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メッセージ - 床を取り上げて、歩きなさい(ヨハネ5:1-9)

床を取り上げて、歩きなさい(ヨハネ5:1-9)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2021-4-18 7:00

主日礼拝

床を取り上げて、歩きなさい(ヨハネ5:1-9)

第一礼拝 Youtube動画

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週報/メッセージ(説教)概要

 
 競争社会と呼ばれるこの世の中を生きていく時、私達クリスチャンは、礼拝したり、祈祷会に参加したりして、その分だけ遅れを取っているかのように見えるかもしれない。世は、私達が礼拝している間に働いたり、訓練したりして、先を進んでしまっているのではないか、と。しかしクリスチャンは、世の人と同じ世界に生きておりながら、別次元の仕組みで生かされており、主が各々に定められた「断トツ」で生きる事ができる。
 世では、富や栄誉、成功を獲得するために、競争する。限られた少数の良いものを勝ち得るために努力し、鍛錬し、強引に奪ったり、騙して得ようとさえする。まさに今回の、ベテスダの状態である。(ヨハネ5:1-9)
 ベテスダの池には時々、御使いが来て水を動かし、一番先に水に入る人には、どんな病気も癒やされた。
そのためそこは水が動くのを待つ人々の競争社会と化すのだが、そこに38年ずっと負け続けた人がいた。
イエス様は、彼を見るに見かね、安息日に彼に会いに来て、彼を癒やし、38年もの呪縛を解いて下さった。
 
 主が彼に言われた言葉はたった2つ、「良くなりたいか?」と、「起きて床を取り上げて歩きなさい」である。
現代、世というベテスダには、通常の病人だけでなく、富における病人、地位における病人、成功における病人が、みんな、虎視眈々とトップを狙っている。しかし私達は、三つの条件を揃えるなら、世の誰も得られない、主から独占的に与えられた特別な地位を、獲得でき、ベテスダの呪縛から開放される事ができる。
 第一の条件は、まず、イエス様に来ていただく事。私達は人生には限りがある。38年も待つべきでない。
ヤコブのように、格闘するかのようにイエス様を求め続け、探し続け、叩き続けて、すぐにでも来て頂くのだ。
 二つ目は、「良くなりたいです」と、願う事だ。どう良くなりたいのか?ビジョンを、まぼろしを書くのだ。
私達は脳内で、「こうなればなあ」と、思い浮かんでも、そのままなら、それはやがて消えてしまい、願っていた内容すら思い出せなくなってしまう。私達は、書いて、掴んで離さず、祈り続けるべきである。
 三つ目は、「床を取り上げて歩く」事だ。どういう床を?「あそこに入れば良くなるのに」「皆に先取りされてしまった」「でも体が言う事を聞かない」「誰も助けてくれない」といった、長年臥せてきたベテスダという床を。
 私達クリスチャンは、世の人とは別次元の仕組みで、すなわち、イエス様にあって生かされている。主は、用意しておられる。あなただけに用意した特別な賜物を、あなただけが獲得できる唯一のトップの地位を。
私達は、がむしゃらに頑張って奪って獲得する者ではなく、イエス様と「すったもんだ」する民である。
 
 ヤコブは、神様から「約束の地に戻りなさい」と言われた時、既に、危険から守られる保証は、与えられていたはずだが、彼には不安があった。まだ兄に恨まれていて、殺されるのではないか、と(創世記32章)。そこで彼は、祈りに集中するために、皆を川向こうに渡らせて、主と一対一で格闘した。彼は、主を掴んで離さなかった。「もう離しなさい」と言われたのに、「祝福して下さらなければ離しません」と食い下がった。
 私達も、彼の姿勢にならうべきである!与えられた夢やビジョンに不安があるなら、もしくは、祝福の実体がはっきり見えないなら、まぼろしを書いて、食らいつくのだ。もし、ビジョンが浮かんでは消え、なんとなく過ごしているだけなら、38年はあっという間に過ぎてしまう。何年もそのままの状態を、主が見るに見かねて、癒しをして頂く、という人生を送りたいだろうか?私達は、ヤコブのように、主を掴む信仰を持つべきだ。
 
 ヤコブは度々、他人を掴む生活に戻っていた。床を取り上げよ、と言われても、中々取りあげなかった。
しかし彼は、もものつがいを打たれて逃げる足をへし折られ、もはや逃げられなくなった。それで彼は、接着剤で強制的に固定されるかのように、祝福の場から絶対に逃げられないように、主はして下さった。 今、主は、平安の主である。私達がヤコブのように求めるなら、主は、足ではなく、恐怖をへし折ってくださる!
 ヤコブは、主にしつこく掴む信仰の故に、主から「イスラエル」という新しい名を頂いて、祝福してもらった。
ヤコブの名は、「かかとを掴む」という意味であるが、イスラエルの名は、「神と粘り強く格闘(すったもんだ)する」である。彼はもはや、他人の足を掴むために、追いかけたり、出し抜いたりする必要は無くなった。
 彼は神様に完全に守られ、全てにダントツとなり、エジプトの王パロをも祝福するイスラエルの父となった。
 私達も、祝福が実体化されるまで、ヤコブのように絶対離さない信仰をもつべきである。ベテスダという床は畳んで、そこから離れ、書き記した夢やまぼろしを絶対手離さず、ヤコブのように主と「すったもんだ」し、夢や幻を完全に答えていただくに至る皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

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