メッセージ - 怠け者になる原因と特徴、そして脱却方法(箴言26:13-16)
怠け者になる原因と特徴、そして脱却方法(箴言26:13-16)
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なまけ者の特徴は、色々ある。
何事もめんどくさいと思う、体を動かすのが嫌い、引きこもる、先延ばしにする、楽をすることが一番、寝ることが好き、時間にルーズ、人に合わせるのが嫌い、などなど。
今回は、怠け者になる原因と特徴、そして脱却方法を見ていきたい。
箴言26:13 なまけ者は、「道にししがいる、ちまたにししがいる」という。
26:14 戸がちょうつがいによって回るように、なまけ者はその寝床で寝返りをする。
怠け者は、何かいいわけを見つけて、自分のなまけ場所という「巣」をつくって、そこでごろごろする。
なぜなら、その、自分だけのテリトリーに引きこもっているなら、その時間・その場所で、主導権を握れるからだ。
ところが、一歩外へ出れば、有能な人が、主導権を握っているので、自分の思う通りに行かない。
しかも、するべき事をしない・動かない自分の「なまけざま」が、責められるので、ますます自分の巣に、自分の「思い巡らし」に、引きこもることになる。
しかし、そうやってなまけた事で費やした時間のむくいは、やがて、必ず来る。
6:9 なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか。
6:10 しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。
6:11 だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。
なまけた事の報いは、貧しさと、乏しさである。
そして、霊的になまけた事の刈り取りは、永遠の火である。
悔い改めるべき時に悔い改めず、罪の飲み食いを止めない。
明日、しよう。
明日、やめよう。
すると、その「明日」は1週間後となり、1ヶ月後となり、1年後となり、10年後、30年後となり、延々と続けて、結局タイムリミットが来たしまったなら、その刈り取りをしなければならない。
怠け者の、最たる特徴は、時間をわきまえない事である。
するべき時に、するべき事を、気が向かないからといって、しない。
そうこうしているうちに、どうにもこうにも、しなくてはならなくなる時が来て、追い立てられながら、嫌々ながら、せざるをえない。
26:15 なまけ者は手を皿に入れても、それを口に持ってゆくことをいとう。
26:16 なまけ者は自分の目に、良く答えることのできる七人の者よりも、自らを知恵ありとする。
怠け者は、霊的なアドバイスというごちそうを持って言っても、それを受け入れようとしない。
むしろ、自分を知恵ある者と思い込んで、余計な見解を混ぜ込んでしまう。
怠けぐせを治すには、どうしたらよいか。
その示唆が、箴言31章10節以降に、あの有名な「しっかりした妻」の箇所に、ふんだんにある。
彼女は、まさに、怠け者の反対である。
1,まずは、行動する事。
怠け者は、まず、動きたがらないが、彼女は、行動のかたまりだ。
だから、まずは何の生産性をもたらさない寝床や「巣」を、さっさと畳んで、行動するのだ。
箴言31:15 彼女はまだ夜のあけぬうちに起きて、その家の者の食べ物を備え、その女たちに日用の分を与える。
2012年、ハンチングドットコムという所が、68000人の男女を対象に、起床後にどんな事をしているのか、また、人生への満足度や、収入との関連性を調べた所、自分でベッドメイキングをする人の、約71%の人が、「自分は幸せ」と答え、それをしない人の内、62%が、「自分は不幸だ」と答えたという。
一日が始まったら、寝床という、ぬくぬくと居心地が良い、そして何の生産性をもたらさない所を、さっさと畳んで、イエス様が用意された素晴らしい一日へと踏み出して行くのだ。
2,「よくなりたい」という意識を持つ
イエス様が、よく言われた言葉が「よくなりたいか」だった。
38年も病に伏せっていた病人は、その言葉に対し、「助けてくれる人がいません」と答えたが、イエス様は容赦なく、
「起きて、床を取り上げて、あるきなさい」
と言われた。
すると、その人は、38年も伏せっていた床を取り上げて、歩き出した。
38年も、できなかった事が、イエス様の言葉に従っただけで、できたのだ。
「よくなりたい」と思わない人は、どんなに、黄金のような怠けぐせを脱却するアドバイスをしたとしても、「めんどうくさい」、という一言で、台無しにしてしまう。
まずは、つべこべ言わず、思考停止して、イエス様に言われた通り、床を取り上げて歩くべきなのだ。
3,大切な人、守るべき養うひとを見つける。
31:27 彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。
母親になって、赤ちゃんができれば、否が応でも、赤ちゃんを養うために、動かざるを得ない。
同じように、大切な人、養うべき人、がいるなら、自分の事はともかくとして、その人のために動く。
そういう人は、「動きたくない」「かったるいな」などといった、怠けの思考は停止して、動かざるをえない。
つべこべ考えて心を病む、というような暇が無い。
大切な、養うべき人を持つ。
それは、「よくなりたい」という意識を持つ以上に、なまけを排除する要素である。
使徒20:33 わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはない。
20:34 あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。
20:35 わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。