メッセージ - 大いなる祝福を受ける準備は出来ているだろうか(申命記6:10-19)
主日礼拝
大いなる祝福を受ける準備は出来ているだろうか(申命記6:10-19)
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週報/メッセージ(説教)概要
今回の箇所は、ユダヤ人が毎日宣言しているシェマー本文(第三テフィリン本文)の直後に記されている、テフィリンを守った人に約束している祝福の内訳である。すなわち、テフィリンする人には、自分で建てていないあらゆる良い物が満ちた町々や家々、掘らなかった井戸、植えなかったぶどう畑やオリーブ畑を得、食べて、満ち足りる…。誰もがうらやむ内容だが、それを得た時こそ、気をつけなくてはならない、と言われている。その祝福が与えられるのは、その人をリッチにして安住させるためではなく、むしろますます主を敬い、主と共に歩み、与えられた良いものを用いて、主の栄光を世界へとあらわし伝えていくためである。
大きな祝福は、それを受けるに値すると主が判断した人に、すなわち準備が整えられた人に与えられる。
ユダヤ人は毎日テフィリンし、祝福の法則である御言葉を心と脳に刻みつけている。だからこそ、知能が祝福され、大いに富まされ、少人数であるのに、世界をほぼ牛耳っている。それでいて、表舞台で直接支配するでなく、また羽目を外して豪遊するでもなく、むしろ、得ている富を秩序正しく用い、諸々の良い事業や活動で世界に貢献している。それは彼らは、幼い時からテフィリンしていて、「整えられていた」からだ。
初期のソロモン王は、なぜ、豊かな知恵が与えられ、富において、名声において、世界にとどろく”成功者”となったのか。それには理由がある。主が彼に、『あなたに何を与えようか、求めなさい』と言われた時、「知恵」が与えられるよう願って、主に喜ばれた事は知られているが、その「知恵」の内訳は「シャマーの心(聞きわける心、従う心)」であり、彼がそれを求めた動機も、ただ自分のためではなく、王として、神の民を正しく取り仕切り、何が正しく、何が間違っているのかという、わきまえを得るためであった。(1列王記3章)
知恵の本質とは何か。正しい「取り仕切り」は、どうすればできるか。それは、自前の知性を高めて思考するのではなく、シャマーする心、すなわち、主から聞き、御言葉から聞き、聖霊から聞き分け、聞いたら、それに従う心、である。それによって、私たちに日夜来るさまざまな物事を、正しく取り仕切る事ができるのだ。
上から与えられる知恵、すなわち主のアドバイスこそ、価値あるものであり、地上に生きる自分由来の判断は、糞土である。パウロは、イエス様の知識の素晴らしさを知ってしまった以上、自分に生まれ持って与えられた、人間的な知恵や血筋、熱心は、損だ、損どころか、糞土のようだ、とさえ言った(ピリピ3:7-9)。
知るべきである。自分由来の判断や、知恵、知識、経験は、糞土だと。ただ主イエス様に由来する、上からのアドバイスこそベストであり、何よりも尊く、それに「聞き分ける心、従う心」こそ、主に喜ばれる。それを私達も求めるなら、ソロモンのように、こちらが求めてもいないのに、力も、富も、勝利も、主が与えて下さる。
そうして、それらの祝福が与えられたなら、主から離れず、主と共に歩み続けるべきである。『もしあなたが、あなたの父ダビデの歩んだように、わたしの道に歩んで(ハラク)、わたしの定めと命令とを守るならば、わたしはあなたの日を長くするであろう」。』(1Ki3:14) 主と共に歩み(ハラク)続ける。これこそ、主から知恵や力、富、栄誉が与えられ続ける秘訣である。そうするなら、栄えといのちは長く続く、と主は約束された。
ソロモンは、主の御声に聞き従い(シャマー)、主と共に歩み(ハラク)続ける限り、どんどん栄えて行った。
しかし残念ながら、彼は、後にイスラエルに偶像礼拝を導入し、虚しさの極みで人生を終わってしまった。
一体何が、彼をそんなに悪くしてしまったのか。それはずばり、異邦の女との結婚である。結婚とは相手と一つからだとなる聖なる契約であり、相手と一つ価値観となり、共に同じように生き、共に同じ永遠の家へ行く決意をもってするべきものだ。だから私達は、一つとなって連合する相手によくよく注意すべきである。
主は、多くのことを任せるに値すると判断した人に、多くを与えられるが、整えられていない人に大きな事を任せる事は、なさらない。聞き分ける心、従う心をもって、小さな事への忠実を積み重ねて行く人に、主は徐々に大きな事を任せ、地位において、富において、富んだものとなって行く。
しかし、富を得たとたんソロモンのように傲慢になり、欲望に身をまかせ、連合してはならない相手と一つになったり、主に聞き従うのでなく連合相手に聞き従っていくなら、ソロモンのように祝福を失い、全てが虚しくなってしまう。私達は今から、しっかりシュミレーションし準備しておくべきである。自分で建てなかった町々や家々、掘らなかった井戸、植えなかったぶどう畑やオリーブ畑を得た時こそ、それを用いて、さらに主に従順し、大いに栄光を捧げていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!