メッセージ - 未体験の莫大な恵みをいよいよ得るにあたって(エステル記5:1-5)
主日礼拝
未体験の莫大な恵みをいよいよ得るにあたって(エステル記5:1-5)
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週報/メッセージ(説教)概要
自分で努力して建てなかった素晴らしい町々や家々、自分で努力して植えなかった、素晴らしくて良い畑を与えるために、主の側は、いつでも準備が整っている。ただ私達の側が、それを受ける体制を整えなくてはならない。果たして私達は、今まで見た事も聞いた事も、手にした事も経験した事も無いような、素晴らしくて大きな栄誉を、また富を、力を、いよいよ得る準備は整っているだろうか? 今回、このような莫大な恵みを頂く性質とは何かを、エステル記を開いて、共に恵みを頂きたい。エステルは見事、王の心を射止め、王妃の座を獲得し、王から三度も「望むなら、王国の半分でも願いをかなえてあげよう」と言われた。
A,エステルの一番際立った性質は、「従順さ」である。彼女は霊的な育ての親・モルデカイに従順であったし、また、王の嗜好を熟知している宦官・ヘガイの言う事に従順であった。王妃の候補であった女性には、願うものはみな与えられ、それを持って王宮に行く事が出来たが、彼女は、ヘガイが勧めたもの以外は、何も求めなかった。それでエステルは、全て彼女を見る者に喜ばれた。(エステル記2:15)
願うものはみな与えられる、という場面であっても、自分の好むものは何も求めない。ただ、従うべき人の助言に従って、それを身に着け、王の喜びとなるものだけを求めた。私達も、自分の願望ではなく、霊的な助言に従って求め、王の王であるキリストの喜びとなる事だけを求めるなら、やがて莫大な恵みを頂ける。
B,『わたしがもし死なねばならないのなら、死にます』(4:16) この言葉は、王の次の権力者・ハマンが、ユダヤ人を絶滅させるための法律を、王に成り代わって発令した時、モルデカイが「王に直訴するように」とエステルへ求めた時の、彼女の言葉である。王からは呼び出されていない状態で、王の元へ行く事は、死ななければならないが、王の好意を得、王が笏を差し伸べるなら、その時は助かる。彼女は、それでも行った。彼女は、自分が王妃だという身分である事に安んじる事なく、神の民のために死ぬ覚悟を示したのだ。
C,『三日目にエステルは王妃の服を着、王宮の内庭に入り、王の広間にむかって立った。』(5:1)
エステルは死の覚悟の断食をし、三日目になった時、王妃としての権威を着て、王の居る方へと立った。
夫は、妻が従順を示し、夫の喜びとなる事をつとめ、「わたしはあなたのものです」と、その瞳でじっと見つめられると、夫は彼女を、ティルツァのように美しく、エルサレムのように愛らしく、そして、旗を掲げた軍勢のように「恐ろしい」と感じるようになる(雅歌6:1-10)。
エステルは、死を覚悟して、王妃の衣装を着、王の前に出て行った。その時のエステルは、どれほど王の目に美しく、愛らしく、そして、恐ろしく見えただろう。ここまでされると、王は、行動せざるを得ない。
D,王はエステルに好意を示し、金の笏を彼女へ差し伸べ、彼女は笏の頭に触れた。そして王は言った。
E,「王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう」。
以上が、エステル流の、手にした事も、経験した事も無いような、素晴らしく大きな栄光を頂く性質である。
王の王であられる主イエスと、聖霊のアドバイスに「A'.従順」であり、自分自身の欲求は、十字架の「B'.死へと明け渡し」、「C'.三日目に、王なるキリストから与えられている衣を着て、王の前に進み出る」のだ。
本来、聖なる聖なる王、主イエスの前にそのまま進み出るなら、死ぬ以外には何も無い。しかし、私達がA'-C'を保って進み出るなら、「D'.主は私達に好意を示し、その支配の象徴である、鉄の杖を差し伸べて下さる。」私達もその杖の頭に触れ、そうして、私達にも諸国を支配する権威が与えられる。(黙示録2:26-27)
そうすると、王は言われる。「E'.あなたが望むなら、王国の半分でも、願いをかなえてあげよう」、と。
しかし、国の半分でも与える、という言葉を頂いた時、有頂天になって、さっさと調子に乗ってはならない!
エステルはさらに奥ゆかしく、「もしも王様がよろしければ、宴会に、ハマンと一緒に起こし下さい」と言った。
彼女の中では、心底、王の喜びとなる事が、優先なのだ。いかに、自分の民族を滅ぼし尽くそうと企んだ、あの汚らわしいハマンを一緒に招かなくてはならない、としても。それほど、エステルの心は、王を喜ばせたい、という一心だった。全く見せかけではない、その「美しい性質」こそ、真に自分のものとすべきだ。
そのためには、日頃から、この王として、また王妃としての、優雅な美しい素養を培っていなくてはならない。
見た目にも、心の中も、立ち居振る舞いにも、言葉遣いも、タイミングも、気品においても、全てにおいて美しいエステルのように、柔和な、穏やかな、心の中の隠れた人柄を飾りにする皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!