メッセージ - ゴグに対するさばきとイスラエルの回復(エゼキエル39章)
エゼキエル書講解説教
ゴグに対するさばきとイスラエルの回復(エゼキエル39章)
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38章につづき、神の民の敵であるゴグに対するさばきが述べられている。
ゴグは、終末の時、神の民イスラエルに敵対し連合する国々の長である。
今の世界の情勢を見ても、聖書の言葉に反し、キリスト者に敵対する、一連の者達がいる。
彼らは、平和を標榜しつつも、武器をもって人々を圧迫したり、暴力を振るったり、殺したり、と、好き放題に暴虐を行っている。
なぜ彼らは、いとも簡単に、嘘をつくのか。
なぜ彼らは、いとも簡単に、人を殺すのか。
イエス様がその理由を言っている。
『あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。』(ヨハネ8:44)
彼らは普段から、頭の中で、ふつふつとした欲求、すなわち、殺したい、暴れたい、盗みたい、支配したい、そういった暴力的な欲求があって、あるきっかけを通して、それができるようになると、彼らの頭の中にあったものを、たちまち彼らの手で現実化させるのだ。
終わりの時に、ゴグとマゴクがそのような事をするのは、サタンがそそのかしたからではあるが(黙示録20:8)、結局、サタンに用いられる”取っ掛かり”となるものを我が物として握りしめていたのは、彼らである。
すなわち、殺意や暴力、強奪といった、サタンが好む欲求を彼らは普段から思い巡らし、それを手放さず、きよく聖であられる神に立ち返る事を、好まなかったため、サタンのそそのかしに、いともあっさり同意してしまうのだ。
そのような彼らの、思いの中に秘められた悪が「あらわ」にされるために、主は彼らを、イスラエルの山々に連れてこさせる。
エゼキエル39:1 人の子よ、ゴグに向かって預言して言え。主なる神はこう言われる、メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。
39:2 わたしはあなたを引きもどし、あなたを押しやり、北の果から上らせ、イスラエルの山々に導き、
ゴグがイスラエルを攻撃するのは、ゴグをさばかれる主の御手による。
主がモーセの時代、イスラエルを奴隷として、虐待し、頑として手放さなかったエジプトを、かえって、主の栄光のために用いられたのと同じように。
彼らは、様々の武器をもって、好き放題の暴虐を行おうとするが、主ご自身が彼らの武器を叩き落とし、彼らを倒される。
39:3 あなたの左の手から弓を打ち落し、右の手から矢を落させる。
39:4 あなたとあなたのすべての軍隊およびあなたと共にいる民たちは、イスラエルの山々に倒れる。わたしはあなたを、諸種の猛禽と野獣とに与えて食わせる。
39:5 あなたは野の面に倒れる。わたしがこれを言ったからであると、主なる神は言われる。
ゴグの軍隊は全滅し、大量の死体が放置される。
主は、攻めてきた軍隊だけでなく,ゴグの連合軍の国、そのものもさばかれる事が、以下、記されている。
39:6 わたしはゴグと、海沿いの国々に安らかに住む者に対して火を送り、彼らにわたしが主であることを悟らせる。
39:7 わたしはわが聖なる名を、わが民イスラエルのうちに知らせ、重ねてわが聖なる名を汚させない。諸国民はわたしが主、イスラエルの聖者であることを悟る。
39:8 主なる神は言われる、見よ、これは来る、必ず成就する。これはわたしが言った日である。
主は、イスラエル現地に攻めてきた軍隊のみならず、本国にも、さばきの手をのばす。
ここで主は、「わたしが主であることを悟らせる」と、2回も語られた。
すなわちこれらの事は、主の聖なる御名が、イスラエルと諸国の民に、大いに証しされるために行われるのである。
39:9 イスラエルの町々に住む者は出て来て、武器すなわち大盾、小盾、弓、矢、手やり、およびやりなどを燃やし、焼き、七年の間これを火に燃やす。
39:10 彼らは野から木を取らず、森から木を切らず、武器で火を燃やし、自分をかすめた者をかすめ、自分の物を奪った者を奪うと、主なる神は言われる。
さらに記されているのは、イスラエルの民が、七年間もかけて敵の残した武器を、たきぎ代わりに火で燃やす事だ。
それは、敵の武器がいかに多かったかを物語っており、そしてこれからは、こうした武器は、もはや必要がなくなる事を示している。
また、自分をかすめた者をかすめ、自分の物を奪った者を奪う、と書いてある通り、神の民は、あらゆる奪われたものを取り戻す。
さらに11-16節には、攻め寄せて来たゴグの連合軍の死体を片付ける、イスラエルの人々について、記されている。
39:11 その日、わたしはイスラエルのうちに、墓地をゴグに与える。これは旅びとの谷にあって海の東にある。これは旅びとを妨げる。そこにゴグとその民衆を埋めるからである。これをハモン・ゴグの谷と名づける。
海とは死海の事であり、ハモン・ゴグとは、「ゴグの群衆」の意味である。
39:12 イスラエルの家はこれを埋めて、地を清めるために七か月を費す。
敵の死体を埋めるのに、7ヶ月もかかる。
それは、敵の数が、どんなに多かったかを示している。
39:13 国のすべての民はこれを埋め、これによって名を高める。これはわが栄えを現す日であると、主なる神は言われる。
39:14 彼らは人々を選んで、絶えず国の中を行きめぐらせ、地のおもてに残っている者を埋めて、これを清めさせる。七か月の終りに彼らは尋ねる。
39:15 国を行きめぐる者が行きめぐって、人の骨を見る時、死人を埋める者が、これをハモン・ゴグの谷に埋めるまで、そのかたわらに、標を建てて置く。
39:16 (ハモナの町もそこにある。)こうして彼らはその国を清める。
ハモナは、大群衆を意味する。大群衆のような死体の数々を埋めるのだ。
彼らは、国の中から死体を見つける担当を立てて、注意深く死体を探し、そして見つけたなら、それをハモン・ゴグの谷に持っていって、埋める。
それは、「きよめ」のためである。
死体は汚れをもたらせるからだ。
39:17 主なる神はこう言われる、人の子よ、諸種の鳥と野の獣とに言え、みな集まってこい。わたしがおまえたちのために供えた犠牲、すなわちイスラエルの山々の上にある、大いなる犠牲に、四方から集まり、その肉を食い、その血を飲め。
39:18 おまえたちは勇士の肉を食い、地の君たちの血を飲め。雄羊、小羊、雄やぎ、雄牛などすべてバシャンの肥えた獣を食え。
39:19 わたしがおまえたちのために供えた犠牲は、飽きるまでその脂肪を食べ、酔うまで血を飲め。
39:20 おまえたちはわが食卓について馬と、騎手と、勇士と、もろもろの戦士とを飽きるほど食べると、主なる神は言われる。
実に凄惨な光景だ。
これと同じ光景は、黙示録19:17-18にも、示されている。
黙示録とエゼキエル書の両方に示された、という事は、この事は、確かに起こる、という事である。
これを見て「そのような事をする神はひどい」と思う人は、そう言う事によって、自分自身を、定めてしまっている。
自分は神に敵対する者だ、と定め、自分自身は神の民を食い物にしようと企む者だ、という事を定め、そしてやがて、主ご自身によって返り討ちにあい、自分の死体は、空の鳥や、野の獣に、食われてしまう側の者、として、定めてしまっている。
私達・神の民は、むしろこれを見て、自分が忍耐して行っている主わざは、やがて報われるのだ、と確信するべきである。
そして、自分がクリスチャンだ、という事で、迫害している人達が、やがてこのようになってしまうのだ、という事を思い、彼らがそうならないように、ますます執り成し祈るべきだ。
さらに、21‐29節には,イスラエルの回復が記されている。
39:21 わたしはわが栄光を諸国民に示す。すべての国民はわたしが行ったさばきと、わたしが彼らの上に加えた手とを見る。
39:22 この日から後、イスラエルの家はわたしが彼らの神、主であることを悟るようになる。
39:23 また諸国民はイスラエルの家が、その悪によって捕え移されたことを悟る。彼らがわたしにそむいたので、わたしはわが顔を彼らに隠し、彼らをその敵の手に渡した。それで彼らは皆つるぎに倒れた。
39:24 わたしは彼らの汚れと、とがとに従って、彼らを扱い、わたしの顔を彼らに隠した。
バビロン捕囚という事件が起きたのは、主が無力でイスラエルを助けられなかったから、ではない。
むしろ、神の民が主の契約に反し、罪をを犯し、多くの預言者を通して警告が為されても、その行いを改めなかったために、ついに起こされた神の裁きだった。
それを、神の民も、そうでない人達も、明らかにそれを知るために起こされたのだ、という事を、彼らがわかるようになるためだと書いてある。
39:25 それゆえ、主なる神はこう言われる、いまわたしはヤコブの幸福をもとに返し、イスラエルの全家をあわれみ、わが聖なる名のために、ねたみを起す。
主が捕われ人を帰らせ、イスラエルの全家を憐れむのは、主の聖なる名のための熱心による。
イスラエルが回復するのは、イスラエルが何かいいことをするからではなく、ただ、主ご自身が締結した、主の聖なる契約の故に、である。
39:26 彼らは、その国に安らかに住み、だれもこれを恐れさせる者がないようになった時、自分の恥と、わたしに向かってなした反逆とを忘れる。
39:27 わたしが彼らを諸国民の中から帰らせ、その敵の国から呼び集め、彼らによって、わたしの聖なることを、多くの国民の前に示す時、
39:28 彼らは、わたしが彼らの神、主であることを悟る。これはわたしが彼らを諸国民のうちに移し、またこれをその国に呼び集めたからである。わたしはそのひとりをも、国々のうちに残すことをしない。
主は宣言される。
主の民を全世界から集め、しかも、ひとりも国々の内に残される者はない、という「徹底的な回復」を。
その全ては、ただ100%、主のわざによる。
39:29 わたしは、わが霊をイスラエルの家に注ぐ時、重ねてわが顔を彼らに隠さないと、主なる神は言われる」。
主は、39章の最後で、「わが霊をイスラエルの家に注ぐ」と宣言された。
結局、主とその民との正常な関係の回復は,「主の御霊」の働きによるものである。
今、2021年現在、確かにイスラエルの一部の人々は、かの地へと戻って来た。
しかしそれは、完全な回復ではないし、また、彼らの有様を見ていると、ただ単に人が戻ってきた、というだけで、彼らはイエス様を信じていない。
また、私達がパレスチナ地方で行われている物事を見るに、とてもそれらのわざは、きよく聖なる神の霊による、とは見えない。
彼らが全世界から集められた事は、確かに奇跡は奇跡である。
しかしそれは、散り散りになってしまった骨々が、集まって、人の形を回復しただけに過ぎない有様である。
エゼキエル書37章に、枯れた骨々に満ちた谷の預言が示されていたが、そのイスラエル全家の回復は二段階である、という事が、示されていた。
最初は、散らばっていた骨々が集まり、それが人の成り立ちを回復する様が預言されていたが、第一段階では、まだ、神の息は無く、人の形をしたマネキン集団のようだった。
しかし、主の息が四方から吹いて来て、それが彼らの中に入ると、それは息を吹き返し、主の御前における大軍団、グレイト・アーミーとなった。
やがて、世界中に散らされたイスラエルの人々がさらに集まって、彼らに主の霊が吹き付ける時が来る。
今、そのように、主の霊が吹き付けられ、イエス様を信じたユダヤ人が多数いる。
コーエン大学総長の、ゲイリー・コーエン博士も、その一人だ。
結局、これらの事が起きるのは、主が全国民に対して主の栄光を現すためなのだ。
イザヤ45:5 わたしは主である。わたしのほかに神はない、ひとりもない。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。
45:6 これは日の出る方から、また西の方から、人々がわたしのほかに神のないことを/知るようになるためである。わたしは主である、わたしのほかに神はない。