メッセージ - イエス・キリストの系図に入る性質と、除外される性質(マタイ1:1-17)
主日礼拝
イエス・キリストの系図に入る性質と、除外される性質(マタイ1:1-17)
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週報/メッセージ(説教)概要
全ての人を救う神の御子、救い主イエス・キリストのご降誕を待ち望むアドベント(降誕節)が始まった。
キリストの福音が記されている新約聖書で、真っ先に書かれた内容は、キリストに至るまでの系図であった。
系図に記されている多くの人々の名。これはまさに、神が私達・人の救いに関わって下さった、歴史である。
神はまず、アブラハムに歩み寄られた。彼が75歳になった時、神は「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。」と声をかけ、アブラハムはそれに従った。(創世記12章)
人が神に呼び出され、自分の生来で生きる事を離れ、神に導かれて行く。これが神の贖い歴史の始まり、救い主イエス・キリストへ通じる栄光の系図の始まりで、その性質をイサク、ヤコブ、ユダが受け継いで行く。
このマタイの系図の特徴的な点は、本来なら入るはずもない女達も、系図に加えられている所である。
ユダが異邦の女と結婚してアブラハム以来の信仰の家系を絶やしそうになった時、タマル(3節)は遊女の格好までしてユダとの間に子をもうけたが、子を残す営みを侮った異邦の女の子供達は家系から絶えた。
「サルモンはラハブによるボアズの父」(5節a) ラハブは本来、滅ぼされるべきカナンの遊女だったが、罪にまみれた都の中から、神の民にあこがれ、主は彼女のあこがれを天から見ておられ、イスラエルの二人の斥候を彼女の家へ遣わした。その時、ラハブは彼らに「あなた方の神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられる」(ヨシュア2:11)と告白した。それで彼女は、罪深い都が滅ぼされる時、一緒に滅ぼされる所を免れ、救われ、ユダの子孫サルモンと結婚して、栄光の家系へと入った。そうしてボアズが生まれた。
「ボアズはルツによるオベデの父」(5節b) ルツも、本来イスラエルに加えられてはならないモアブの女だったが、彼女の義理の・母ナオミから、イスラエルの神を教えられ、この神にあこがれ、「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」と告白し、神の民の中に入って来た(ルツ記1章)。ルツがナオミのために落ち穂を拾いに行く時、神は彼女をボアズの畑へと導き、そうしてルツとボアズは出会って、結婚した。
こうしてオベデが生まれ、エッサイが生まれ、そしてダビデ王が生まれた。まことに主は、全人類一人一人の思いを読んでおられ、その心が主と一つになっている人に、御力を現して下さるのだ。(2歴代誌16:9)
「ヨラムはウジヤの父」(8節)と記されているが、第2歴代誌22-25章を見ると、ヨラムとウジヤの間には、アハズヤ、ヨアシュ、アマツヤの3人の王がいたはずだが、彼らはこの系図から、除外されている。
アハズヤは、主に逆らう母の助言に従って主を捨て、殺された。ヨアシュは、祭司エホヤダの助言通り生きていた時は大いに栄えたが、祭司が死んだ後、主に従わない者の助言に従って主を捨て、謀反にあって殺された。アマツヤは、初めは主に聞き従って祝福されたが、傲慢になって偶像礼拝するようになり、預言者にも逆らい、謀反にあって殺された。これらは、栄光の系図から、名前を除外されてしまう性質である。
「ヨシヤはバビロンへ移されたころ、エコニヤとその兄弟たちとの父となった。」(11節) 実際にはヨシヤとエコニヤの間や後にも王がいるのに、彼らも系図から除外されてしまっている。いずれも除外されて然るべき性質だったからだ。系図に載っている王達も、途中から傲慢になって主を怒らせたり、あるいは、初めから終わりまで主に逆らって、主を怒らせた王の世代が、ずっと続いたので、ついに、バビロン捕囚となった。
バビロン捕囚以降、イスラエルの王座につく者は、今に至るまで、一人もいない。しかし主の恵みは、ずっと注がれ続けていた。旧約聖書最後のマラキ以降、預言者は途絶えて四百年、民は神を求め、救いを求める祈りが積まれ、それが天に達した時、ついに神は、ダビデの子孫からイエス・キリストをおこされた。
『アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である』(17節) 十四は、ヘブライ語のゲマトリアではダビデの数字で、ダビデの名の意味は、「愛された」である。すなわち主は、アブラハムからダビデの時代も、また主に反逆し続けた歴代の王たちの時代も、バビロン捕囚の暗黒の時代も、主の民をずっと「愛され」続けたのであり、その究極の愛の形として、イエス・キリストを、赤ちゃんとして、この世にプレゼントされたのだ。
イエス・キリストの系図。この系図にいたはずの名が除外されてしまっていたり、本来系図に入るはずもなかった名が記されていたり…。これは、私達へのメッセージである。自分の生来に生きる事を止め、主にあこがれ、神の言葉に導かれて生きるなら、私達もその系図に加わる事ができる。しかし神を軽んじて生きるなら、除外されてしまう。イエス・キリストの家系に入り、栄光の歴史を紡いでいく皆さんでありますように!