メッセージ - 神と人とが一つになるための条件:アーメン(ルカ1:26-56)

神と人とが一つになるための条件:アーメン(ルカ1:26-56)

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執筆 : 
pastor 2019-12-8 21:20

主日礼拝
神と人とが一つになるための条件:アーメン(ルカ1:26-56)
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週報/メッセージ(説教)

 マリヤは『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように』と信仰告白した(ルカ1:37-38)。主のご到来を待ち望むこの時、私達はどのような態度で待ち望むべきか。今回はマリヤから学びたい。
 
 前回、ザカリヤは、主の言葉を信じず、「私は何によってそれを知ることができましょうか」と、自分が理解する事を求めたため、口が閉ざされてしまった。それに対しマリヤは、神のことばが「成るように」と言って、主の言葉を100%受け入れた。エリザベツはそんな彼女を評価する。『あなたは女の中で祝福されたかた・・・ 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう』(42-45節)
マリヤも言った。『今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう』(48節) 全世界・全時代で一番幸いな人とは、神のことばを100%受け入れる人、すなわち、神の言葉に「アーメン」する人である。
神の言葉に対するアーメンは、本人自身と神の言葉とを「ひとつ」に結びつける意思表明である。
 マリヤは主を賛美している。『主は、憐れみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けて下さいました、わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とをとこしえに憐れむと約束なさった通りに。』(54-55節)
 主が助けて下さる相手は、「イスラエル」である、とマリヤは言った。「イスラエル」の名の意味は、神と苦闘する、すなわち、神と粘り強く関わろうとする人である。全て神と必死で関わろうとする人は、イスラエルであり、また、主がとこしえに憐れむ、と約束された相手は、「アブラハムとその子孫」である。私達も、神に粘り強く関わろうとし、また信仰の父・アブラハムの「子孫」となるなら、神は私達に憐れみを注ぎ、助けて下さる。
 
 私達の信仰の父・アブラハムは、なぜ義とされたか。それは、神の約束に対しての「アーメン」によった。
「アブラムは主を信じた(アーマン)。主はこれを彼の義と認められた。」(創世記15:6) ここのアーマンはアーメンの元となる動詞で、「建てあげる、サポートする、忠実にする、看護する」の意味もある。
また、この箇所では使役態が用いられているので、「アブラムは(自分自身を)主へと信じさせた」と訳せる。
 人が義とされるのは、本人自身の意思をフル稼働させ、自らを主へと信じさせ、自ら、主の言葉をサポートし、建てあげる事による。ダビデが『わがたましいよ、主をほめよ』と、たとえそのような気分でなくとも自分のたましいに言い聞かせ、主をほめたたえたように、自らを信じさせる事が、神に義と認められるのである。
 神の言葉は、にわかには信じ難い事ばかりである。そんな事は有り得ない、と思えるような事でも、自分の納得や理解は投げ捨て、神の言葉への「その通りです」を自分の中に建てあげ、自分自身を神の言葉と結びつけるなら、そのアーメンによって神の力のエンジンがかかり、絶対起こり得ない事が実際に起きる。
 しかし、ザカリヤのような、「わたしが理解できるよう証拠を見せてください、それなら信じます」と言うような心構えなら、前回見た通り、「口を閉ざされてしまうしるし」が与えられ、強制的に黙らされてしまうのだ。
 マリヤは彼女の讃歌の中で、主は、頭が自分の思いで凝り固まった者を追い散らされる、と歌っている。
 『主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王座から引きおろし・・・富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。』(51-53節) 主は、神の言葉を押しのけて、自分の思いを優先させ驕り高ぶっている者は、追い散らし、傲慢に富んでいる者は、何も与えないまま帰させる。
 
 期待しない、アーメンしないけど、祝福されている信仰者にはくっついて行って、利益を得ようとする者も、ちゃっかりと祝福を受ける。ロトは主とくっつく事はしないまま、祝福されているアブラムと行動を共にしてお金持ちになったが、結局、自分の目で見て良いと思う方に進んで行った。それで彼は、アブラハムと別れた後は、ただ落ちぶれるだけであったが、逆にアブラハムは、ロトと別れると直ちに祝福が増し加えられた。
 100歳のアブラハムに子が与えられたのは、100%神の力によった。マリヤがイエス様を身ごもったのも、100%神の力によった。いずれも、自身のアーメンの言葉によって神の力が働き、現実世界を動かしたのだ。
 聖書の一番最後は、聖徒による神の約束へのアーメンで締めくくられる(黙示録22:20-21)。創世記から黙示録までの、神の言葉の全てに対して「アーメン」があればこそ、聖書は、人を罪と死から救い、永遠のいのちを生きる神の力が発生するが、信仰者の側にアーメンが無いなら、ただの本に過ぎなくなってしまう。
 マリヤのように、アブラハムのように、神の約束に積極的にアーメンし、自分自身と神の言葉をひとつに結びつけ、神のわざの実体が現れる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

 

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