メッセージ - 宇宙で最も尊い奇跡に居合わせた博士たちの性質(マタイ2:1-12)
主日礼拝
宇宙で最も尊い奇跡に居合わせた博士たちの性質(マタイ2:1-12)
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週報/メッセージ(説教)概要
アドベント(降誕節)第三週に入った。福音書記者マタイは、イエス様こそ救い主メシヤ(油注がれた方)である事を証明するために、まず系図を引用し、さらに、イエス様がお生まれになった時に起きた事は、全て、預言の成就だったという事を、多くの箇所を引用して証明している(マタイ1:22,2:5,15,18,23)。
イエス様がお生まれになった時、東方から博士たちが来訪し、エルサレムに来て言った。『ユダヤ人の王としてお生れになった方は、どこにおられますか。私達は東の方でその星を見たので、その方を拝みにきました。』(2節) この博士達は、王のような高い地位だったと言われており、以下の預言の成就と言える。
『起きよ、光を放て…主の栄光があなたの上に昇ったから。見よ、暗きは地を覆い、闇は諸々の民を覆う。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。国々はあなたの光の内に歩み、王達はあなたの輝きに照らされて歩む。目を上げて、辺りを見よ。彼らはみな集まって、あなたの元に来る…これらシェバから来るものは皆、金と乳香を携えて来て、主の奇しいみわざを宣べ伝える。』(イザヤ60:1-6)
メシヤを示す星が現れた時、博士達は日常の色々な業務を脇に置いて、具体的な行き先も知らないまま、高価な献げ物を携えて故郷を出た。強盗に遭うかもしれないし、ナビゲーションも無い。ただ星の光だけが頼りである。迷子になってメシヤに会えなかったり、途中で死んでしまう危険もある。それでもなぜ来たのか。
博士達は、私達は「拝みに(プロスクネーオ)」来た、と言った。プロスクネーオは「プロス(前に)」+「クオン(犬)」で、犬が喜んで主人の手をしきりに舐める様子から、ひれ伏す、拝む、礼拝する、の意味となった。
ツロ・フェニキヤの女は、「小犬(クナリオン)も、その主人の食卓から落ちるパンくずは頂きます」とイエス様に食い下がったため、癒やしをいただいた。異邦人といえど、小犬のように、主を慕い求め礼拝する人に、主は奇跡を現して下さる。なんとしても主を仰ぎ見たい、という思いをもって、捧げものを準備し、遠くであろうが、どこへ行くのか分からなかろうが、礼拝へと向かう礼拝者を、決してむなしくさせないお方である。
しかし世の中には、メシヤの光を歓迎しない者達もいた。『ヘロデ王はこの事を聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。』(3節) 光を憎み、恐れ、闇を愛する人の本質は、「悪」である(ヨハネ3:19-21)。ヘロデ王は、王座を脅かす恐れがあるなら、妻であろうと子であろうと、処刑するような者で、その王宮は、彼に取り入って利益を得ようとする者達であふれた魔物の住処のような場所だった。そんな彼らには、預言されていた王など、来てもらっては困るのだ。だからヘロデは、博士達に「自分も行って拝むから、詳しく調査して欲しい」と言いつつ、密かに殺そうとした。しかし主は全て見ておられ、彼にそれが叶わないと分かると、彼はベツレヘム周辺の2歳以下の幼児を皆殺しにするという、大それた事をするのだ。
王宮を出た博士達の頼りは、再び星だけになってしまった。しかしなんと、星が彼らを先導し、幼子のいる所の上に留まったのだ!彼らは、はなはだしく大きな喜びを喜んだ(10-11節直訳)。まさに宇宙規模の喜びである。神が、ご自身を慕い求めて礼拝する人に用意しておられるわざは、人知を遥かに超えている。
万物を支配しておられる神の御子が、密かに、片田舎の馬小屋に赤ちゃんとして降りて来られ、しかも、飼い葉桶に宿られた。これこそ宇宙で最も尊い奇跡である。「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(11節)
このささやかな礼拝は、永遠の記録として残された。彼らはアブラハムのように、行き先も知らず、ただ星の光だけを頼りに出て来た結果、主は、星を動かしてまで導き、赤ちゃんイエス様と出会わせて下さった。
そのかたわら、下心をもって博士たちを利用したヘロデ王は、全ての企みを暴露され、博士たちにも幼子にもスルーされ、怒った挙げ句、その地方の赤ちゃんを全員殺す暴挙に出たが、そのすぐ後に、死んだ。
今、この時代も、闇が覆っており、諸国の民は、闇の中にいる。しかしそんな時代でも、天を見上げ、イエス・キリストの光に導かれて行く礼拝者を、主は、宇宙規模の奇跡と、大きな喜びを用意しておられる。
この時代、私達は、恥じることなく、天を見上げ、主の光に導かれて行こう。どんなに闇が深くとも、主の光は必ず輝き出て、どんなに偽りで塗り込まれようとも、必ず真理が勝利する(ヨハネ1:5)。起きて光を放ち、栄光の歴史を紡いでいく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!