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メッセージ - 神の民が受ける栄光の相続地とは(エゼキエル48:1-22)

神の民が受ける栄光の相続地とは(エゼキエル48:1-22)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » エゼキエル書
執筆 : 
pastor 2022-2-23 7:52

エゼキエル書講解説教

神の民が受ける栄光の相続地とは(エゼキエル48:1-22)

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エゼキエル書48章1-7節では、47章後半において定められていた、イスラエル各部族が受けるべき相続地の、具体的な割り当て方が示されている。
 
主にある相続は、無条件に与えられるものではない。
かつて、イスラエル12部族に、くじによって割り当てられた相続地と、実際に彼らが住む事ができた相続地は、違っていた。
 
むしろ大多数の部族は、くじで割り当てられた「書面上の地」に比べると、実際に彼らが得て住んだ地は、はるかに狭かった。
なぜ、そうなってしまったのか。
その理由は、真理の上では「あなたが主から得たものは、これですよ」と示されていたのに、それを得に行かなかったからだ。
彼らは、「そこに住んでいる民は強い民だ」と言い訳して、戦うことを恐れたり、なまけたり、そこの罪深い原住民と妥協したりしたのである。
それで、元々住んでいた邪悪な人々が力を得て、イスラエルの民を追い出しにかかったのだ。
 
私達は主から、聖書に記されている内容を「書面上の地」として既に受けており、私達はそれを信じて、行って、そこに記されている莫大な祝福を勝ち得ていけば良いだけである。
 
それをしないで、現実を見て、恐れ、何もしなかったり、罪と妥協したりしているなら、結局それを得られないまま、狭い領域の中で細々と生きるしか無いのだ。
 
 
私達が主から与えられた相続地内で為すべきは、きよさに立って、神の国の法則に従って歩む事である。
もし、きよさに立たず、汚れた行いをし続けているなら、かつてイスラエルの土地が、人を吐き出したように、その者は吐き出されてしまう。
 
 
続く8‐22節では、45:1-8で記されている奉納地についての規定が繰り返されており、特に、主のために聖別するべき土地が制定されている。
「聖別」とは、神様のために、神の国のために、特別に確保する事であり、それは、私達・神の民にとって必須の事である。
 
エゼキエル48:9 すなわちあなたがたの主にささげる献納地は長さ二万五千キュビト、幅二万キュビトとである。
エゼキエル48:10 これが祭司への聖なる献納地である。すなわち祭司の分は、北は二万五千キュビト、西は幅一万キュビト、東は幅一万キュビト、南は長さ二万五千キュビトである。主の聖所はその中にある。
 
神の民の相続地の中心は、聖所である。
すなわち、神の民の中心は、主の栄光の臨在である。
私達の生活の中心も、礼拝を中心に据えるべきであり、主の臨在の中で、日々の生活を歩んで行くのだ。
 
 
エゼキエル48:11 これはイスラエルの人々が迷い出た時、レビびとが迷ったように迷ったことはなく、わが務を守り通したザドクの子孫のうちから、聖別された祭司に属する。
エゼキエル48:12 このようにレビびとの境に沿って、いと聖なる地、すなわち聖なる献納地が、特別な分として彼らに帰属する。
 
ここでは特に、大祭司ツァドクの子孫への相続地が、特別に割り当てられている。
その地は、レビ族の地域に接し、奉納地のうちでも最も聖なる地である。
 
彼らがこのような特別扱いを受けた理由は、彼らは、イスラエル人が迷い出た時、いっしょに迷い出ず、また、迷い出た他のレビ人達とは違って、聖なる任務を貫き通したからだ。
 
この法則は、現在も同じである。
 
世の人々が、いかに堕落した生活を送っているとしても、あるいは、現代のレビ人である神の国の働き人たちの多くが堕落したとしても、私達は、固く信仰を保ち、今日も、神の国の仕事を忠実に成して行くのみである。
そうするなら、天において受ける永遠の相続は、他よりも偉大なものとなる。
 
イエス様を信じて得られる報酬は「救い」であり、それは誰も彼も分け隔ての無い、同じ報酬である。
しかし、その信仰を用いて行った「行い」の報いは、その行いに応じ、ある人には10、ある人には5、といった「差」が生じる。
しかも、せっかく与えられた聖なる仕事を、何もしないまま、与えられている膨大な年数を使い切っても、なお主人に文句を言っているとするなら、持たされたものは取り上げられ、外に追い出され、泣いて歯ぎしりする事になってしまうのだ。(ルカ19:11-27)
 
 
エゼキエル48:13 レビびとの分は祭司の所有地の境に沿って、長さ二万五千キュビト、幅一万キュビト、すなわち、そのすべての長さ二万五千キュビト、幅二万キュビトである。
エゼキエル48:14 彼らはこれを売ってはならない、また交換してはならない、またその大事な分を手ばなしてはならない。これは主に属する聖なる物だからである。
 
レビびと、すなわち、主の働き人が受けた相続は、どの部分も、売ったり取り替えたりしてはならない、と定められた。
私達も、主にあって得た聖なる仕事、聖なる相続を、決して手放したり、世の何物かと取り替えたりしてはならない事を、示している。
 
 
エゼキエル48:15 その残りの地すなわち幅五千キュビト、長さ二万五千キュビトは町のため、すみかのため、また郊外のための一般人の地所とせよ。町はその中に置け。
エゼキエル48:16 一般人の地所の広さは次のとおりである。すなわち北の方四千五百キュビト、南の方四千五百キュビト、東の方四千五百キュビト、西の方四千五百キュビトである。
エゼキエル48:17 町は郊外を含む。郊外は北二百五十キュビト、南二百五十キュビト、東二百五十キュビト、西二百五十キュビトである。
 
このように、国土の分割の仕方や、都市や神殿や、それらの付属物の配置は、完全に規則的である。
啓示録において示された天の都も、そうである。
神の国は、秩序正しく、美しく、尊いのだ。
 
 
エゼキエル48:18 聖なる献納地に沿っている残りの地の長さは東へ一万キュビト、西へ一万キュビトである。これは聖なる献納地に沿っており、その産物は町の働き人の食物となる。
エゼキエル48:19 町の働き人は、イスラエルのすべての部族から出て、これを耕作するのである。
エゼキエル48:20 あなたがたがささげる献納地の全体は二万五千キュビト四方である。これは町の所有地と共に聖なる献納地である。
 
聖なる奉納地の残りの地所で収穫したものが、働き人の食物となる事が示されている。
主は、働く牛にくつこをしてはならない、と言われた。
働き人には、食べる分があるのだ。
 
もし働き人が、ひもじい思いをしているとするなら、主に、その保証を堂々と求めるべきであって、やせがまんするべきではない。
 
 
エゼキエル48:21 聖なる献納地と町の所有地との、こなたかなたの残りの地は、君たる者に属する。これは聖なる献納地の二万五千キュビトに面して東の境に至り、西はその二万五千キュビトに面して西の境に至り、部族の分に沿うもので、君たる者に属する。聖なる献納地と、宮の聖所とは、その中にある。
エゼキエル48:22 町の所有地は、君たる者に属する部分の中にあり、そして君たる者の分は、ユダの領地と、ベニヤミンの領地との間にある。
 
エゼキエル書後半において示されている「君たる者(ナーシー)」は、上に立つ者であって、王ではなかった。
彼らは、民に代表して礼拝を捧げる役割がある事が、46章で示されたが、その君主に対しても、特別な割り当てが与えられている。
 
主のために特別な役割を果たす者には、特別な割り当てがあるのだ。
 
神の民は、聖なる民であり、私達自身を聖なる者として保ち続けるべきなのだ。(1ペテロ1:15-16)

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