メッセージ - 幸いを得る主の民と、災いが降る神を蔑む者(詩篇70篇)
詩篇 講解説教
幸いを得る主の民と、災いが降る神を蔑む者(詩篇70篇)
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詩篇70篇表題『聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの記念の歌』
・「記念の歌」と訳された語レ・ハズキール(原型ザカール)は、「覚える」事の意味。
・1歴代誌16:4には、ダビデがエルサレムに契約の箱を運び入れた時、主を「覚えて(レ・ハズキール)」聖歌隊を初めて編成した記述があり、以降、詩篇をもって、主の前にいつも賛美が捧げられるようになった。
・ダビデは1節で、主に対し、すみやかな救いを求めて、最後の5節で繰り返している。それにサンドイッチされた”中身”は、2-3節と4節で分けられる。
・この詩篇70篇は、ダビデ一人のものではなく、全て、主を助けとし、救い主とする人達(5節)のものである。
・2-3節において、ダビデは、彼に良くない事をする者どもが、**となるように、という祈りを3つしている。すなわち、
1,彼ののいのちをたずね求める者どもが、恥じ慌てるように。
2,彼の損なわれる事を願う者どもが、うしろに退かせ、恥を負わせられるように。
3,彼に向かって「あはぁ、あはぁ」と言う者どもが、自分の恥によって恐れおののかせられるように。
・これは、ダビデに嫌な思いをさせる者に災いが降るように、といった、単純な負け犬の遠吠えのようなものと考えてはならない。
・イエス様は、敵の祝福のために祈るように、と言われたが、例えば、神を蔑む者にとっての祝福は、神への蔑みが成功する事だと思っているであろうが、彼にとっての真の祝福は、永遠の滅びに至らないために、神への蔑みや、呪いをもたらすわざを、止める事である。
・神の民ののいのちをたずね求める者どもが、恥じ慌てる事、また、神の民の損なわれる事を願う者どもが退かせられ、恥を負わせられる事、また、神の民に向かって「あはぁ、あはぁ」と言う者どもが、自分の恥によって恐れおののかせられる事が、実は、彼らにとって、祝福なのだ。それによって、彼らが永遠の滅びに通じる性質を止めるようになるからであり、それによって、主が蔑まれる事がなくなるからだ。
・だから私達も、神が侮られないために、神の民に敵対する者に対し、積極的にダビデのような祈りをするべきなのだ。
・4節では、主の民の祝福を2つ祈っている。すなわち、
1,すべてあなたを尋ね求める者は、主によって喜び楽しむように。
2,あなたの救を愛する者は、常に「神は大いなるかな」ととなえるように。
・主の民が祝福され、高められていく事、そして、主を蔑む者達が災いに遭う事は、すなわち、父なる神が、栄光をお受けになる事である。次のように書いてある。
イザヤ65:13 それゆえ、主なる神はこう言われる、「見よ、わがしもべたちは食べる、しかし、あなたがたは飢える。見よ、わがしもべたちは飲む、しかし、あなたがたはかわく。見よ、わがしもべたちは喜ぶ、しかし、あなたがたは恥じる。
65:14 見よ、わがしもべたちは心の楽しみによって歌う、しかし、あなたがたは心の苦しみによって叫び、たましいの悩みによって泣き叫ぶ。
65:15 あなたがたの残す名は/わが選んだ者には、のろいの文句となり、主なる神はあなたがたを殺される。しかし、おのれのしもべたちを、ほかの名をもって呼ばれる。
65:16 それゆえ、地にあって/おのれのために祝福を求める者は、真実の神によっておのれの祝福を求め、地にあって誓う者は、真実の神をさして誓う。さきの悩みは忘れられて、わが目から隠れうせるからである。
・最後にダビデは、自分が主に属する者であると告白し、1節の祈りを繰り返している。
詩篇70:5 しかし、わたしは貧しく、かつ乏しい。神よ、急いでわたしに来てください。あなたはわが助け、わが救主です。主よ、ためらわないでください。
・主は言われた。心の貧しい者(原文:霊においてこじきである者)はさいわいである、天の王国は、その人のものだから、と。なぜなら彼らは、自分の力ではなく、ただ主により頼んでいるからである。ダビデは、自分が貧しく乏しい、だから主よ、あなたが必要です、と告白した。主は、そのような人にこそ、助けを送ってくださる。
・ダビデは、主に、急いで来てください、と祈った。これは全て聖徒たちの祈りである。
黙示録22:17 御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。
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22:20 これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。