• カテゴリ エゼキエル書 の最新配信
  • RSS
  • RDF
  • ATOM

メッセージ - 神殿から流れ出すいのちの水の川(エゼキエル47:1-12)

神殿から流れ出すいのちの水の川(エゼキエル47:1-12)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » エゼキエル書
執筆 : 
pastor 2021-11-23 8:55

エゼキエル書講解説教

神殿から流れ出すいのちの水の川(エゼキエル47:1-12)

Youtube動画

47章以降は、イスラエルの新しい相続地が定めれている。
その相続地は、神殿が中心であり、神殿から主のいのちと祝福が流れ出して相続地に住む民を潤し、さらには、全世界を潤すものとなって行く事が今回の箇所で示されている。
 
 
47:1 そして彼はわたしを宮の戸口に帰らせた。見よ、水の宮の敷居の下から、東の方へ流れていた。宮は東に面し、その水は、下から出て、祭壇の南にある宮の敷居の南の端から、流れ下っていた。
47:2 彼は北の門の道から、わたしを連れ出し、外をまわって、東に向かう外の門に行かせた。見よ、水は南の方から流れ出ていた。
 
水が、神殿の敷居の下から流れ出した。
その水の源は、聖所である。(12節)
それは新約において、イエス様にあって成就し、新天新地において完成する。
 
Rev 22:1  御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、 
Rev 22:2  都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
 
もし今、すぐにでもそのいのちの水を享受したいというなら、今すぐにでも、イエス様の名前を呼んで、イエス様に求めるべきである。
なぜなら、まことの神殿は、今生きておられるイエス様だからだ。
 
 
ヨハネ2:19 イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。
2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。
2:21 イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。
 
「イエス様のからだ」というまことの神殿は、この時点では、まだ壊されていなかったが、十字架において破壊された。
しかし、三日の後、イエス様は復活し、そのいのちの水の川が流れ出て、まず弟子たちを潤し、そしてユダヤ、サマリヤの全土、および地の果てにまで、その川が流れ出て行った。
 
現代の私達も、イエス様を信じた時、湧き出たはずである。
かわきを潤す、いのちの水が。
イエス様は、言われる。
 
ヨハネ7:37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
7:39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。
 
イエス様が、まだ栄光を受けておられなかった時、すなわち、十字架と復活を経る前は、イエス様を証しイエス様を栄光化する聖霊は、まだなかった。
それはただ、イエス様の中にだけ閉じ込められていた。
 
しかし、イエス様が一粒の麦として地に落ち、死なれ、復活され、天の御父の元に昇られた事によって、助け主・聖霊が与えられるようになった。
その聖霊が、全ての事を教え、またイエス様が話しておいた事を、全て思い起させて下さるのである。(ヨハネ14:26)
 
だから、聖霊を受けると、受けないとでは、大いなる違いが出てくる。
もし聖霊を受けないまま、とするなら、この、いのちを潤す生ける水は出てこないのだ。
だから、聖霊を留めて置いてはならず、聖霊は流れるままに、流しだして行くべきなのだ。
 
 
47:3 その人は東に進み、手に測りなわをもって一千キュビトを測り、わたしを渡らせた。すると水はくるぶしに達した。
47:4 彼がまた一千キュビトを測って、わたしを渡らせると、水はひざに達した。彼がまた一千キュビトを測って、わたしを渡らせると、水は腰に達した。
47:5 彼がまた一千キュビトを測ると、渡り得ないほどの川になり、水は深くなって、泳げるほどの水、越え得ないほどの川になった。
 
その水は、遠くへ測って行けば行く程、どんどん大きくなって行った。
最初は、足で立つ事が出来て潤される、くらいだったのが、どんどん大きく、広く、深くなって行って、ついには、足では立てない、その流れを泳ぐしかない程までになっていった。
 
この川は、渇いた地を潤して行くに従って、水量は減るのではなく、逆に、もっと増えていく。
これは、イエス様から流れ出てくるいのちの水の特徴を表している。
聖霊に満たされて行くなら、行くほど、そうなっていくものである。
 
最初は、その水に潤された、という感覚的なものから、その流れを足で感じるようになり、さらにどんどん強くなって、ついには、自分で制御できるものではない、流れの中を泳ぎながら、聖霊の流れるままに、任せるまでになって行く。
 
サマリヤの女は「その水をわたしにください」とイエス様に言って、イエス様はその水をくださった。
すなわち、メシヤであられるイエス様ご自身を彼女に示して下さった。
すると彼女は、居ても立っても居られず、もはや、水を溜める水がめなどは置いて、サマリヤの人々へと、その水を流し出して行った。
そして彼女は、その地方の人々をごっそり救い、潤し、いのちの実りが豊かに実った。
 
私達も、イエス様にあって聖霊をいただくなら、流しだして多くの人を潤す者となるのである!
 
 
47:6 彼はわたしに「人の子よ、あなたはこれを見るか」と言った。それから、彼はわたしを川の岸に沿って連れ帰った。
47:7 わたしが帰ってくると、見よ、川の岸のこなたかなたに、はなはだ多くの木があった。
 
創世記2:10-14では、エデンの園を源とする水が世界へと広く流れ出して行った記述があるが、その事の回復を示している。
 
47:8 彼はわたしに言った、「この水は東の境に流れて行き、アラバに落ち下り、その水が、よどんだ海にはいると、それは清くなる。
47:9 おおよそこの川の流れる所では、もろもろの動く生き物が皆生き、また、はなはだ多くの魚がいる。これはその水がはいると、海の水を清くするためである。この川の流れる所では、すべてのものが生きている。
47:10 すなどる者が、海のかたわらに立ち、エンゲデからエン・エグライムまで、網を張る所となる。その魚は、大海の魚のように、その種類がはなはだ多い。
 
アラバはヨルダン渓谷であり、エン・ゲディは、死海の西岸の、南北のちょうど中間に位置し、ダビデはかつて、サウルの手を逃れてエン・ゲディの要害に留まった。
つまり、ここの「海」とは、死海の事である。
 
その死海へ、この生ける水が流れ込むなら、その水は良くなり、生き物が群がるようになって非常に多くの魚がいるようになる、というのだ。
そして、その川の両岸は、漁師達が住むようになり、網を引く場所となる。
まさに、死海のようだったサマリヤの女さえも、いのちが湧き出し、いのちが群がるようになった。
私達も、イエス様にあって、そうなるのである!
 
 
47:11 ただし、その沢と沼とは清められないで、塩地のままで残る。
 
「沢(ビツサァー:沼地、湿地帯)」と「沼(ゲベー:貯水池、プール)」のように、水の流れが無い所、あるいは、人為的に水を貯めて留まらせているの水所は、良くならず、塩のまま残ってしまう。
私達も、どんなに良質の御言葉が流れて来ても、また、どんなにイエス様の魅力を教えられても、ただ受けるばかり・頂くばかりで流し出さない、とするなら、塩のまま残って、死海のように、いのちがいなくなってしまうのだ。
 
だから、いのちの潤いがともなった御言葉が、流れこんで来たのなら、あるいは、聖霊の促しが流れて来たのなら、それをそのまま留め置いてはならない。
それらは、賞味期限の早い生鮮食品のように、「旬」があるのだ。
それを流しだすべき相手へ、すなわち、それを受けるべき人へと、あるいは、為すべき仕事へと、すぐに流し出して行くべきなのだ。
もし、旬を過ぎてしまうなら、腐ってしまう。
天から与えられた食物であるマナは、拾っても食べないまま器に保管して置いたら、どうなっただろうか。
翌日になると腐って、虫が湧いてしまった。
その事を、思い起こすべきである。
 
 
47:12 川のかたわら、その岸のこなたかなたに、食物となる各種の木が育つ。その葉は枯れず、その実は絶えず、月ごとに新しい実がなる。これはその水が聖所から流れ出るからである。その実は食用に供せられ、その葉は薬となる」。
 
毎月、新しく実がなる。
一体どれだけいのちに溢れみなぎっているのだろうか。
黙示録22章には、その完成形があるが、この地上においても、イエス様を信じた私達は、それを霊的に体験する。
 
私達の内に、キリストという、生ける水のいのちの泉を据えるなら、なにも、頑張らずとも、御霊の実を絶える事なく自然と実らせ続けるものである。
そしてそれは、自分を潤すのみならず、周囲をも潤し、癒やすものなのだ。
 
これらを得るコツは、エゼキエル40章以降に、既に示されている。
すなわち、主から示された神殿(イエス様)を、正しいものさしで計り、きよさに立って、主の教えを自分自身に当てはめて行く事。
人の建てた神殿を測っても、あるいは間違ったものさしで測っても、それはただ渇くだけである。
しかし、まことの神殿・イエス様を、正しい物差しである「御言葉」に従って、正確に測って行くなら、いのちを潤す水がどんどん湧き出し、溢れ、流れて行くようになるのだ。
 
そのようにして豊かにいのちの水を湧き出させ、ますます流し出し、多くのいのちと実りを獲得して行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

トラックバック

トラックバックpingアドレス トラックバックpin送信先urlを取得する
メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
このページを紹介!

 
 
 
礼拝週報
メッセージ音声
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2020/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

検索
Copyright ©Yokohama Voice of Christ Church 横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園?-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2022 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest