メッセージ - とりなしによって罪が赦され癒やしが起きるメカニズム(ルカ5:17-26)
早天礼拝
とりなしによって罪が赦され癒やしが起きるメカニズム(ルカ5:17-26)
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昨日、働き人のお父さんの癒やしと、ご家族に福音を伝えるために、伊豆の病院へ向かった。
ICUは家族親類以外はだめなので、行っても中に入れるかどうかは分からなかったが、祈りつつ行ってみると、主の特別なはからいがあり、許可をいただいて入ることが出来た。
のみならず、通常は30分ほどしか許されていないICUの面会なのに、1時間半ほど居ても大丈夫で、じゅうぶん祈る事が出来た。
御言葉を耳元でささやくと、反応があった。
3人で手を置いて祈っていたら、冷たかった所が温かくなって来た。
また、体内に溜まって悪さをしていたガスが、口から「ゴポッ」と音を出しながら出て行っていた。
体は意識不明であっても、霊は確かに生きている。
霊と肉は、別物であるから(マタイ26:41)、意識不明であったとしても、信仰をもって語りかけるべきだ。
本人の信仰や祈りは0%でも、第三者の信仰やとりなしの祈りが100%で、癒やしが起きたケースが、聖書に幾つかある。
百人隊長のしもべの癒やし、会堂管理長ヤイロの娘など。これらの癒やしは、どのようなメカニズムで起きるのか。
次の御言葉を注目したい。
ルカ5:20 イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。
彼ら、それはこの中部病の人を運んだ4人である。イエス様は彼らの信仰を見て、「人よ(単数)」あなたの罪(複数)は、ゆるされた、と言った。
ここも、4人のとりなしのわざによって、イエス様に運ばれて、イエス様から罪のゆるしと、いやしのわざをいただいたケースである。
癒やしと、罪のゆるしは、切っても切り離せない関係がある。
ヤコブ5:14 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。
5:15 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
5:16 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。
罪のゆるしが起きてから、癒やしが起きる。ローマ6:23 罪の支払う報酬は死である、と書いてある。
原罪があるから罪々を犯し、病が起き、死ぬ。
犯してしまう罪々は、サタンにつかまれてしまう「取っ手」のようなもので、罪々を抱え持っているなら、サタンに掴まれ放題である。
しかし、罪の問題が解決されるなら、サタンの取っ掛かりはなくなり、病や死がその人を掴む理由を失い、いやしが、救いが湧き起きるための取っ掛かりを得る。
そして、その、第三者の罪の問題を解決させるのが、愛である。
中風病の人を担いだ4人のわざも、百人隊長のケースも、会堂管理長のケースも、全て、愛がいやしの原動力だった。
1ペテロ4:7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」
だから、愛をもったとりなしによって罪は覆われ、罪が覆われたなら、死が、サタンが取っ掛かりを失って、病は、簡単にはがれるようになる。
そして、癒やしが起きるのである。
ローマ6:23 罪の支払う報酬は死である。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
上記箇所の「罪」は単数形で、原罪、諸々の罪の根っこと言える。
罪々は愛のとりなしによって覆われても、この、原罪を取り扱えるのは、ただ主イエス・キリストの賜物(100%与えられるもの)であり、イエス・キリストを信じる事によってしか、救いは得られない。
だから、熱心に愛し合い、また、祈る事、聖徒の交わりが重要である。
私達が救われたいと願っている人が、イエス・キリストから罪のゆるしと癒やしをいただけるように、その人を運んで、屋根をはがして、4隅を吊るして、でも、イエス様の元に導くわざを、今日も、これからも行っていく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!