メッセージ - 祝福の実体を得るために必要なもの:信仰(ヘブル11:1-6)
主日礼拝
祝福の実体を得るために必要なもの:信仰(ヘブル11:1-6)
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週報/メッセージ(説教)概要
クリスチャン生活をする上で最も欠かせないものが、信仰である。今回は信仰について学びたい。
ヘブル書11:1に「信仰とは」何であるかが書いてある。『信仰(ピスティス)とは、望んでいる事がら(エルピゾー)を確信し(フポスタシス)、まだ見ていない事実を確認すること(エレグコス)である。』
ここの「望んでいる事がら」と訳された語は、エルピゾーの受動態分詞、フポスタシスとは「実質」「実体」「裏付けのあるもの」の事である。だから、ここを字義通り訳と、「信仰とは、(信仰者たちから)望まれている事がら(例:癒やし、必要の満たし、解放など)の、実体である」。すなわち、癒やしや、必要の満たし、解放など、人から「あってほしいな」と願われる事柄(エルピゾーの受動態)の実体化は、信仰によって、である。
裏を返せば、信仰が無い人は、いくら望んでも手に入らない、という事だ。聖書は「信仰をもって、こうすれば、こうなった」という事例の集大成であり、私達も聖書の記述を信じ、期待して行動するなら、そうなるのだ! 世の人は、目に見える証拠や実証を求めるが、聖書は「信じるなら得る」という法則である。『昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。』(2節) 『信仰がなくては、神に喜ばれることはできない』(6節)
イスラエル12部族中、最も多く土地を勝ち得たのは、ユダ族だった。ヨシュア記15章には、ユダ族が勝ち得た町々・村々のリストが、延々、63節に至るまで記されており、読むのも一苦労だが、それだけユダ族は、「あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与える」「あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもない」という、主の約束の御言葉を信じ、積極的に戦って行った結果、分捕ったリストを読み上げるのが大変な程に勝ち得て来たわけである。
私達も、聖書に記されている約束の言葉を信じて行動し、ユダ族のように実体として勝ち取って行くべきだ。
これと真逆を行ったのが、ダン族である。彼らもくじによって相続地を割り当てられたのに(ヨシュア記19:40-46)、彼らはヨシュアが生きている間に得た相続地を、原住民によって追い出されてしまった。相続地を原住民によって追い出された部族は、イスラエル部族の中で彼らだけである。(士師記1章)
それは、他人の信仰によって地を得ても、追い出すべきものをいつまでも追い出さず、信仰に立って動こうとしない「霊的怠慢」の結果だった。彼らはライシという所を偵察し、そこに攻め上ろう、と言ったが、その理由は、その地の人々は弱そうで、孤立しており、たやすく攻め落せそうだったからだ。(士師記18:8-10)
彼らはその時、取って付けたように「神はそれをあなたがたの手に賜わる」とも言ったが、そこは主がくじによって割り当てた地ではなかった。かつてヨシュアとカレブは、敵が巨体であろうと、城壁を持っていようと、「主が共におられるのだから、必ず攻め落とせる」と、信仰によって攻撃を仕掛け、実際に攻め落とした。
しかしダン族の考えは、全く逆だった。その地は、御言葉の約束外の、相続地としては示されていない地だったのに、相手が弱かったので楽勝し、そこに自分たちの部族名「ダン」という名をつけて、定住した。
しかし彼らは、そこに行く途中にあった家から、偶像やテラフィムと、その家の雇われ祭司(実は祭司ではなくレビ人)を強奪し、自分たちの祭司に仕立て上げ、偶像礼拝の体制を整えて、定住する事にした。
『ダンの人々は刻んだ像を自分達のために安置し、、、国が捕囚となる日にまで及んだ。』(士師記18:30)
彼らは、士師の時代が終わった後、他の部族が正当な信仰に戻っても、ダン族だけはシロやエルサレムに礼拝に行かず、イスラエル最北端の地で不当な礼拝をし続けていたのだろう。啓示録には、神の印が押されるイスラエル十二部族が出てくるが、そこからは、ダン族は、外されてしまっている。(黙示録7:4-8)
結局、「主が与えてくださった」という約束の御言葉を信じず、主から「しなさい」と言われた事をいつまでもせず、目で見て勝てる相手と戦って、御旨でない地を手に入れ、神の方法にかなわない自己流の礼拝を続けて行くなら、神が忌み嫌われる偶像礼拝へと落ち込み、ついには、祝福から外されてしまうのだ。
天の御国は、積極的に襲う者達によって、奪われていくものである。『バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。』(マタイ11:12)
目で見て勝てる相手と戦って、勝てない相手とは戦わないような不信仰は捨てて、御言葉の祝福を信じ、積極的に求め、信仰によって多くを勝ち取り、勝ち取った良き地のリストは読み上げるだけでも一苦労であったユダ族のように栄えて行くみなさんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!