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メッセージ - 聖なる任務を帯びる祭司に求められること(エゼキエル44:15-31)

聖なる任務を帯びる祭司に求められること(エゼキエル44:15-31)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » エゼキエル書
執筆 : 
pastor 2021-10-19 19:11

エゼキエル書講解説教

聖なる任務を帯びる祭司に求められること(エゼキエル44:15-31)

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エゼキエル44:15 しかしザドクの子孫であるレビの祭司たち、すなわちイスラエルの人々が、わたしを捨てて迷った時に、わが聖所の務を守った者どもは、わたしに仕えるために近づき、脂肪と血とをわたしにささげるために、わたしの前に立てと、主なる神は言われる。
エゼキエル44:16 すなわち彼らはわが聖所に入り、わが台に近づいてわたしに仕え、わたしの務を守る。
 
通常のレビ人は、もはや、この新しい神殿の聖所での奉仕には預かれない事が、前回示された。
その理由は、彼らは本来、聖なるものと俗なるものとの違いを教え、汚れたものときよいものとの区別を、教えなければならなかった、はずなのに、彼らはそれを教えず、むしろ、民の罪、民の俗っぽさに、染まってしまかったからだ。
 
しかし、ツァドクの祭司の子孫は、そのようでなく、主の前に誠実を尽くした。
それで、ツァドクの子孫が永遠に、主の御側近くで祭司の務めをするものとして、栄光の任務が与えられた。
 
今回の箇所は、ツァドクの子孫が、祭司として、聖所で仕える際に気をつけるべき事が定められている。
ここに記されている規定は、出エジプト記やレビ記からいくつかピックアップされているが、その内訳は、特に、祭司たる者は、きよさと聖を保つべき事、汚れを帯びないようによく気をつけるべき規定に、特化されている。
 
なぜなら、祭司たるものは、主の最も近くで奉仕する者であり、人々の前で、主の聖であられる事を表し、主の栄光を示さなければならないからである。
彼らはもはや、以前、レビ人達が犯した過ちを、もう繰り返さないようにしなくてはならない。
 
エゼキエル44:17 彼らが内庭の門にはいる時は、麻の衣服を着なければならない。内庭の門および宮の内で、務をなす時は、毛織物を身につけてはならない。
エゼキエル44:18 また頭には亜麻布の冠をつけ、腰には亜麻布の袴をつけなければならない。ただし汗の出るような衣を身につけてはならない。
 
祭司が務めに入るために、聖なる領域に足を踏み入れる際、その聖なるつとめ専用の服に着替えてから入るべき事が示されている。
そこでは、毛織物を、すなわち、世の方法で血が流されて作られた着物を、身に着けてはならない。
 
動物の血が流されるようになったのは、エデンの園において、人が主のたった一つの戒めを破って以来だった。
また、人が、汗を流して土地を耕さなければならなくなった、というのも、人が神のことばに逆らい、女の言葉に従った故だった。
 
祭司は、人の前には神の代理として立ち、また、人の代表として神の前に立つ故、エデンで犯した神の言葉に対する違反の刈り取りを、身に帯びて、その務めに入ってはならない。
彼らは、罪のいけにえによって、贖われ、清められた状態で、つとめに入るからだ。
 
エゼキエル44:19 彼らは外庭に出る時、すなわち外庭に出て民に接する時は、務をなす時の衣服は脱いで聖なる室に置き、ほかの衣服を着なければならない。これはその衣服をもって、その聖なることを民にうつさないためである。
 
神の民は、確かに聖なる民ではあるが、この祭司の服は、さらに聖なるものである。
「聖」とは「切り分けられた」事の意味がある。
神の民は、世から切り分けられた者たちであり、そして祭司は、その中からさらに切り分けられた者たちであり、特に、聖所における働きは、そうである。
 
その、聖なる服を身につける事によって、聖所に入ることが出来るほどの「切り分けられた」服を着たままで、世の、俗なる者たちの前に出て、民を聖なるものとしてしまうなら、どうなるか。
祭司のように、聖と俗をわきまえない者たちが、聖別されてしまったとしたら、彼らがその身で俗なる所に行き、罪を犯し、その聖さを冒すなら、彼らが咎を負う事になってしまう。
 
 
エゼキエル44:20 彼らはまた頭をそってはならない。また髪を長くのばしてはならない。その頭の髪は切らなければならない。
 
男子が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであると、自然自体が教えている。(1コリント11:14)
また、頭を剃る行為は、死人を悼む行為と直結している。(後述)
エゼキエル44:21 祭司はすべて内庭にはいる時は、酒を飲んではならない。
 
アロンの子ナダブとアビフは、おそらく、ぶどう酒に酔った状態で聖所に入って、主の前に異なる火を焚き、主の前で焼き殺されてしまった事が、レビ記10章から見る事ができる。
 
レビ記10:1 さてアロンの子ナダブとアビフとは、おのおのその香炉を取って火をこれに入れ、薫香をその上に盛って、異火を主の前にささげた。これは主の命令に反することであったので、
10:2 主の前から火が出て彼らを焼き滅ぼし、彼らは主の前に死んだ。
10:3 その時モーセはアロンに言った、「主は、こう仰せられた。すなわち『わたしは、わたしに近づく者のうちに、わたしの聖なることを示し、すべての民の前に栄光を現すであろう』」。アロンは黙していた。
10:4 モーセはアロンの叔父ウジエルの子ミシヤエルとエルザパンとを呼び寄せて彼らに言った、「近寄って、あなたがたの兄弟たちを聖所の前から、宿営の外に運び出しなさい」。
10:5 彼らは近寄って、彼らをその服のまま宿営の外に運び出し、モーセの言ったようにした。
10:6 モーセはまたアロンおよびその子エレアザルとイタマルとに言った、「あなたがたは髪の毛を乱し、また衣服を裂いてはならない。あなたがたが死ぬことのないため、また主の怒りが、すべての会衆に及ぶことのないためである。ただし、あなたがたの兄弟イスラエルの全家は、主が火をもって焼き滅ぼしたもうたことを嘆いてもよい。
10:7 また、あなたがたは死ぬことのないように、会見の幕屋の入口から外へ出てはならない。あなたがたの上に主の注ぎ油があるからである」。彼らはモーセの言葉のとおりにした。
10:8 主はアロンに言われた、
10:9 「あなたも、あなたの子たちも会見の幕屋にはいる時には、死ぬことのないように、ぶどう酒と濃い酒を飲んではならない。これはあなたがたが代々永く守るべき定めとしなければならない。
10:10 これはあなたがたが聖なるものと俗なるもの、汚れたものと清いものとの区別をすることができるため、
10:11 また主がモーセによって語られたすべての定めを、イスラエルの人々に教えることができるためである」。
 
以上のように、祭司は、聖なるつとめに入る際、「死ぬ事の無いように」、ぶどう酒や濃い酒を飲んではならない。
主は、「わたしは、わたしに近づく者のうちに、わたしの聖なることを示し、すべての民の前に栄光を現す」と言われたからだ。
祭司は、聖なる油注ぎを受けた故、聖なる場、聖なる位置を離れてはならないし、また、死んだ行いや、死んだ者に、関わってはならない事が、レビ記10章に書かれてある。
 
エゼキエル44:22 また寡婦、および出された女をめとってはならない。ただイスラエルの家の血統の処女、あるいは祭司の妻で、やもめになったものをめとらなければならない。
 
この事は、レビ記21:7にも書かれている。
『彼らは淫行で汚れている女をめとってはならない。また夫から離婚された女をめとってはならない。祭司は神に対して聖であるから。』
 
祭司は、神に対して聖(切り分けられた者)であるので、きよさを保たなければならない。
一般のやもめや、一般の離婚された女は、既に、以前の「一般の男」を知っており、すなわち、既に世俗と結合されてしまっているので、「聖」である事が要求される祭司には、嫁ぐ事はできない。
だから、もしそれが祭司のやもめであるなら、めとってもよい、と言われている。
 
祭司はなぜ、ここまで、きよさを追求しなければならないのか。
その理由が以下に示されている。
 
エゼキエル44:23 彼らはわが民に、聖と俗との区別を教え、汚れたものと、清いものとの区別を示さなければならない。
 
ここでは「教えなければならない」というキーワードが、2回繰り返し強調されている。
そう、祭司たるものは、神の言葉、律法を「教え」なくてはならないからだ。
 
祭司こそ、一番、聖なるものと俗なるものを切り分け、汚れたものときよいものとの区別しなくてはならない存在である。
前回の所では、それをしなければならないはずのレビ人が、汚れた価値観の者を、取り締まらず、のさばらせ、そうして聖なる領域に汚れを持ち込んでしまった故に、彼らにはペナルティが課せられた。
 
本来、聖と俗を切り分け、汚れたものときよいものの切り分けを、教えるべき立場の者が、俗物となり、また汚れていたなら、会衆全体が、聖さを見失い、俗物となってしまう。
だから、祭司は、特に、きよさと聖を身に着けなくてはならないのだ。
 
エゼキエル44:24 争いのある時は、さばきのために立ち、わがおきてにしたがってさばき、また、わたしのもろもろの祭の時は、彼らはわが律法と定めを守り、わが安息日を、聖別しなければならない。
 
祭司が、世の裁判官の役割をする理由は、彼らが神の法律を一番知っているからである。
神の民は、世の仕方、世の裁判、人間の思考で、世の裁判官にさばきを委ねてはならないのだ。(1コリント6章)
 
エゼキエル44:27 彼は聖所に入り、内庭に行き、聖所で務に当る日には、罪祭をささげなければならないと、主なる神は言われる。
 
祭司は、罪のためのいけにえを捧げて、罪の問題を解決したからこそ、聖なる務めに入ることができるのだ。
 
エゼキエル44:28 彼らには嗣業はない。わたしがその嗣業である。あなたがたはイスラエルの中で、彼らに所有を与えてはならない。わたしが彼らの所有である。
 
祭司が受け継ぐ、相続の土地は、この地上には、無い。
主ご自身が、相続地であるからだ。
彼らは畑を耕したり、海に出て漁をして食料を得るものではない。
神の働きをして、食を得る者である。
 
エゼキエル44:29 彼らは素祭、罪祭、愆祭の物を食べる。すべてイスラエルのうちのささげられた物は彼らの物となる。
エゼキエル44:30 すべての物の初なりの初物、およびすべてあなたがたのささげるもろもろのささげ物は、みな祭司のものとなる。またあなたがたの麦粉の初物は祭司に与えよ。これはあなたがたの家が、祝福されるためである。
 
ここに、「あなたの家に祝福が宿るため」と書いてある。
祭司の食物を絶やさないなら、祭司は立派に務めあげる事が出来、心置きなく祝福を祈る事ができるからである。
イサクが心置きなく祝福できたのは、おいしい食で満腹したからだった。
 
エゼキエル44:31 祭司は、鳥でも獣でも、すべて自然に死んだもの、または裂き殺されたものを食べてはならない。
 
祭司が食べて良い動物は、ただ、主に捧げられるためにほふられたもの、である。
世の方法で血を流し、殺したものは、祭司は食べてはならない。
 
以上、主の御そば近くで仕えるべき者の標準は、世の標準とは全く違っていた。
私達もまた、王族の祭司とされた者として、自らをきよめ、聖別するべきである。
 
1ペテロ
1:13 それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。
1:14 従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、
1:15 むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。
1:16 聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。
 
2:5 この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。
 
2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。

 

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