで、あの方がどれほど中に入って来たかったのかを思い、悔いた。
 
 
雅歌5:14 その手は宝石をはめた金の円筒のごとく、そのからだはサファイヤをもっておおった/象牙の細工のごとく、
5:15 その足のすねは金の台の上にすえた/大理石の柱のごとく、その姿はレバノンのごとく、香柏のようで、美しい。
 
普通は、男性の方が女性よりも体が大きく、抱き寄せる時は、男性が女性を覆うような形である。
女性は男性の腕、男性の体に包まれている時、安らぎを得る。
それで、宝石をはめた金の円筒のような手で触れられ、サファイヤをもっておおった象牙の細工のような体に包まれる時、私は夢心地のような思いがする、と言っている。
雅歌5:15 その足のすねは金の台の上にすえた/大理石の柱のごとく、その姿はレバノンのごとく、香柏のようで、美しい。
しっかりした台座にはめ込まれた大理石のような、あるいはレバノン杉のような、威風堂々とそびえ立つような様は、本当に頼もしく素晴らしい、と言っている。
しかしここまでは、外見的な事である。
彼女は前回の箇所で、ひどい目にあった。それは彼を軽んじたからだ。
 
それは彼女が自分のわがままを押し通そうとしたから、打ち叩かれ、かぶりものをはぎとられてしまったのだ。
それで彼女は、外見的な事よりも、もっと素晴らしいことに気づいた。
 
雅歌5:16 その言葉は、はなはだ美しく、彼はことごとく麗しい。エルサレムの娘たちよ、これがわが愛する者、これがわが友なのです。
最後に彼女は、その方の「言葉」がはなはだ美しい、と褒めそやした。
 
ここの「言葉」は、ヘブライ語でחֵךְ(ヘ(ケ)ーフ(ク))   口、あるいは味わい、言葉の声。
KJVでは、His mouth is most sweet、彼の口が最もsweetだ、彼の言葉、彼の口から出てくる味わいは、何よりもsweetだと言うのだ。
 
外面が良いかもしれなくても、何が最もsweetとなるのか。
それは、あの方の口、あの方の言葉。それこそが、最も素晴らしい。
私たちが蜜よりも求めるべきは、あの御方の御口から流れ出てくる御言葉である。
 
彼女は6節では、あの方の言葉で気を失った、と言っている。
主人たる者をないがしろにしたら、当然、唇から心刺されるような言葉を受けても仕方がない。
私達も、高慢な唇が、災いの元になってしまう。彼女もそうだった。
彼女はかつて、唇で間違いを犯した。それで、その愛する方からの言葉によって、彼女は気を失った。それで彼女は、町中探しまわった末、打ち叩かれ、はぎ取られてしまった。
 
そういうわけで私たちは、あの方がsweetな目に合わせてくれるから、と言う事より、むしろあの方の言葉にこそ喜び、御言葉に従順服従するところにこそ、喜びを見いだすべきだ。
イエス様の言葉は確かに耳に慕わしいが、中には痛い言葉もある。私たちの罪が示される時、私たちの中の直さなければならないところを指摘された時、確かに私たちは苦いが、しかしその言葉が、苦くても甘いものとしていくなら、私たちはますますこのお方の懐深くに入ってゆくのだ。
 
雅歌書の夫婦は、章を重ねていくたびに、徐々に徐々に成熟していく。
夫婦の愛は、徐々に成熟していくものだ。
 
最初は、互いがときめき合う関係であるが、付き合っていくうちに、苦さも経験していく。
五章では、相手と自分の時間が合わない、夜昼が噛み合っていなかったが、そのようにして互いが擦れあっていくうちに、どんどん混ざり合って、溶け合って、ついに2人は1つであると言うほどに成熟していく。
 
男女の愛、時間が合わないからとか、外見が飽きたからとか、体とか、飽きたらポイ捨てで外を求めると言うことがあるならば、全く成熟は無い。
伴侶は、こちらが飽きないように、突然外見が変わってくれるわけではないし、性格がある時パッと変ってくれるわけでもない。
私達は、変な夢を見たりせず、互いの言葉、内面を共に喜び、楽しみとしていくなら、その夫婦関係はますます成熟し、麗しいものになっていく。
だからこそ、相手と自分の間に、共通言語が必要である。
 
御言葉こそ、夫婦間の共通言語になるべきである。
御言葉によって同意し、御言葉によって1つとなれるとするならば、相手がどのようであったとしても、またたとえ、互いが離れ離れになってしまったとしても、その愛はしっかりとつながり、そしてどんどん成熟していく。
しかし、外見や肉体的な事のみを求めてとするなら、廃れてしまう。
 
しかし、相手の中にある決して変わらない、没薬のような御言葉、真実で決して間違わない御言葉に堅く立つなら、互いを立て上げる。
この雅歌書の乙女は、言葉が一番素晴らしい、と言った。相手が発する御言葉こそ、最も甘いもの、素晴らしいものとするべきだ。
 
詩篇19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
 
 
私たちは、主の口から出てくる言葉のみを信頼すべき。
神は目では見えず、手で触ることができないお方、聞くことができない。
ただ、神との接点となるのは、御言葉だけである。
だから、見える形ではないが、しかしその言葉のひびきが、全地に満ちている。(1節)
詩篇19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。
19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。人の目を明るくする。首への押されは記憶、永久までも変わらない。主の裁きは理で、ことごとくただし、金よりも純金よりも好ましい、光よりも甘い。また報いが大きい。
 
 
主との関係は、目に見えたり耳で聞こえたりする関係では無いただしその言葉、言葉による関わりだ。
主の言葉は完全であり、私たちを生き返らせる。終焉の恐れや記憶、永久までも変わらない。
 
永久に変わらない愛。歌の題材になりそうだが、人間にはそれはない。
人間の愛はいとも簡単に、外見によって移ろいやすい。
 
しかし主への恐れは、永久までも変わらない。主の御言葉に従順服従することによって生き返る様は、永遠に変わらない。
主の御教えが入ると、賢くなる
また主の教えをそれは、若々しくなって、力強くされる様は決して変わらない。
主を恐れることこそ金よりも、純金よりも好ましい。
 
その女性は、花嫁の腕輪、純金のようだと言ったが、どんな男性の力強い腕よりも親しいものは、御言葉である。
御言葉は、蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘く、完全である。そしてそれによって戒めを受けるならば、
11節。それによって、あなたの下では戒めを受ける、守れば、報いは、大きい。
 
雅歌書に書いてあるように、イエス様の口から流れ落ちる御言葉こそ、したわしい。
その御言葉は、蜂の巣のみ下あたりよりも下らしく、没薬の駅の滴りのように、決して朽ちることがない。決して腐らせる事は無い。
 
雅歌書の女性は、腕とか顔とか髪の毛とかを褒めそやしたが、しかし結局のところは言葉である。
イエス様の言葉、聖書、これが私にとって全てであり、イエス様の全てがいとおしくなる。
御言葉は永遠であり真実。この御言葉によって夫婦が共通言語とするなら、その愛は成熟し、健康になり、歳を経るごとに、美しい成り立ちへと変わっていく。
御言葉が共通言語でないなら、すれ違いに次ぐ、すれ違いにより、苦い、我慢だけが長続きする、最後には破綻するようになってしまう。
どうかそのようなことがなく、御言葉を持って互いに交わり、歩んでいく皆さんでありますように。
イエス様のお名前によって祝福します。
外側的なもの、会見、顔、形、体、それはやがて廃れるものだが、御言葉こそ永遠に続くもの、その命を共通言語にするならどれほど素晴らしいことだろう。

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