メッセージ - 尊い命を、戯れや気まぐれでひねり潰すような事は、決してお許しにならない主(詩篇76篇)
尊い命を、戯れや気まぐれでひねり潰すような事は、決してお許しにならない主(詩篇76篇)
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- 執筆 :
- pastor 2021-2-22 19:00
詩篇 講解説教
尊い命を、戯れや気まぐれでひねり潰すような事は、決してお許しにならない主(詩篇76篇)
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詩篇76篇表題は、『聖歌隊の指揮者によって琴にあわせてうたわせたアサフの歌、さんび』であるが、70人訳の表題には「アッシリヤについて」という説明が付けられており、この詩篇は、アッシリヤがエルサレムを包囲した、ヒゼキヤ王の時代が、背景にあると考えられる。
詩篇76:1 神はユダに知られ、そのみ名はイスラエルにおいて偉大である。
76:2 その幕屋はサレムにあり、そのすまいはシオンにある。
ユダ、イスラエルは、いずれも神の民であり、サレム、シオンは、いずれも神の民が住む聖なる都、現代でいう、教会である。
なぜなら、教会と訳されたギリシア語・エクレシアは、元々「召し出された者達」という意味であり、すなわち教会とは、建物や場所というよりも、むしろ、神様から呼び出された人々をあらわすからだ。
なお、サレムはエルサレムの古い呼び名で、アブラハムの時代、サレムはメルキゼテクという神様の祭司が、王として治めていた事が、創世記14章に記されているが、ヘブル書によると、メルキゼデクはイエス・キリストである事を示している。
教会は、イエス・キリストが王として、また祭司として治める神の民、また場所なのだ。
ゆえに、この詩篇は、現代の私達・神様を礼拝する教会と、その聖徒たちに直接関わる内容である。
神様は、昔も今も変わらず、圧倒的な力をもって、神様を恐れ敬う人々を救い、しかし主の敵に対しては、恐ろしいお方だ。
詩篇76:3 かしこで神は弓の火矢を折り、盾とつるぎと戦いの武器をこわされた。〔セラ
神様は、神の民に敵対する、あらゆる兵器を破壊される。
そして神様は、私達・神の民にとっては、鋭い矢であり、盾であり、剣であられる。
実際、神様は、アッシリヤの18万5千の軍勢を、たった一人の御使いを遣わして、たった一晩で滅ぼした。
詩篇76:4 あなたは永久の山々にまさって/光栄あり、威厳があります。
「永久の山々」は、70人訳での表記で、ヘブライ語聖書では「えじきの山」となっている。
何が「えじき」となったのか。それは、アッシリヤだ。
なぜアッシリヤは、えじきとなったのか。
それなりの理由があるからだ。
アッシリヤは当時、残虐な方法で諸国を震え上がらせ、恐怖によって国々を支配して来た。
一時は、預言者ヨナの警告でへりくだり、悔い改めたが、すぐ、その心をひるがえして傲慢になり、ヒゼキヤ王の時代には、イスラエルの神様に対して大口を叩くまでになった(イザヤ36-37章)。
それで神様は、アッシリヤを、「えじきの山々」で裁かれると言われる。
イザヤ14:25 わたしはアッスリヤびとをわが地で打ち破り、わが山々で彼を踏みにじる。こうして彼が置いたくびきは/イスラエルびとから離れ、彼が負わせた重荷は/イスラエルびとの肩から離れる」。
主は確かに、ヒゼキヤのように、主に助けを呼び求める人々に、答えてくださる。
たとえ、アッシリヤのような、圧倒的な力と残虐さを持って向かって来ても、その人が、主に助けを呼び求めるなら、主は助け、救って下さる。
詩篇76:5 雄々しい者はかすめられ、彼らは眠りに沈み、いくさびとは皆その手を施すことができなかった。
76:6 ヤコブの神よ、あなたのとがめによって、乗り手と馬とは深い眠りに陥った。
エルサレムを包囲したアッシリヤの軍勢18万5千だったが、この節によると、その軍勢が滅ぼされた時、彼らは眠りこけるように横たわっていたようだ。
それも、人間だけでなく、馬までも。
6節の「深い眠り」は、ヘブライ語ではラーダム、原意は「気絶させる」事で、速やかに深い睡眠へと、あるいは、死へと落とし込まれる事を意味する。
ちなみに、創世記2:21にて、神様がアダムに深い眠りで眠らせ、彼の脇腹を元にして女を造られた場面では、「ラーダム」から派生した「タルデマール」(昏睡状態、トランス状態的な深い眠り)が用いられている。
詩篇76:7 しかし、あなたこそは恐るべき方です。あなたが怒りを発せられるとき、だれがみ前に立つことができよう。
原文では「あなた(アター)」が反復され、「あなた(神様)」の恐ろしいまでの力が、強調されている。
確かに神様は恐るべきお方であるが、気まぐれや戯れで簡単に人を殺したりするようなお方ではない。
映画や、ゲーム、マンガ等では、魔法や超能力的な力を持った者が、大勢の人々を一瞬で次々殺すような場面を、目にするかもしれない。
言うまでもなくその創作物は、人の想像の中にあるだけで、現実世界には決して起こらない。
なぜなら、いのちを大切にしておられる主は、生きておられ、たとえ、誰かが超能力を得たとしても、神様の尊い似姿である命を、戯れや気まぐれにひねり潰すような事は、決して、お許しにならないからだ。
御霊が無い人は、願望する。憎たらしい相手を、思いのままに、一瞬にして、むごたらしい方法で、抹殺できないだろうか、と。
しかし、現実世界で、そんな事はできない。できない理由は、神様が許可しておられないから、であるが、その事を彼らは知らない。
できないから、それを、デザイナーやクリエイターは、映画やゲーム、マンガなどで表現する。
それは、人を貶めたい欲求を持つサタンが、彼らに吹き込んだ、偽りのイマジネーションである。
クリエイターを目指す人は、特に、そういう方面の闇に、陥りやすく、それを創作する人も見る人も共々、それを見る事で、鬱積した情緒の解放が起こり、また、怖いもの見たさを求める心情もあって、そういったホラーもの、残虐ものというジャンルが、いつの時代でも流行るものである。
そして、そのような、悪魔サタンの願望と、常に同調している人は、悪魔や、悪霊からインスピレーションを浴び続け、悪霊との交流をいつも続けているために、霊的・身体的な障りが起こったり、その人の運命にも、どんどん不調があらわれ、ついには、悲惨な死へと導かれてしまう。
反キリスト的な、あるいはホラーもののアーティストやクリエイターに、悲惨な、あるいは不可解な死が多いのは、そのためなのだ。
そこから唯一、救い出せるお方がおられる。
救い主イエス・キリストであり、そして、まことのクリエイターであられる神様である。
愛であられる主、すなわち、全被造物のまことのデザイナーであり、クリエイターであられる主は、人に、神様の似姿としての尊厳を与えられた。
創世記1:27 神様はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神様のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
その故に、神様は、人の命の尊厳を汚したり、いたずらに殺す事は、お許しにならない。
創世記9:6 人の血を流す者は、人によって、血を流される。神様は人を神様のかたちにお造りになったから。
天地を創られた主は、いかに悪辣な人であっても、悔い改めて主に立ち返る事を望んでおられ、気まぐれや戯れで人の命をもてあそぶなど、一切、心に無いお方なのだ。
エゼキエル18:31 あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
18:32 わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからです。――神様である主の御告げ。――だから、悔い改めて、生きよ。
しかし、たまにある種の人を、殺さざるを得ないくなる時がある。
それは、あまりに悪辣な人で、多くの人々を罪へと不幸へと陥れ、その人を生かしていたら、もっと多くの人を罪に陥れ、また地獄へ導いてしまうような。
そういう者を、殺さなければならない場合でも、主は、天上会議をわざわざ開いて、そうそう簡単に殺すという事はしない。(1列王記22章)
詩篇76:8 あなたは天からさばきを仰せられました。神様が地のしえたげられた者を救うために、さばきに立たれたとき、地は恐れて、沈黙しました。〔セラ
ヒゼキヤ王は、常に神様に信頼し、祈り求め続けた故に、神様は救いの行動を起こされ、アッシリヤの軍勢を滅ぼされた。
諸国の民はそれを聞いた時、イスラエルとヒゼキヤ王を恐れた。
76:10 まことに人の怒りはあなたをほめたたえる。怒りの余りをあなたは帯とされる。
いかに力強い相手が、怒り狂いつつ、神の民を攻撃するとしても、神様は、その怒る者をも用いて、今まで御力と栄光を現して来られた。
当時のアッシリヤに対して、そうだったし、また、エジプトのパロに対しても、そうだった。
76:11 あなたがたの神様、主に誓いを立てて、それを償え。その周囲のすべての者は/恐るべき主に贈り物をささげよ。
76:12 主はもろもろの君たちのいのちを断たれる。主は地の王たちの恐るべき者です。
「もろもろの君たちのいのちを断たれる」の「いのち」はヘブライ語でルアッハ、すなわち、霊である。
主は、地の支配者たちの誇り高ぶった精神様を打ち砕かれるお方であり、また、肉体だけでなく、たましいも、霊も、共にゲヘナに投げ込む権威を持っておられるお方である。
実際、黙示録に、それが記されている。
黙示録20:7 千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。
20:8 そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。
20:9 彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲しました。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。
20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられる。
今の時代、映画やゲーム、マンガなどに、邪悪なイマジネーションを吹き込み、多くのクリエイターや、その作品を視聴する人たちを惑わした、悪魔や、悪霊は、永遠に、火と硫黄の池に、投げ込まれる、と書いてある。
主は、人の尊厳をけなす悪霊やサタンや、主に敵対する、全ての者に対しては、まことに恐ろしいお方であるが、愛であられる主は、悪人が救われるように、悔い改めて主に立ち返るようにと、忍耐をもって、待っておられる。
主は実に、ノアの洪水を起こすまでに千年以上も待たれたが、結局世界には、悪辣ではない人はノアの家族8人しか残らなくなってしまった故、彼らを救うために、大洪水を起こされた。
主は、誰も滅びる事を望んではおられない。
この世界を、また多くの人々を、主の御言葉に従って救うために、主と豊かに交わり、主の御心を行う皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!