メッセージ - きよさと敬虔さによって時代を支配した信仰の先人たち(1テモテ4:8)
主日礼拝
きよさと敬虔さによって時代を支配した信仰の先人たち(1テモテ4:8)
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週報/メッセージ(説教)概要
私達が日々宣言するようになった「成功のための宣言文」で、最も大事なキーワードは、「イエス様にあって」である。イエスのヘブライ語「イエシュア」は、「彼は救い」という意味だ。そう、「神こそ救い」、それが聖書全体を一言で表した言葉である。皆さんは、救われたいだろうか?病気、お金、生活、人間関係、塞がれているように見える未来、などなど。目の前に立ちはだかる問題の数々から「救われたい」、と私達は願う。
イエス様は私達を愛し、私達を罪と死の呪いから救うために、身代わりに十字架にかかって下さった。
聖書は言っている。「イエスこそ私の主である」と告白し、神がイエスを死人の中からよみがえらせたと信じるなら、救われる、信じる人は失望に終る事がない!と。主の御名を呼び求める者は、全て救われるのだ。
主イエス様の御名を呼び求めるなら、あらゆる問題から救われる故、「イエス様にあって」が大事なのだ。
この宣言文には、4人の聖書中の人物が登場する。ダビデとヨセフは男性、アビガイルとエステルは女性である。彼らに共通している事は、神様に対して敬虔である事、また、自分自身をきよく保っている事だ。
そのようにした彼らは、神様に愛され、保護され、チャンスや良い出会いに巡り合わされ、未来が拓かれ、この世において抜きん出た者となって行った。敬虔である事と、きよさを保つ事、これが祝福の源である。
「敬虔(ユセベイア)」とは「恐れ敬う事」、日本語で親孝行の「孝」に相当する語である。肉体の鍛錬は少しは有益であるが、敬虔は、今のいのちと未来のいのちが約束されている故、全てに対して有益である。(1テモテ4:8) 敬虔であればあるほど、すなわち、神様を恐れ敬う度合いが高く、真の父である神様に”孝行”する心が強ければ強いほど、神様に愛され、あらゆる面で守られ、最善の導きで、導かれるのだ。
ヨセフは、敬虔さときよさを保つ事において、当時の世界ではダントツだった。彼は、兄が悪事を行う時、それに加担せず、むしろそれを父に報告した。また、彼がポテファルの妻から毎日、性的な誘惑を仕掛けられた時、「どうしてそのような大きな悪事をして、神に罪を犯す事ができましょうか」と言って聞き入れず、彼女のそばに寝る事も、彼女と一緒にいる事もしなかった(創世記39:10)。彼は正直すぎた故に、奴隷に売られたり牢に入れられたりしたが、神は彼を引き上げ、総理大臣とし、生涯エジプトの王達の父となった。
ダビデも若かりし頃、信仰において清さを保っていたため、敵の巨大さや強さには一切ひるまず、信仰によって勝利し、またサウル王に憑いていた悪霊を、彼の賛美によって追い出す事ができた。ダビデを殺そうと付け狙っていたサウル王を殺すチャンスが二度も与えられたが、ダビデは「主が油注がれた王を殺す事など、とんでもない」と、二度とも自分で手を降す事をしなかった。彼はイ、スラエルの誰もが尊敬する偉大な王となったが、彼は祝福されると、性的な罪と殺人を犯してしまった。それを預言者から指摘されると、彼は主を恐れ敬っていた故に、すぐに自分の罪を告白し、赦しと、きよめられる事を求めた。(詩篇51篇)
アビガイルは、聡明で美しい女だった。ダビデは彼女と2,3の会話をしただけで、「彼女と結婚したい」と惚れさせた程の女性だ。それは、彼女の敬虔さと清さが醸し出す、真の美しさの故だ。彼女は元々、ナバルという、頑迷で、物事を破壊する男の妻だったが、そんなひどい夫でも、彼の事業を日々誠実に運営し、拡大させて行ったため、部下は彼女にアドバイスを求めるようになった。ダビデがサウル王に追われていた時、報われない事ばかり続いて心が荒んでしまっていたダビデを、彼女は彼の信仰を回復させたのだ。
ナバルは頑迷さを変えなかったため、神に打たれて死んだが、ダビデは即座に彼女に結婚を申し込んだ。
エステルは美しい女性で、数ある美しい女性達の中から特に選ばれて、ペルシア王の王妃となったが、彼女は、数多くいる美女には無い清らかさと、敬虔から来る芯の強さがあった。彼女は夫に対してはいつも慎ましく従順であった。神が彼女を美しくし、王妃としたのは、神の民イスラエルの危機を救うためだった。
神の民が危機に瀕した時、彼女は命の危険を顧みず王の前に進み出て、思慮深く、凛として対応し、イスラエルを救った。夫である王に対しては良き慰めとなり、神の民の敵に対しては少しもはばからなかった。
私達も、この時代の彼らのようになるために、まず、きよくなる事を求め、そして主をおそれ敬う「敬虔」を身につけるのだ。汚れをもたらす習慣を止め、普段のきよさを保っていくなら、それが大きな力となって行く。
まことの父である神様に親孝行し、神様にますます愛され、この時代のダビデやヨセフ、アビガイルやエステルのようになっていく皆さんと、その子供達でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!