メッセージ - そして立派な花嫁を育てる者へ(雅歌書8:8-14)
そして立派な花嫁を育てる者へ(雅歌書8:8-14)
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雅歌書の講解説教が本日で終わる。元は愛し合う男女の愛のささやきあいから始まり、結婚に至り、その後、二人の関係の成熟へと向かっていった。一時期、危機はあったが、しかしどんどん成熟へと向かっていた。
8節と9節
"私たちの妹は若く、乳房もない。私たちの妹に縁談のある日には、彼女のために何をしてあげよう。
もし、彼女が城壁だったら、その上に銀の胸壁を建てよう。彼女が戸であったら、杉の板で囲もう。
妹は若く、乳房もない。。。
おそらく、花嫁の兄や親たちの言葉と思われる。
家の人たちにとっては、彼女はまだ乳房がない、幼い、と言う認識があり、この妹に縁談がある日までは、彼女を守ってあげようと言う、親達の愛がうかがわれる。
娘というものは、結婚し嫁いで行くお婿さんのために、貞操を守って行かなくてはならない。一家で「守らなくてはならないもの」である。
彼女が城壁のように堅固で、世のいかなる誘惑に対しても、城壁のように堅固であるなら、銀で飾ってあげよう。
もし彼女が戸であるなら、、、戸は城壁よりもろいものであるが、もしそうであったとしても、杉の板で囲って、しっかりガードしてあげよう、と言う、彼女の親やお兄さんたちの心意気がある。
10節に、彼女自身の応答がある。
私は城壁、私の乳房はやぐら(ミグダール:5:13花壇)のよう。それで、私はあの方の目には平安をもたらす者のようになりました。
彼女自身は、自分は嫁いでいく相手の夫にとって平安をもたらすもののようになるために、城壁のように操を守ってきました。そしてわたしの乳房、すなわち、男性に安息を与え(箴言5:18-21)、子供にいのちを養うものを、やぐらのように堅固にして来た。
そういうわけで、私は、あの方の目には平安をもたらすもののようになった。
平安はシャローム。安息、安心。この人と一緒にいるなら安息できる、と言う感覚。
結婚前の娘が、家族に守られ、また自分で自分自身をしっかりと守り、貞操を守ってきた女性は、新郎にとっては、安心できる、平安をもたらすものになることができる。
彼女は自分の乳房はやぐら(ミグダール:5:13花壇)のよう、胸も成長して、愛する方の前に平安をもたらす者のようになった。
乳房、それは、子供を産んだ時に、子供に命与え、養うものである。
この男性にとっては、彼女は自分にとっては、花壇のよう、そして子供たち、赤ちゃんに、しっかりと命の養いができそうだ、ということが、安心に見えた。
私たちも、主にあって生まれ、主にあって育って行ったが、やがては私たち自身が、主人である主に安息を与え、霊的な子供たちの命の養いをさせてあげなくてはならない立場へとなっていく。
家族の人たちは、妹が乳房がない時から、縁談がある日まで守ってきたように、私たちも、養うべき子たちがおり、また乳房が育っていない、命の養いがまだ出来ないような未熟な信仰者を、しっかりと、かの日のために育てなければならない。
私たちはキリストの弟子を作るべきであり、その弟子の育て方とは、娘を立派な花嫁へと育てていく親のごとく、やがて嫁いで行くまことの花婿キリストに平安をもたらすようなものと成長させていくものである。
娘をしっかり守りやしない、やがて乳房も成長して、いのちの乳の養いが与えられるまでの、弟子を育てて行くのである。
11節と12節。
ソロモンにはバアル・ハモンにぶどう畑があった。彼はぶどう畑を、守る者に任せ、おのおのその収穫によって銀千枚を納めることになっていた。
私が持っているぶどう畑が私の前にある。ソロモンよ。あなたには銀千枚、その実を守る者には銀二百枚。
ソロモンは確かにバアルハモン場所に葡萄畑を持っていたでしょうが、収穫の時に、報酬を収めるようになっていた。
夫ソロモンは、彼女の乳房をぶどうの房のようとだと言って、それを求める様が書いてあった(7:7-8)。
彼女は、私自身、というぶどうの実を差し上げます、だから、私を守るもの、守ってきた者たちに、銀200枚を与えてください、要求しているのかもしれない。
私も、まことのぶどうの木である主の、ぶどう達を、しっかり守って育てる者のために、報酬を求めることができる。
彼女自身、幼い時は他人のぶどう畑を管理して来た(1章)。
その時彼女は、黒くなったと嘆いたか、しかし夫には、その経験が安心できる性質になった。
ぶどう園の主人は王であり、私たち働きびとは、それを管理する責任が任されている。
もし、ぶどう園を任されているのに、ぶどう園を私物化し、王に収めるべきものを王に収めないで、かえってその僕を打ち叩いたりするならば、そのような者は、やがてぶどう園から降ろされてしまい、もっと他の忠実な管理人に任されてしまう。
しかし、しっかりぶどう園を管理して30倍60倍、100倍の実を結ばせる者には、しっかりとした報酬が望める。
ソロモンの花嫁は、ソロモンにとって平安をもたらすものとなった。
まだ乳房が育っていない時から、家の者に守られて、やがて成長し、花婿の目に喜びとなり、平安をもたらすものとなった。
私達にも、主から任されているぶどう園があるはずである。
それは小さいぶどう園かもしれないが、それをしっかりと守っているならば、王の目に慕わしく、平安が与えられるような者となり、しっかりと報酬を求め、それに預かることができる。
私達自身、主の目に に有用な実を豊かに実らせるぶどうの枝となるべきである。
主の上に豊かな実を結ぶなら、この箇所7章の6節-9節のようになる。
7:6 ああ、慰めに満ちた愛よ。あなたはなんと美しく、快いことよ。
7:7 あなたの背たけはなつめやしの木のよう、あなたの乳房はぶどうのふさのようだ。
7:8 私は言った。「なつめやしの木に登り、その枝をつかみたい。あなたの乳房はぶどうのふさのように、あなたの息はりんごのかおりのようであれ。
7:9 あなたのことばは、良いぶどう酒のようだ。私の愛に対して、なめらかに流れる。眠っている者のくちびるを流れる。」
どうか、愛する花婿の主に対して、慰めとなる皆さんでありますように。
この箇所の最後、8:14節は、その花婿への愛の呼びかけで終わってい
私の愛する方よ。急いでください。香料の山々の上のかもしかや、若い鹿のようになってください。"
彼女が、私の愛する方、どうか急いでください、家で、奥まったところで2人きりでその愛を喜び楽しみましょう、と。
2章の8節9節のところにも、同じ言葉がある。
2:8 愛する方の声。ご覧、あの方が来られます。山々をとび越え、丘々の上をはねて。
2:9 私の愛する方は、かもしかや若い鹿のようです。ご覧、あの方は私たちの壁のうしろにじっと立ち、窓からのぞき、格子越しにうかがっています。
愛する男性が、元気に、かもしかや若い子鹿のように、岩山の上でも、遠い山でも、飛び跳ねて速やかに私のところに帰ってきてください、速やかに帰ってきて、共に愛の時を過ごしたいです、と言っている。
雅歌書は、この愛の言葉で終わっている。
私たちが持つべきもの、備えるべきことを、雅歌書は豊かに教えてくれた。
私達は、後に私が嫁がなくてはならない真の夫、イエス・キリストにとって、喜びとなり、安息を与える者として、立たなくてはならない。
そして、祈るべきである。
どんな事があってもよく対処できる者として、私たちの信仰が育ち、そして育った者として、大きな信仰と言う乳房をもって、主へと嫁いで行くことができるように。
そして後に、御言葉による聖なる乳を持って、霊的子供たちを育てることができまるように。
まだ乳房が育っていない状態なら、しっかり守り、見事、嫁がせて行く事ができるまで、育てられるように。
どうか皆さんも、花婿キリストにとって喜びとなり、またそのような娘を育て、また聖徒を育てて、さらに多くの報酬をいただいていく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します。
祈り
主の家で周りの兄弟姉妹を通して、良き学びを教えることができますように、忠実に学び、守り行うことによって、後に報酬を得る私たちでありますように。
私たち自身の信仰と希望と愛が、城壁のようにそびえ立って、やぐらのようにそびえ立ち、あらゆる困難、あらゆる事に対処できるまでに、私たちの信仰が大きく育ちますように。
この雅歌書を通して、私たちが実際的な夫妻として、結婚生活、夫であり妻である者たちの立ち振る舞いをあなたが学ばせてくださったことを感謝します。
雅歌書は最後、新郎から褒めたたえられて、本当に素晴らしい場面で終わることを見ました。
信仰によって褒めたてられて、新郎が安心する私たちでありますように。
悪の夫であっても真なるイエスキリストであっても、安心させることができるまでの進歩になられますように、整え祝福してくださることを感謝します。
私たちの歩みを通して祈りを通して、主の皆がほめたたえることを感謝して、イエス様の名前よって祈ります。