メッセージ - 「黙示録」から「啓示録」へ(啓示録1:1-3)

「黙示録」から「啓示録」へ(啓示録1:1-3)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2019-7-7 22:40

 主日礼拝

「黙示録」から「啓示録」へ(啓示録1:1-3)

第一礼拝 Youtube動画

賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 
 先週のコーエンジャパンでは啓示録(黙示録)を学んだ。啓示録というと、よく分からない、怖い、恐れ多い、といったイメージがあったかもしれない。なぜ啓示録が怖い、難しい書物のようになってしまったか。
 「啓示録」のギリシア語Αποκαλυψις(アポカルプシス)は元々、啓示、開示、公示の意味で、イエス・キリストより、ヨハネに示された啓示によって、天国が、終わりの時代が、教会への指示が開示された、というのに、これを「黙示」と訳し、意味が秘められたもの、隠されたもの、と解釈してしまったのだ。
 それでこの内容を読む時、何かぼんやりした影のように思い、ある人はああ解釈し、別の人はこう解釈して、異端がいいように利用し、人を惑わして来た。しかし啓示録はヘブライ思考(神中心・御言葉中心)に立つなら決して怖い・難しい書ではない。むしろ幸いに満ちた書である事を講義に参加した人は体験した。
 書いてある。『この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて(ヘ:シェマー)、その中に書かれていることを守る(ヘ:シャマール)者達とは、幸い(ヘ:バラク)である。時が近づいているからである。』(啓示録1:3)
 啓示録を秘められた書として開かなかった人達は、啓示録がもたらす「幸い(バラク)」の外にいた。しかし私達は今こそ、この預言の言葉を宣言し、聞き、行い、暗唱(食べる)して祝福にあずかるべきである。
 
 3節の状況、すなわち、預言の言葉を朗読する人と、それを聞いて守り行うべき人々がいる状況とは、教会での礼拝の場面である。啓示録の内容は、まずイエス・キリストから使徒ヨハネへ示され、それを手紙の形式で、七つの教会の「使い達(アンゲロス:牧会者)」へ送り、それを受けた牧会者は、教会の会衆の前でその一章から二十二章まで全部を宣言し、それを聞いた聖徒たちは、その内容にアーメンして、それぞれの生活の現場に帰って行った。聖徒たちは再び主日に集う日までの6日間、書かれていた内容をずっと心に留め、それを行い続けていた。そうしている内に、聖徒たちは啓示録の内容を覚え、やがては「交読」の形となって行った。啓示録の中には「アーメン」という応答が何度かあるが、それがその痕跡である。
 御言葉を宣言し、それにアーメンで応答する時、一人一人に聖霊ご自身が働き、それぞれに必要な養いをして下さる。そのような「聖霊牧会」があったから、激しい迫害の時代でも福音は莫大に広がり続けた。
 
 御言葉を宣言し、それにアーメンで応答し、それを守り行い続ける。それが本来の信仰生活である。このようにする人が「幸い(バラク)」と1:3に書かれてある。これは、申命記28章の祝福の法則と同じである。
 『もしあなたが、あなたの神、主の声に「よく聞き従い」、わたしが、きょう命じるすべての戒めを「守り」「行う」ならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。』(申命記28:1)
 祝福のための3つの動詞が、「聞く(シャマー)」「守る(シャマール)」「行う(アサ)」である。シャマールは、茨など棘のついた生け垣で囲う、という意味が転じて「守る」という意味になった。御言葉を聞き、それをシャマール(巡らす)すると、御言葉が世とサタンから守る。その防護壁が無い人は、世の有毒な情報や心を傷つける人間の言葉、サタンの誘惑や攻撃が、そのまま「ぐさっと」刺さってしまう。しかし思いと心を御言葉の垣根を巡らしているなら安全である。「行う」のアシャーは「する」の他、「つくる」、「(実を)結ぶ」の意味があり、天地創造の創世記1章では7回も使われている。御言葉は、「行う」事によって実が結ばれるのだ。
 
 啓示録10章に、御使いがヨハネに巻物を「食べなさい」と渡してヨハネが食べる場面がある。御言葉を食べるとは、暗唱(テフィリン)する事である。御言葉を一日三百回、声に出して宣言して「食べる」なら、御言葉の城壁がめぐらされ、世のどのような否定的な言葉からも守られる。そして啓示録をテフィリンするなら、多くの民族、国民、国語、王たちについて預言する、と書かれてある(10:10-11)。だからキム先生は、啓示録をテフィリンするように言っているのだ。テフィリン無しで世やサタンと戦おうとしても、銃の撃ち方を知らない人にいきなり銃を持たされるようなものである。宣言し、守り行う者こそ幸いなのだ。
 啓示録の最後は、主の「すぐ来る」という言葉と、聖徒たちの応答で終わっている。『これらのことをあかしする方が仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。(原文は最後に「アーメン」がある)』(22:20-21) 宗教改革以来、御言葉暗唱と、御言葉宣言と、応答とが軽んじられてしまっているが、今こそ、初代教会に息吹いていた暗唱と宣言に立ち返り、聖霊牧会の力ある養いを受ける皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

トラックバック

トラックバックpingアドレス トラックバックpin送信先urlを取得する
メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
このページを紹介!

 
 
 
礼拝週報
メッセージ音声
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2020/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

検索
Copyright ©Yokohama Voice of Christ Church 横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園?-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2022 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest