メッセージ - 真の戦い方とは(1列王記18:21-40) 2026/01/08 木 早天礼拝

真の戦い方とは(1列王記18:21-40) 2026/01/08 木 早天礼拝

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pastor 2026-1-8 20:20

2026/01/08 木 真の戦い方とは(1列王記18:21-40) 早天礼拝

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18:21 エリヤはみなの前に進み出て言った。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、【主】が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」しかし、民は一言も彼に答えなかった。
 18:22 そこで、エリヤは民に向かって言った。「私ひとりが【主】の預言者として残っている。しかし、バアルの預言者は四百五十人だ。
 18:23 彼らは、私たちのために、二頭の雄牛を用意せよ。彼らは自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂き、たきぎの上に載せよ。彼らは火をつけてはならない。私は、もう一頭の雄牛を同じようにして、たきぎの上に載せ、火をつけないでおく。
 18:24 あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は【主】の名を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」民はみな答えて、「それがよい」と言った。
 
 
聖書の中でも名場面の1つである「エリヤとバアルの預言者との戦い」。それは、世にも不思議な戦い。
 
肉弾戦や兵器による戦いではなく、舌戦でも心理戦でもない。
人数は一切関係無い。なにしろこちらは一人、相手は850人。
対戦相手と対面すらしていない。
そしてこの世にも奇妙な戦いの決着方法は、ただそれぞれが、自分の神に呼ばわり、自分の神に動いてもらう、という戦いである。
これこそ、私達が、世に対し、サタンに対しての、決着方法である!(エペソ6:12-18)
わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。』(エペソ6:12)
 
私達は、世と渡り合って行く時、肉弾戦に持ち込んではならない。
計略戦や、心理戦、人数戦にも、持ち込んではならない。
エリヤがもしそんな戦争に持ち込んでいたら、とてもかなわなかった。
 
エリヤがたった一人で、850人を相手に、あくどい王を、そして、神に対して反逆的な国家を相手に出来た理由は、そして勝利した理由は、
自分の神に呼ばわり、自分の神に動いてもらう、という戦いに持ち込んだから、に、ほかならない。
ダビデがゴリヤテと戦った時も、その方法だった。
ゴリヤテは、自分の神々にかけてダビデを呪ったが、ダビデはイスラエルの戦陣の神にあって立ち向かった。
 
もし私達も、自分の神に呼ばわり、自分の神に動いていただく戦いをするなら、必ずビクトリーとなる。
  
バアルの預言者達は、先にバアルを呼び出す事を始めたが、何をどう呼びかけても、何の答えもなかった。
彼らはついに、踊り回り始めるのだが、それでも答える者が何もいない。
朝からずっと見物していた人々は、きっとしびれを切らして来た事だろう。
 
 

 18:27 真昼になると、エリヤは彼らをあざけって言った。「もっと大きな声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席をはずしているか、旅に出ているのだろう。もしかすると、寝ているのかもしれないから、起こしたらよかろう。」
 18:28 彼らはますます大きな声で呼ばわり、彼らのならわしに従って、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけた。
 18:29 このようにして、昼も過ぎ、ささげ物をささげる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注意を払う者もなかった。

 
 
時間が朝から昼へと経過し、夕方まで経過したが、
エリヤのほうは、自分の神である主に祈り求めたような行動は、一切していない
なぜ?
「主に定められた時」ではなかったからだ。
身勝手な時に、身勝手な方法で、身勝手な熱心に基づいて行なう礼拝は、全く無駄なのだ。
 
バアルの預言者達は、叫び踊っていたばかりでなく、互いを刃物で傷つけ、血を流すまでになった。
何百人もの人々が踊り狂いながら、刃物で血を流し合う。
実に、派手なパフォーマンスで、なかなかの壮観だったろう。
人々は、今度こそもしかしたら、何か起こるのではないか、という気がしたかもしれない。
しかし、「何もおきない」という事実が厳然と残るのみで、人々のバアルに対する期待は失望に変わり、やがて怒りへと変わっていく。
 
世の中は、大人数、大金を動員して、派手なパフォーマンスをやって見せて、
彼らが「神」としているものを呼び求めるが、
しかし、私達が自分の神に呼ばわり、自分の神に動いてもらう、という戦いに持ち込んだからには、神様の時、神様のやり方を、たんたんとやっていれば良い。
 
そうこうしている内に、主が定められた「夕暮れの捧げ物」の時刻が近づき、そして、エリヤは動き出す。
 
壊れた祭壇(礼拝)の建て直し
 18:30 エリヤが民全体に、「私のそばに近寄りなさい」と言ったので、民はみな彼に近寄った。それから、彼はこわれていた【主】の祭壇を建て直した。
 
主の御名は今までずっと軽んじられっぱなしで、その時、主の祭壇は壊れたままだった。
祭壇も、主の家も、主へ捧げる礼拝の場である。生活を良い方に立て直したいのなら、まず、礼拝の立て直しから始めるべきである。
 
この点、ビクトリーはいまのところ、クリヤしているが、もし、
 
主を礼拝する「祭壇」が壊れたままなら、働いても働いても、なお暮らしは楽にならない状態、稼いでも、穴の空いた袋に溜め込もうとするようなものなのだ。(ハガイ1:4-8)
礼拝の立て直しをするなら、その時から主が動いて下さり、実生活の立て直しが始まる。
もし、礼拝が壊されたまま放置しているなら、
どんなに血を流すほどの熱心があっても、バアルの踊りと同じで、何も起きない
 
自分は何にしたがって、この事を行っているか、というあかし
 18:31 エリヤは、【主】がかつて、「あなたの名はイスラエルとなる」と言われたヤコブの子らの部族の数にしたがって十二の石を取った。
 
十二の石を取る事は、モーセも、ヨシュアも行なった。(出エジプト記24:4,ヨシュア記4章)
これは、イスラエルの神、主あって為している事の「あかし」として行なっているのだ。
私達も、どなたを神としているのか、その所在を明らかにしておく必要がある。
一体、今、どなたを礼拝しているのか。「どの神」にあって、今、この事を行っているのかを。
 
犠牲と、主への信頼
 18:32 その石で彼は【主】の名によって一つの祭壇を築き、その祭壇の回りに、二セアの種を入れるほどのみぞを掘った。
 18:33 ついで彼は、たきぎを並べ、一頭の雄牛を切り裂き、それをたきぎの上に載せ、
 18:34 「四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注げ」と命じた。ついで「それを二度せよ」と言ったので、彼らは二度そうした。そのうえに、彼は、「三度せよ」と言ったので、彼らは三度そうした。
 
雨が降らない時期の水は、とても貴重であるが、エリヤは、それを主の祭壇に注げ、と、人々に言う。
水を注いだら、火がつくのがもっと困難になってしまうばかりでなく、貴重なものを注ぐわけだから、ちょっとやそっとの覚悟では出来ないが、人々はそれをした。
エリヤはさらに、それを2度せよ、3度せよ、と言った。
こうして、イスラエル部族の数と同じ、合計十二杯の水が祭壇に注がれた。
 
全く、バアルの預言者とは違った方法だ。
バアルの預言者達は、朝から熱心に騒ぎ立てながら祈ったのに、エリヤは、定められた時が近づくまで行動を起こさなかった。
バアルの預言者達は、派手なパフォーマンスをして人々にエンターテイメント性を感じさせる事を行なったのに対し、エリヤは人々を楽しませる事は一切せず、むしろ、貴重な水を主の祭壇に注がるという「捧げもの」をさせた。
礼拝とは、人間のエンターテイメントではない。人がサービスを受けるものではない。
礼拝とはサーヴィス、すなわち、仕える事や捧げる事を意味するものであり、主をエンターテインさせる(喜ばせる、もてなす)事である。
 
このように、人の側が主を敬い、主に捧げる行動をとる時、主は事を行われる。
 
たった一言の祈りで事を終わらせたエリヤ
バアルの預言者達は、朝から踊ったり血を流し合ったりしてまで、何百の口が、何百回とバアルを呼び求めたのに、何も答える者は無かった。
それに対し、エリヤは、たった一回の祈りで、事を終わらせる。
 
 

 18:36 ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、【主】よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。
 18:37 私に答えてください。【主】よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、【主】よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」
 18:38 すると、【主】の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。

 
 
主こそ生きておられ、力強き神である事が証明された瞬間だ。
主に定められた時、主の御名を置いた祭壇を築き直し、主に呼ばわって祈った。
主の御旨に適った時、方法、言葉で祈るなら、
主は一発でその祈りを聞かれるが、
主の御旨に叶っていないものは、何度祈っても、踊り狂って血を流しても、無意味なのだ。
 
『民は皆見て、ひれ伏して言った、「主が神である。主が神である」。
 
エリヤが祈った結果、天から火が降ってきて、主の前に置かれたいけにえだけでなく、水さえもその火は焼きつくしてしまった。
これ以上、主が生きておられる事の明確なしるしはない。
これを見、また聞いておきながら、主に立ち返らず、心頑なにするなら、そのような者は、もう救いようがない。
 

 

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