メッセージ - 祈りという捧げ物を猛禽から守り続けよ(創世記15:7-11)
主日礼拝
祈りという捧げ物を猛禽から守り続けよ(創世記15:7-11)
第一礼拝 Youtube動画
週報/メッセージ(説教)概要
先週、マイケル宣教師を通じてインターナショナルミッション日本センターが立ち上げられ、日本本部としての特権が私達に与えられた。以来、韓国プサン・トーブチームの中高生16人が、主イエスの恵み教会を拠点に学習と宣教の活動をしている。彼らは日頃から御言葉を暗唱し、宣教師としての訓練を受けているため、道行く若者に声をかける事に、全く躊躇が無い。初めての相手にもすぐに打ち解け、惹き込んでいく。そんな彼らは、天才にならざるを得ない。事実、第1期生は、世界200位以内の大学に次々と合格している。そのような素晴らしい教育システムが、突然、向こうから来た。今まで祈り求めて来た事が本当に答えられたのだ!
これからは、今まで慣れ親しんできた生活サイクルを脱出し、全く新しい領域へ、進もうとしている。その際、真っ先に立ちはだかる敵は、「変化に対する拒否反応」「先回りした心配・恐れ」である。出エジプトした民は、そうした拒否反応や恐れを「固持」したゆえに、荒野で40年さまよって死んでしまった。サウル王も、心配のあまりに勝手ないけにえを捧げてしまったため、王として固く立てられる機会を、逃してしまった。
地図を開いたなら、まず現在地と方向を特定するのと同じように、今、私たちは「主が祈りに応え、導いておられる」という「現在地」を確認し、方向性を主に求めていくべきだ。私達の信仰の父・アブラハムは、主から「本土・親戚・父の家を出よ」という言葉を受けた時、行き先は分からなかったが、75年も生活してきたその地を離れた。拒否反応や心配は、あっただろう。それでも主の言葉という「現在地」を確認し、そこを出た時、次の方向はその都度示され、そうして彼は、信仰の子々孫々を建てあげる栄光の道を一歩一歩、進んで行った。私たちも彼にならい、先が見えなくても信仰によって進むなら、必ず次が示されるのだ。
主は確かに生きておられ、信仰を手放さない者には力強く働かれる事を、最近体験した。私は半年ほど前から、左腕や首筋のしびれと痛みがひどかったが、マイケル先生の集会で、イエス様の血潮による癒しの祈りの時間があって、私も「癒やしてください、痛みを取り除いてください」と祈っていたのだが、祈りの最中、気付かされた。そうした祈りは、「もしおできになるものなら」(マルコ9:22)という、不信仰が込められている、と。「できるものなら、と言うのか。信じる者にはどんな事でもできる!」(同23節) そこで祈りを変えた。
「イエス様の名前によって、今晩、必ず癒やされて帰る!!」 信仰によって、そう宣言し続けたが、状況は全く動じず、痛みは変わらず残り続けた。だんだん祈り疲れ、祈る事に飽きて来たりもした。やっぱりだめかな、という思いも来たが、それでも口で宣言を続け、自分のたましいに言い聞かせ続けた。集会が終わっても、痛みは残っていたので、ますます否定的な思いがよぎった。しかし、アブラハムが主の約束を確かめた時、捧げ物を狙って来た猛禽を追い払ったように、私も主と出会うまでは、そうった「猛禽」を追い払い続けよう、今晩、必ず主と出会い、癒やされて、主の偉大な力を人々にこれから伝えていく!と宣言し続けた。
結局、頭の中にひっきりなしに巡ってくる、否定的な「はかりごと」や「思惑」、そして「いいわけ」が、信仰という捧げ物を食い散らかす猛禽だったのだ。そうした、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにして、キリストに服従させ、従順が完全になる時、あらゆる不従順を罰する用意ができる!と書いてある(2コリント10:5-6)。そうしてあきらめず続けると、ついに帰りの車で癒やされた!
結局、癒やしも、必要の満たしも、先行きが見えない際の導きも、本当に、本気で信じているかどうか、そして「しつこく」求め続けるかどうかの問題だったのだ。『少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。』(ヤコブ1:6-7) 主は、いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを、教えられた(ルカ18章)。
先回り的な心配性や、不信仰、主に逆らって立つはかりごとや思惑、いいわけ、そうした諸々は、イエス・キリストの御名によって縛り、退去命令を出す!そういう「霊的戦い」を、しつこく、しつこく続ける。それこそ、癒やしを体験しキープし、力強い証人になるためのコツなのだ。
痛みも、病も、経済的不足も、あらゆる不安と思えるような事も、その他、あらゆる立ちはだかる障壁も、全て主に本気で願い求めて、実際に主の偉大な力を、その身に、その人生に働いた経験をたくさん積む皆様でありますように。そうして、ヨシュアのように、ダビデのように、主にあってどんな事でもできる!という確信を身につけ、恐れなく大胆に、祝福と希望に満ちた将来を勝ち取っていく皆様でありますように!