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メッセージ - 主に向くなら(イザヤ43:18-20)

主に向くなら(イザヤ43:18-20)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2023-1-8 20:40

主日礼拝

主に向くなら(イザヤ43:18-20)

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週報/メッセージ(説教)概要

 1月のカレンダー聖句は、『見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。』である。今年は「メタモルフォー」、すなわち反転、逆転、変貌、反撃、ひっくり返しの年として、新年が始まったのだが、今月の聖句も同様に、「荒野に道」「荒れ地に川」という反転・逆転が示されていた。全ての事は二人または三人の証言によって確定する、と書いてあるからには、主は今年、全く新しい、良き方向へ導いて下さるだろう。
 
 主のメタモルフォーに与れるかどうかの鍵は「主に向く事」であると、第2コリント3:16-18から学んだ。
そこは原文的には、「人が主に振り向く時はいつも、その覆いは取り除かれている」、つまり、主に向き続けている状態なら、いつでも、栄光を遮断する覆いは取り除かれた状態で、逆に、主に向いていない状態なら、いつでも覆いに覆われてしまった状態、という事である。もし主の栄光が見えない、という事なら、主ではないもの(自分、現実、心配事など)に、目が向き続けている、という事だ。しかし主に向くなら…、覆われていた覆いは取り除かれ、主の栄光があらわになり、その栄光の輝きを通して、物事が起きるようになる。
  だから私達は、主のなさろうとする御旨に乗っかって行くべきである。主の御旨をさておきして、自分が思った通りにして欲しい、願い事を叶えて欲しい、と主に突きつけ、拝み倒す「異邦人の祈り」は、実は、主の栄光を邪魔する「覆い」で、自分自身を覆ってしまう事なのだ。もし私達が、物事に自分の手練手管を混ぜ込むなら、それは、その物事に「罪」を交ぜる事になる。 モーセは若い時、たった一人のユダヤ人を自分の方法で助けようとした結果、殺人者となり、ヒーローになるどころか、追われ逃げ隠れる犯罪人となった。
彼は結局、たった一人のユダヤ人さえ助けられず、大いに非難を浴びてしまった。 主が願われる道ではなく、自分の「はかりごと」によって物事を通して行こうとするなら、それ相応して「額に汗」しなければならず、生えてくる茨やあざみへの対応に追われ、ついには「ちり」にかえらなくてはならない(創世記3:17-19)。
 しかしもし、「主に向き続けている状態」であるなら、御霊が与えられる。そして御霊と真理がある所には、自由がある。閉塞感や束縛感にあふれている人こそ、真理なる主に目を向けて、御霊を求めるべきだ。
その人は、覆いが取り除けられた顔で、鏡に映し出されるかのように、主の栄光を見続ける。そうしてその人は、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられ続けて行く(メタモルフォーの現在形受動態)。
 
 だから主は言われる。先の事どもを思い出すな、昔の事どもを考えるな、と。そういった、以前のものや、現状のもの、将来のもの、自分のもの、他人のものにではなく、「主に向くなら」、主は新しい事をされ、反転をなさる。道の無い荒野に、道をもうけ、渇き切った荒野に川を設ける。野の獣も、ジャッカルも、だちょうも、主をあがめる、と書いてある。いかにジャッカルのような荒々しく、人を喰いものにするような者も、主をあがめるようになる。だちょうは、自分が産んだ卵を砂の中に埋めて、砂に温めさせる。自分ではどこに産んだのかすら忘れ、自分の足で卵を踏み潰しても何とも思わない。 また、猛獣が目の前に現れると、砂の中に自分の頭を埋める。そうするとダチョウ的には、猛獣が見えなくなるので、猛獣から逃げおおせた、と思い込んでいるのだが、単に猛獣の前に無防備に大きな図体を晒し続けて、じっとしているだけなのだ。
そのように知恵がなく愚かであっても、また、愛情のかけらが無い者でも、主に向くなら反転させて下さる。
ダチョウのような愛情が無い、愚かで、浅はかな自分に、嫌気がさしているだろうか。ジャッカルのような自分に嫌気がさしているだろうか。道が見えないだろうか。渇いているだろうか…。私達が主に向くなら、主がそれを反転させ、逆転させ、メタモルフォーの造り変えをして下さり、道を設け、川を流して潤して下さる。
 
 主はいつも、何もできない人、絶望している人を逆転・反転させて用いられる。イエス様の弟子達は、大した地位があったわけでもないし、知恵があったわけでもなかったが、神は知恵ある者をはずかしめるために、あえてこの世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれた。それは、神の御前でだれをも誇らせないため、ただ主だけを誇るようになるためである(1コリント1:27-30)。
 主は私達を、イエス様の働きへと招いておられる。イエス様が建て上げて行かれる、神の国の栄光の働きに加わるように、と。その働きの向こうには、ただ栄光しかない。イエス様に不可能な事は無く、倒せない敵は存在しない。主に向いて、今までのあらゆる古い覆いを取り除いていただき、人生が良い方向へと反転して行く経験をするこの年でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

 

 

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