メッセージ - 私達・羊のためにいのちを捨てるまことの牧者キリスト(ヨハネ10:1-18)
私達・羊のためにいのちを捨てるまことの牧者キリスト(ヨハネ10:1-18)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » ヨハネによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2019-7-18 7:20
私達・羊のためにいのちを捨てるまことの牧者キリスト(ヨハネ10:1-18)
Youtube動画
【概要】
イエス・キリストは羊の門であり、良い牧者として私たちを救いへと導く
【聖書箇所】
ヨハネによる福音書10章1-18節
ヨハネによる福音書12章24-26節
【慰めの言葉】
イエス・キリストは私たちの名を呼び、罪から救い出し、永遠の命へと導いてくださる
【励ましの言葉】
イエス・キリストの声に聞き従い、従うことで、私たちも牧者となり、他の人々を導くことができる
【戒めの言葉】
偽りの教えや、羊の皮を被った狼に惑わされないよう注意する
【勧めの言葉】
自分の命を愛するのではなく、イエス・キリストに従い、永遠の命を得るよう励む
【悔い改めの促しの言葉】
自分の罪深い性質を憎み、イエス・キリストに従う決心をする
【***詳細***】
今日の箇所は、ヨハネによる福音書10章1-18節です。イエス・キリストは、ご自身が「羊の門」であり「良い牧者」であることを宣言されています。
まず、1-2節で「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。」とあります。ここでイエスは、正当な方法で羊の囲いに入る者と、不正な方法で入る者を対比しています。
4-5節では、「彼は自分の羊をみな連れ出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえってその人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」とあります。ここで重要なのは、羊が牧者の声を聞き分けるということです。私たちクリスチャンも、イエス・キリストの声を聞き分け、従うべきです。
7節で、イエスは「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。」と宣言されます。イエスは私たちが救いに入る唯一の門であり、イエスを通してのみ、私たちは救われ、安らかに生きることができるのです。
9-10節では、「わたしは門です。だれでもわたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」とあります。ここでイエスは、ご自身が来られた目的を明確に述べておられます。それは私たちに「いのち」、しかも「豊かないのち」を与えるためです。
11節で、イエスは「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」と宣言されます。ここでの「いのち」は、ギリシャ語で「プシュケー」であり、魂や心を意味します。イエスは私たちのために、ご自身の思いや願いを捨て、十字架にかかってくださったのです。
14-15節では、「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のために、わたしのいのちを捨てます。」とあります。ここでイエスは、ご自身と羊との関係が、父なる神との関係と同様に親密であることを示しています。
17-18節で、「わたしは自分のいのちを再び得るために、自分のいのちを捨てるのです。だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令を父から受けたのです。」とイエスは述べられます。ここでイエスは、ご自身の死と復活が、自らの意志によるものであり、また父なる神の命令によるものであることを明らかにしています。
さらに、ヨハネによる福音書12章24-26節も重要です。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」ここでイエスは、ご自身の死と復活を一粒の麦にたとえ、また私たちにも自己犠牲の精神を求めておられます。
【結論】