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メッセージ - 十字架の主への感謝はあるだろうか?(ヨハネ12:24-25)

十字架の主への感謝はあるだろうか?(ヨハネ12:24-25)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2022-4-10 12:50

主日礼拝

十字架の主への感謝はあるだろうか?(ヨハネ12:24-25)

第一礼拝 Youtube動画

English Service: Why "Passion Week"?(Sol8:5-7) Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 本日は「棕櫚の聖日(パームサンデー)」、イエス様がろばに乗ってエルサレムに入城した時、人々が衣服やしゅろの葉を置いてイエス様を歓迎したのを記念する日である。イエス様は、群衆がしゅろの葉を持ってホサナと叫びながら迎える様を、どういう心境で見ておられただろう。彼はご存知だった。その一週間後、彼らの「ホサナ」は「十字架につけろ」へと変わり、弟子達からも、そして神からも捨てられる、という事を。
 群衆はなぜ、そのように様変わりしてしまうのか。弟子達はなぜイエス様を捨てたのか。それは、人は、自分が心地良く都合がいい事を「正解」とし、都合が悪く心地悪い事を捨て去る性質があるからだ。しかし主は言われる。『自分の「命(プシュケー:自分主体の心理)」を愛する者はそれを失い、この世で自分の命(プシュケー)を憎む者は、それを保って「永遠の命(ゾエ:霊的・天的生命)」に至るであろう。』(ヨハネ12:25)
つまり、自分の思い・意思・感情よりも、神の言葉、すなわちイエス様を選択する人は、復活の主イエス様へと接ぎ木され、永遠の命の源泉なる神へとつながり、後に続く世へ存続するいのちを獲得するのである。
 
 私達は本能的に、御言葉は正しい、とはわかる。けれども、御言葉が「良し」と示す事をせず、「悪し」と示す事を捨てずに、御言葉を無視して、あくまで自分の好む事を貫き通すなら、不義をもって真理を阻む事になってしまう(ローマ1:18)。そうしているなら、その分だけ、呪いめいた事、災いめいた事が起きてしまう。
 人はすべて、エデンの園以来、神の言葉に逆らって神から離れ、自分の善悪判断に従って歩み続けた故に、無意識的・自動的に、滅びへと向かう生き方以外を、知らなかった。しかしイエス様は、私達が知らないでやっていた罪については、十字架上で執り成し祈ってくださった。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と。そして本来私達が受けるべき罪の刑罰を、イエス様は、身代わりになって、受けてくださった。それを信じて、救われた人間が、私達・クリスチャンである。
 私達は、私達のために十字架上で痛まれ、私達の身代わりに死んで下さったイエス様への感謝を、どれ程、感じているだろうか。自分の罪に、申し訳なさを感じるだろうか。自分の弱さに、ふがいなさや悲しみが出てくるだろうか。そして、そんな自分が、罪と滅びから買い戻され、救われた事への感謝と喜びの感覚が、あるだろうか?主がして下さった事への感謝を、言葉だけでなく、ありとあらゆる感情や感覚をもってあらわす事、それが天国への道である。天国は永遠に、感謝と喜びの賛美があふれているからだ(黙示録5章)。
 
 しかし、もしひと度、福音を聞いて救われ、その喜びと御国の素晴らしさを味わっていて、敢えて御言葉を捨てて、自分のよかれで歩んで行くなら、その人の下すあらゆる選択は「愚鈍の極み(アスネトス)」となる。
 『なぜなら彼らは神を知っていながら神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いは虚しくなり、その無知な心(アスネトス)は暗くなったからである。』(ローマ1:21) 「感謝もせず」と訳された語ユーカリステオーは、感謝の意を表明する事である。英語の感謝(thanks)は、考える(think)と密接に関わった語である。
 つまり、神様への感謝は、具体的に表明すべきものなのだ。神様はこの案件に、どう介入し、いかに成功させて下さったか、その一つ一つを熟考し、感情を込め、具体的に感謝を捧げなさい、という事である。
 神をあがめ感謝すべき場面なのに、それらを捧げないなら、一つ、愚かさを積み上げる事になる。だから神への感謝が無い人は、次から次へと愚かになって行き、悪の力に縛られ、人生の諸々が、悲惨な状態へと傾いて行ってしまう。そうして「愚鈍の極み(アスネトス)」になると、物事を「正常に考える」という軸が無くなり、あらゆる事を、愚かで邪悪な方法で片付ける以外に、思いつかなくなり、サタンの手下として思うがままに用いられてしまう。そのような状態の人が助かる道は、1つしか無い。
「神に感謝する事!」  それも、 具体的に感謝を表明する事によって。
 
 私達は、私達のために十字架で痛まれ、悲しまれ、神に捨てられたイエス様に、感謝しても、し尽くせないはずである。イエス様が身代わりに死なれた事への申し訳なさ、自分のふがいなさ、そしてイエス様が為されたわざの故に、贖われ、救われた事への感謝や喜び、また、ありとあらゆる「感覚」を表現しながら、感謝と賛美を捧げる人には、全ての祝福が戻ってくる。ネブカデネザル王は、そうだった(ダニエル4章) 。
 この時期、十字架の主が具体的に自分に何をして下さったのか、今一度思い返し、感謝と賛美を捧げ、主との関係を一層親密に深めて行く皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 

 

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