メッセージ - 「あなたがたは神々(エローヒム)である。」これいかに?(詩篇82篇)
詩篇講解説教
「あなたがたは神々(エローヒム)である。」これいかに?(詩篇82篇)
Youtube動画
この詩篇は、不正や悪を行っている権威者や指導者たちに対する警告であり、真の裁判官であられる神が真のさばきを行う事を示す内容である。
しかしこの箇所は、異端が「人も神になる」という強引な解釈をするための裏付けとするために引用される事も多々あるため、詳しく見て行きたい。
82:1a 「神(1)」は「神(2)」の会議のなかに立たれる。「神(3)」は「神々(4)」のなかで、さばきを行われる。
(1)の「神」の原語は、エロヒーム(אֱלֹהִים)である。
あの天地を創造した三位一体のまことの神、として用いられるのがメインだが、崇高な者達の意味があり、時には、行政を行う人に対し尊敬を込めて「エローヒム」と呼ぶ事もある。(ストロング辞書)
つまり、ユダヤでは、裁判する人が「エローヒム」(いわば「神々」)と呼ばれる事があるのだ。
なお、KJVでは、エローヒムをジャッジ(士師、裁判官)と訳した箇所は、5回ある。(Exo_21:6, Exo_22:8, Exo_22:9, Exo_22:9, 1Sa_2:25)
(2)の「神」の原語は、エル(אֵל)。元々は、力、強さ、という意味だが、そこから天地を創造した三位一体のまことの神と訳される。
(3)の「神」は、原文には無くて、日本語聖書の補助的意訳である。
(4)の「神々」は、エロヒームである。
つまり、ここで用いられているエローヒムという語は、全能の神の事をあらわすものではないし、天使たちや神に似た霊的存在の事でもない。
もしここのエロヒームが、そうした超人間的・霊的崇高な存在なら、7節の内容と矛盾する事になる。
そもそも、そのような存在は、3−4節に書かれてあるような、人の間で裁判なぞ、していない。今までの歴史で、人の裁判に、超人間的・霊的崇高な存在が裁判したなぞ、聞いた事は無い。
だから、1節のエローヒムは、必然的に「人間の裁判官」の事を言っており、1節は、次のように訳す事が妥当であろう。
「崇高な者達は、力強き集会の中に立ち、裁判官たちの間で裁判を行う。」
2節以降では、そのような「エロヒーム(裁判官)」と呼ばれている人間達が、不正な裁判をしている現状を、詩篇の作者が責めているのだ。
82:2 「あなたがたはいつまで不正なさばきをなし、悪しき者に好意を示すのか。〔セラ
82:3 弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。
82:4 弱い者と貧しい者を救い、彼らを悪しき者の手から助け出せ」。
ここでは「さばき(シャファット)」が頻出している。
すなわち、ここはエロヒーム(裁判官達)と呼ばれる者達に対する指摘である。
あなた方は、いつまで不正な裁判をしているのか、神の民をさばく裁判官たる者は、むしろ、公平な裁判をし、弱い人達を救い出すのが仕事ではないか、と。
82:5 彼らは知ることなく、悟ることもなくて、暗き中をさまよう。地のもろもろの基はゆり動いた。
彼らは、自分が悟りがなく、暗闇の中をさまよっている事さえ知らない。
しかし、彼らがしている不正な裁判によって、地は、揺れ動いているのだ。
82:6 わたしは言う、「あなたがたは「神(5)」だ、あなたがたは皆いと高き者の子だ。
82:7 しかし、あなたがたは人のように死に、もろもろの君のひとりのように倒れるであろう」。
(5)の「神」もエローヒムであるが、前後の内容から、人間の裁判官たちが自分たちはエロヒーム、いと高き者たちであるかのように振る舞ってはいても、結局は人のように死んで倒れる、という事を言っている事がわかる。
イエス様は、この7節を引用された事があり、その事も、異端がよく勝手な解釈している箇所である。
その箇所は、ヨハネ10章である。
ヨハネ10:30 わたしと父とは一つです。」
10:31 ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。
10:32 イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」
10:33 ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」
10:34 イエスは彼らに答えられた、「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と書いてあるではないか。
10:35 神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)
10:36 父が聖別して、世につかわされた者が、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『あなたは神を汚す者だ』と言うのか。
上記、34,35節で「神々」と訳されたギリシア語は、セオス(神)の複数形であるが、セオスの複数形の特殊用法として、「神の代理者、神を代表して裁きを行うさばきびと」と訳す事がある。(織田昭著 新約聖書ギリシア語小辞典)
この箇所は、イエス様の痛烈な皮肉が込められている。
そしてその皮肉の内容は、ヘブライ語・ギリシア語ではわかるが、日本語ではわかりにくく、訳し方によっては、多くの人の誤解を招きかねない内容である。
その「皮肉」とは、「エロヒーム」や「セオス」には、「神」と「裁判官」という二つの意味があるヘブライ語・ギリシア語圏の人にしか分からない「当て字的皮肉」であり、それ以外の原語では、その皮肉は通じにくい。
紐解いていこう。
イエス様は、まごう事なき、全能の父なる神の御子であり、「わたしと父は一つです」と、30節で示された。
そう、私達クリスチャンは、イエス様は生ける神の御子、キリストであると認め、信じている。
しかし、ユダヤ人の主だった人たちは、イエス様をキリストとは認めず、「自称」神の御子だと言って冒涜している、と言った。
そんな彼らに対し、イエス様は、くだんの詩篇82篇を引用して、痛烈に批判したのである。
すなわち。
あなたたちの「裁判官」でさえ、エローヒム(神々)と言われて、神扱いもされもしているが、それでいてあなたたちは、裁判の中においては、不正も働いている。
そんな現状なのに、あなたたちは、彼らエロヒームと呼ばれている裁判官には、「冒涜している」とは言わずに、かえって、何も悪い事をしていないわたしに、さらには、キリストである証拠のしるしや奇跡を示した、このわたしに対しては「冒涜」と言っている、と。
事実、イエス様は石打にされるような悪い事は何一つ行っていない事を、彼らは認めているし(33節)、またイエス様は、キリストである事を示すために、多くの証拠のしるしや奇跡を起こし、多くのよいわざを為した。
そういうわけで、イエス様は、まさに今この場面において、彼らが行っている「不当な裁判」について、
そのまんまの事が書かれてある詩篇82篇を引用し、彼らの欺瞞を暴いたのだ。
彼ら自身は、神に代わって正当な裁判をしなくてはならない、というのに、自分たちの不正には目をつぶっていて、それでいて、真に神の御子・キリスト・イエスには、冒涜罪を着せようとしている!と。
ところで、今までの歴史で、多くの異端は、これらの記事を自由に解釈し、人は神になる、と言って来たが、果たして聖書は、人間は、神と同等、あるいは同質になれる、という事が、言いたいのだろうか?
全く逆である!
聖書が、より多くの分量を割いて、命じている事は、そのように高ぶってはならない、という事だ。
むしろ、自分を低くし、神の御前にへりくだるように、という趣旨のほうが、多く書かれてある。
そのような中から、このような、わずかな箇所をフォーカスし、つまみ上げて、「人は神になる」と高々に言う者は、どこから来た者達であるのか。
聖書は指摘している。
自分を高く上げ、自分を神のようにしようとする者、賛美と栄光を自分に集めようとする者は、サタンに類する者である事を。
エデンにおいて、蛇(サタン)がエバを誘惑した内容は、「あなたは神のようになれる」だった。
サタンはまた、「自分は天に登ろう、はるか上に王座をもうけ、いと高き方のようになろう」と、心の中で言った故に、投げ落とされた。(イザヤ14:13-15)
パウロも言っている。
終わりの日には、背教を起こす者が起こり、その者は自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言するから、誰も騙されないようにしなさい、と。(2テサロニケ2:3-4)
私達は確かに、イエス様を信じて神の子とされた。
それは、私達が神のように高くなって、ふんぞりかえって、栄光と賛美を自分へ集めるため、では決してない。
むしろ、神の代理として、正しいお方から権威が与えられ、それを行使して、正しく世をさばき、弱い人達を救い出すのが、私達の仕事である。
神の子になる、とは、きよさにおいても、誠実においても、柔和さにおいても、キリストらしくなる、という事である事を、忘れてはならない。
ルカ6:35 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
エペソ5:1 こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。
5:2 また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。
5:3 また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。
5:4 また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。
5:5 あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。
5:6 あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。
5:7 だから、彼らの仲間になってはいけない。
5:8 あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい――