メッセージ - 栄光に満ちた神の都シオン(詩篇87篇)
主日礼拝
栄光に満ちた神の都シオン(詩篇87篇)
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週報/メッセージ(説教)概要
成田エクレシアは本日より、礼拝する場所を新しい所に移してスタートする事となった。整えの祈りをするために行ってみると、既に清らかに整えられていて、主がここに目を留めておられた事を共に喜び合った。
成田エクレシアや天声教会を思う時、いつも出てくる賛美は、韓日讃頌歌245番「栄に満ちたる」である。
1,主の栄光に満ちていて、主がいしずえを堅く置いておられ、救いの石垣に高く囲まれ、御民の平安が、決して乱されない教会。 2,主の尽きせぬ愛が源流となって、流れてくるいのちの泉は豊かに湧き出て、汲んでも汲んでも尽きないため、御国の世継ぎ達は決して渇かず、溢れる恵みに、絶えず潤っている教会。
3,御恵みを受けつつ生きる御民は、はかない楽しみや、虚しい富、奢り高ぶる世人のあざみに会っても、全く動じず、この上ない喜びは、全く変わらない。このような教会となりますように、と、いつも祈りが出てくる。
この幸いは、アブラハムの祝福が、子へと、孫へと、子々孫々が、どんどん増えて行くほどに、どんどんバージョンアップし増し加わって行く祝福である。彼らの受け継ぐ地は、山と谷の地であり、天の雨で潤っている地、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、主が絶えず目を留めておられる地である。
この賛美の元となった聖句が、詩篇87篇である。この詩篇は、神の都シオンが、やがて全世界の中心となる事を示した、預言的な歌である。シオンは神殿の丘、もしくはエルサレムを、あるいはその住民を表す名として、聖書に多く登場する。そこは、アブラハムの時代、モリヤという名前だった。アブラハムはそこで信仰の最終試験を受け、彼は一人子のイサクを捧げるが、主は、イサクの身代わりとして雄羊を備え、イサクを死者の中から取り戻した。アブラハムは最愛の一人子を捧げるという、信仰の実体を行ったため、主は、彼に対する祝福を揺るぎないものとされた。すなわちシオンは、アブラハムの信仰が完成した地なのだ。
シオンは、このようにすばらしい地だったのに、いつしかエブス人(意味は「踏み潰す」)が占拠するようになってしまった。彼らはシオンの要害の強さを頼みに、驕り高ぶり、好き放題な事をしていたが、ダビデがその要害を攻略し、神の民を入植させ、ダビデ自身が住む、偉大な王の町とした。そこはダビデによってさらに強固に建て直され、後には聖なる神殿が建てられ、その神殿の丘が、シオンと呼ばれるようになった。
この、シオンの成り立ちは、私達・神の民や教会(エクレシア)の成り立ちを、よく表している。
私達は元々、神の似姿として創造され、永遠に神と共に生き、神を礼拝する永遠を生きるはずだったのに、人はいつしか、サタンという「踏み潰す者」に踏みにじられ、占拠されてしまった。罪の奴隷状態となって、汚れた感情や思いの占拠状態だった、そんな私達に、まことのダビデであられるイエス様が、介入して来られ、踏み潰す者・サタンを打ち破り、その圧政から、私達を分捕り返して下さった。
終わりの日、キリストによって贖われた人々は、啓示録に書かれてある通り、世界中から集められ、神は彼らの中に住み、彼らはその民となる。それはキリストが、あの恵みの丘で十字架につけられ、全ての人々の身代わりとして、ほふられて下さったからである。ちょうどモリヤでイサクの身代わりとなった雄羊のように。
『主が基をすえられた都は聖なる山の上に立つ。』(1節) この都、すなわち、エクレシアの基(土台)を揺るぎなく据えられたのは、主である。そして私達キリスト者の土台は、キリストご自身である。(1コリント3:11)
『主はヤコブのすべてのすまいにまさって、シオンのもろもろの門を愛される。』(2節) 主は、他のどの町よりシオンを愛し、選ばれた。「もろもろの門」と書かれてあるように、シオンには沢山の出入り口があり、やがてそこから、諸国の人々が、主に栄光を捧げるために、入って来る。(黙示録21:12,22:14)
4節で示されている諸々の国々は、神に敵対した、邪悪な事で有名な国々なのに、神はなんと、このような者達さえ、神の国へと取り込まれるのだ。この国々は、神の国の市民権を得る。その救いを生み出したのがシオンであり(5節)。主はやがて、全国民、民族、部族を、神の民として登録される(6節)。その登録されるための資格は、血筋ではなく、それまでの行いでもなく、ただ、小羊によって贖われた事である。
シオンの丘とはモリヤであり、モリヤの地は、アブラハムが従順を示して信仰を完成した地、そして、小羊が身代わりとなってほふられた地、そこが、エクレシアの原点である。私達エクレシアは、シオンとして、主が置かれた基に堅く立ち、救いの石垣に高く囲まれ、平安が決して乱されない教会とされ、また、主の尽きせぬ愛が豊かに流れ、いのちの泉が豊かに湧き出るエクレシアの皆さんでありますように!