メッセージ - 熱いスピリットを起こす秘訣(マタイ5:3-6)
主日礼拝
熱いスピリットを起こす秘訣(マタイ5:3-6)
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週報/メッセージ(説教)概要
この度、韓国各所に起こされているIMのセンターを視察するため、韓国をほぼ一周して来た。行った先々で、共通して言われた事は、このIMのシステムおかげで、次世代だけでなく大人もどんどん変えられ、その変えられた彼らの様に驚いた人々が次々と加わり、さらに増え、さらに変えられている。今は今までで一番幸せな働きをしている。日本のために喜んで助けに行くのでぜひ、うちのセンターに頼んで下さい、と。
実際、それぞれのセンターの子どもたちは共通して、素晴らしく秩序があり、礼拝においても賛美においても、ワーシップダンスにしても、伝道にしても、一切の迷いなく、はつらつと行うので、閉塞的だった子供も大人も、ともにイエス様を祝う喜びの渦へと巻き込んで行った。子供たちの学びの場や生活の場も見させて頂いたが、びっくりしたのは、彼らの時間管理と、空間管理の、規律正しさである。とにかく無駄が無い。
そして彼らは、御言葉を暗唱してからでないと、夕食にあずかれない。若い時からそのような習慣が身についているからには、今回、第一期生がアメリカの一流の大学に次々と合格したのも、うなずける。
私達はリバイバルをこの地にもたらすために、強いモチベーション(動機づけ、やる気)が必要である。
ネヘミヤは、エルサレムが廃墟である事に対する深いうめきがモチベーションとなって彼を動かし、わずか52日で城壁を完成させた。ダビデも、神の陣営が40日もなぶられていた事に対する強い憤りに突き動かされて、巨人をたった一つの石で打ち倒した。パウロは福音を伝える事について、返さなければならない負債(ローマ1:14)、どうしてもしなければならない事、もししなかったら災いだ(1コリント9:16)、とまで言った。
この地にリバイバルをもたらしたい、次世代を起こしたい、といった「モチベーション」が無いとするならそれが私達にとって一番の深刻な問題である。それはつまり、熱いスピリットが無い事を意味しているからだ。
どうしたら、それを奮い立たせる事ができるだろう。それは自分で奮い立たせられるものではないし、叱られたり、急かされたりして沸き起こるものでもない。これを湧き起こす鍵は、イエス様の山上の垂訓にある。
『心の貧しい人達は、さいわいである、天国は彼らのものである。』(マタイ5:3) 「心の貧しい人」とは、原文的には、「霊で自分の貧困を意識する者たち」「自らの霊性で、自分が神の前に無一物、乞食同然であることを知る人々」である。また、「天国」と訳された語は、原文的には「天が支配する領域」である。
つまり幸いな人とは、自分は霊において自分は何もない、無一文な者だ、自分は乞食のようで、もし恵みを受けられないのなら、生きられない!と自覚する人々の事である。そのように自覚している人こそ天からの援助を受けられ、天の支配が、自分自身へと導入される特権が与えられる、という事を意味しているのだ。
自分は富んでいる、教えらなくてはならない事など無い、諭されなくてはならない事も一切無い、と思っている人こそ、じつは霊的に麻痺状態で、みじめで、何も持っていないのだ。自分は霊において貧しい者である、次世代が面している危機をうめく心が無い、リバイバルを求める心において自分は貧しい、自分は愛において、親切において、人を顧みる心において心無しで貧しい、自分にはビジョンが無い、主の働きのために必要なものがない…そういった「貧しさ」を涙を流して悲しむ所から「偉大な働き人」への道が始まる。
『悲しんでいる人達は、さいわいである、彼らは慰められるであろう。』(4節) ここの「慰められる」とは「パラカレオー」の受動態で、励まされる、元気づけられる、熱心に説かれる、勧告される、訓戒される、等の意味もある。だから、自分は霊において貧しい!と悲しむ人こそ、それが与えられ、慰められ、励まされ、あるいは慰め主である聖霊(パラクレートス)から、熱心に説かれ、あるいは勧告され、また訓戒される。
そして、「柔和である事」(5節)こそ、重要である。もし私達が、リバイバル化された日本を、相続したいのなら、柔和さを身につけるべきだ。柔和でない人には、「神の国」化された日本を、相続させてもらえない。
そして「義」に飢え渇く心も、重要である。自分の中を見、また世の中を見るに、義が無い状況について主に「飢えています!」「渇いています!」と訴える人にこそ、充分に満足する程、与えられるのだ。
次世代を起こす働きも、この国にリバイバルをもたらす働きも、強いモチベーションが無いなら不可能だ。
それを自身にもたらすには、まず自分が霊において貧しい者である事を自覚し、悲しみ、主の前で涙し、うめき、求めるのである。そうするならパウロのような、ダビデのような、ネヘミヤのような熱いスピリットが与えられ、この時代に立ちはだかる巨人を倒し、霊的な城壁を回復させ、福音のためならいのちをも惜しまない栄光の建て上げ屋になって行く。熱いスピリットをもってこの時代を建て直して行く私達でありますように!