メッセージ - 終末の時代を備えるにあたっての、良い例と悪い例(マタイ25:1-13) 2026/02/04水曜昼礼拝

終末の時代を備えるにあたっての、良い例と悪い例(マタイ25:1-13) 2026/02/04水曜昼礼拝

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執筆 : 
pastor 2026-2-4 14:22

終末の時代を備えるにあたっての、良い例と悪い例(マタイ25:1-13) 2026/02/04水曜昼礼拝

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【概要】

イエス様は十人の娘のたとえを通して、花婿である主を迎える準備について語られました。賢い五人は油を用意していましたが、愚かな五人は用意していませんでした。主との日々の交わりこそが、主を迎える真の準備です。

【聖書箇所】

マタイ25:1-13

【励ましの言葉】

私たちは今、花婿なるイエス様を迎える花嫁のような立場にあります。イエス様はやがて、稲妻が東から西にひらめくように、誰の目にも明らかな形で来られます。

【勧めの言葉】

日ごとの主との交わりを大切にし、時間やエネルギーを主のために用いることが必要です。一夜漬けの信仰ではなく、日々の積み重ねが大切です。

【戒めの言葉】

その場しのぎの信仰、一夜漬けの信仰では、主を迎える準備は整いません。主との人格的な交わりを持たなければ、主から「知らない」と言われてしまいます。

【***AIによる文字起こし***】

今日、恵みをいただく御言葉は、マタイによる福音書25章1節から13節です。まず1節から4節を一緒に読みましょう。

「ここで天の御国は、たとえて言えば、それぞれが灯火を持って花婿を出迎える10人の娘のようです。そのうち5人は愚かで、5人は賢かった。愚かな娘たちは、灯火は持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分の灯火と一緒に、入れ物に油を入れて持っていた」(マタイ25:1-4)

今、私たちは、例えて言えば花嫁のようなものです。結婚を控えた花嫁で、もうあとすぐで花婿が迎えに来るという、そういう状況です。まことの花婿はどなたでしょうか。イエス様です。

今、イエス様は見える形では来ていないのですけど、やがて、もう誰の目にも明らかに、稲妻が東から西にひらめくように、そのようにして来るとイエス様はおっしゃいました。ですから今、私たちは、そのお迎えをする準備をする段階なんです。

今この準備をする段階をどのようにして過ごすべきであるのか、またどのように過ごしてはならないのか、それが今日のイエス様の例え話の中にあります。

イエス様がおっしゃったのは、天の御国は、例えて言えば、それぞれが花嫁たちが灯火を持って花婿を出迎えるような、その十人の娘のようです。そのうちの5人は賢く、5人は愚かだったんですね。そして、彼女たちはもうすぐ来るということで、灯火を持って待っていました。

けれども、思った以上に、花婿が来るのは遅くなります。まだまだ来ない、来ない。もう最初は立って待っていた彼女たちですけども、だんだんくたびれて、足がしびれて、夜、もう髪の毛も夜露に濡れてきます。そして、ランプの火が小さく揺れるのを、ぼんやり眺めながら、私の主人花婿はまだかな、まだかなって眺めるようになって。そして、だんだんだんだん、まぶたがとろんと重くなって、そして、誰からともなく一人座り込み、また一人座り込みで、そしてみんなが頭をなだれて、とうとう眠りに落ちていきました。

夜も半ばが過ぎた頃でしょうか。その時、真夜中の静けさをつんざく声が向こうから聞こえてくるんです。「そら、花婿だ。迎えに出よ」。みんなが一気に目が覚めるんですね。それでもう振動が高くなります。いよいよこの時が来たか。それで、その10人の娘たちは一斉に目が開いて立ち上がって、そして花婿を迎えるために必要な灯を整えるんですけども、そのうちの賢い5人は、その灯の他に油を用意していました。愚かの5人の方は油を用意しておりませんでした。

いざ花婿が来たということで、火を、ランプを整えるんですけども、しかし、その愚かな方の娘にはですね、その灯火がもうボンボンジュっていって消えてしまったんですね。あ、これは大変。せっかく花婿をお迎えするという、こんな大事な時に、灯火の火が消えてしまった。油がもう残っていない。

それで、その5人の娘たちは、油の用意をしていた5人に頼み込むんですね。「お願いです。油を少し分けてください」。もう私たちの灯火、こんな消えそうな暗闇の中で、必死に差し出されるランプで。

しかし、賢い乙女たちは、断らざるを得ないんですね。「いいえ、ダメです。分けてしまったら、もう私の分まで足りなくなってしまいます。それよりもお店に行って、自分の分を買ってきなさい」というふうに言うんですね。

彼女たちはもう迷いながら、もう確かにもう油がないからどうしようもない。どうも分けてくれそうもない。だからそこで彼女たちは、夜、お店、空いてるお店に行って、そして走っていくんですね。花婿がもうすぐ来るというその場を、彼女たちは離れざるを得ませんでした。

そして、その彼女たちが買いに行っている間、扉が開いて花婿が入ってきます。そして、そこにいた5人の花嫁たち、油をしっかりと用意していた彼女たちの灯火は、煌々と光が灯っていて、その花婿を迎えて、そして花婿はそんな乙女たちの本当に灯火が、こんな夜の半ばでもはっきりと灯して光を放っている彼女たちに満足して、そして彼女たちを迎えて、そしてこの花婿の家へと歩いて行き、そしてその婚礼の扉が閉められて、そしていよいよ宴が始まりました。この5人の乙女たちは、「ああ、いよいよ待ちに待った私の花婿と結婚するんだ」と喜び勇んだことでしょう。

さて、その残りの5人はどうしていたか。ようやく油を手に入れたようです。そして、元のところに走っていくと、もう誰もいなくなっていた。「あ、じゃあもう花婿が来て、そして婚礼の席に行ったんだ」ということで、彼女たちはその花婿の家の方に、走っていくんです。そして、灯火に火を灯して、煌々と光を灯して、そして行ってみると、なんと婚礼の扉が閉まっているんですね。

彼女たちは、息を切らしてね、「ご主人様、ご主人様、開けてください」って言うんですけども、しかし、扉の向こうから声がするんですね。「確かなところ、私はあなた方を知りません」。

彼女たちのことを、この花婿は「確かなところ、あなた方を知りません」と言うんですね。とてもなんか恐ろしい感じがしますね。

この話、イエス様は言われます。はっきりとイエス様はこの話について、たとえ話について結ばれる言葉は「だから目を覚ましていなさい。あなた方はその日その時を知らないのです」。イエス様は「だからしっかりと目を覚ましていなさい」というふうに言われました。

この、目を覚ましているということ。彼女たち、最初眠りましたね。夜遅い。それで花婿が来るのがいつなんかわからないということで。確かに彼女たちは眠ったんですけども。これですね、イエス様が最後に語られ、「だから目を覚ましていなさい」。これどういうことか。きっとですね、これ24時間目を覚まし続けていなさいということではないんですね。眠るなということではありません。

十乙女5人5人、10人合計全員が、あの花婿が来るのが遅くなって眠ってしまったんです。体力は持ちません。人は眠らなければ体力が持たないんですね。ただですね、大事なことは、いざ目が覚めた時に準備が整えられて、いつでも迎えられる側の5人と、目が覚めた時に迎えられない側の5人に分かれました。準備があったか準備がなかったか。

ですから、いざ花婿が来た時、本当にもう夜半の頃、人々が眠り出すような、そういう時間になるかもしれない。いや、むしろそういう時間になるのだから。だからしっかりと整えていなさい。しっかりとこの灯火を消すというようなことがないように、整えているべきなんですね。

じゃあ、どのように整えていくべきか。ここの9節のところで、賢い娘たちは、「あなた方に分けてあげるには、この愚かな5人に私の油を分けてあげるには到底足りません。それよりも店に行って自分のをお買いなさい」というふうに言うんですね。

夜中の、もう人々が眠るような頃にお店がやってるのか。そういうところあるんです。まあ、カンボジアに行った時ですね、夜中道路を走っていて、何か果物欲しいねって言って、え、こんな真夜中に果物売ってるところあるのかなって思ったんですけど、なんと道端に、もう結構あるんですね。あの、果物売っていて、そしてハンモックで寝ていて、いつお客さんが来てもいいように、露店でそういうお店がありました。

まあ、とにかくこの夜、油を買いに行くという行為、これ明確に、商取引の行為を前提としております。要するに、何かのお金だとか、あるいは物々交換だとか、対価を支払って、そして油を買ってきなさいっていうことを彼女たちは言ってるんですね。つまり彼女たち、この愚かな娘には、その油は持っていなくても、その油と物々交換できるような、あるいはお金は彼女持っていたんですね。

花嫁、もうお金とかその物々交換するためのものなんて持たなくてもいい。こんなネックレスとか、そうしたこれと物々交換してくださいとか、そういったことよりも、賢い乙女は最もこの婚礼において備えるべき重要な油をあらかじめ交換していたんです。けれども、この愚かな5人の方は、もういつでもこの花婿が迎える、たとえ遅くなっても大丈夫なようにという、その備えの油を物々交換していないで、お金は持っている花嫁、けれども油は持っていない花嫁だったんです。

皆さん、今この時、この時代、皆さんは交換するべき、主がいつ来ても大丈夫なように、皆さんの時間、また皆さん自身のそのエネルギー、それを物々交換して、主がいつでも来られてもいいように備えをしていくということ、これ、日ごとのこの生活が大事なんですね。

彼女たちは、いつか必要になるねということはわかっておりました。夜、夜半過ぎ頃、油がつきるかもしれないね。それ、いつ用意してもいいということは分かっておりましたけども、しかし、今ということをしなかったですね。それをその場しのぎ、その場しのぎ信仰と言います。まあ、今こうして灯火が燃えてるからいいや、今このようにしていられるから、なんか、もう花嫁然としているでしょうねっていう感じで、え、なんか自分で自撮りしたりとか、灯火を持った花嫁姿みたいな。そんなことにうつつを抜かして、準備をしていないとするならば、その場しのぎ信仰、一夜漬け信仰になってしまうんですね。

皆さん、信仰と受験は一夜漬けではできないものです。日ごとの積み上げ、日ごとの準備、これをし続けていく信仰こそが大事なんですね。

この油、聖霊の油というふうに、まあよく言われるんですけども、けれども、聖霊の油は、聖霊は物々交換で売買ができません。あのシモンという異端の人が、このペテロから、この聖霊の賜物をお金で買おう、買おうとして、「どうかその賜物を私にください」って、お金を差し出しましたけども、そんなことが退けられましたね。聖霊は物々交換できない。

じゃあ、彼女たちが今ここで、市場に行って物々交換しに行ったのは一体何だったのか。それ、まさに皆さんの時間であったり、今この時を主に対して、この時間を神様の国と物々交換するか、皆さんの持ち物を神様の国と物々交換するか。それをしっかりと皆さんは日ごと積み上げていくべきなんです。それは、いざあ、もう主が間近に来られるということですね。それ、いざという時にさっと物々交換はできないものなんです。

ある生徒さんがこういう質問をしました。「私、確かにイエス様の教えは、いいんだけれども、でもちょっとまだね、やりたいことをたくさんやりたい。だから主が来られるという、いざという時に、あ、イエス様、ごめんなさい、イエス様、あなたを信じますって言ったら、天国に行きますよね」。けれども、ここを見るとどうも、そんなにうまくはいきそうにないですね。

普段からの物々交換、普段からの主に、いかに皆さんがイエス様と時間を共にし、いかに皆さんが日々イエス様に向かって祈り、また御言葉を蓄え、また本当に主のために労し、また主のゆえに忍耐し、主のゆえに本当に心を注いでいるか。本当に主とのその日々の交わり、これは、まさに日々の物々交換です。

それだけはそればかりは、このいかに、愚かな乙女が、もう灯火が消えそうです。「あなたの油を分けてください」って言っても分けられないですね。これは本当に本人自身がいかに日々主の御前に積み立ててきたか、これによりけりなんです。

この愚かな方の花嫁、「ご主人様、ご主人様、開けてください」と、扉を叩きましたけども、けども、このご主人様は、「確かなところ、私はあなたを知りません」と言っております。この花婿、本当は知ってるはずですね。けれども知らないという。本当に主との交わりを日々していないとするならば、であるならば、この、いざ、主人の方からは知らない宣告をされてしまうんですね。

ここの知らないということ。オイダーというギリシャ語ですね。ギリシャ語で知るということにおいては2種類あります。オイダーとギノスコー。このギノスコーというのは、もう関係の中で本当に相手のことを経験的に知るということ。そして、この場面で使われたオイダーの方は、あなたのことをもう知覚的には知ってるというだけのもの。

この花嫁に対して主は、あなたこと、あなたのことを経験的も知覚的にも知らないし、また本当にあなたのことを知らないよ。これすなわち、あなたは、あなたは確かに灯火は整えていたかもしれない。けれども、あなたはその待っている間、何をしていたのか、私との交わりをしていなかったじゃないか。神の民として、その主との本来の本質的な交わり、祈り、賛美、そして本当に主との人格的な交わりをしていなかった。だから、あなたのことをそういった面において、あなたは知らない。あなたは神の国の民としてカウントされていないものだ。そういうことになってしまうんです。

皆さん、神様との関係は関係です。コミュニケーションしたり、共に喜んだり、共に悲しんだり、共に嬉しがったり、そうした関係、この積み重ね、それこそかけがえのないものであり、私たちが今この地上で生きてる間に物々交換をしていくべきものです。支払って、イエス様のために時間を支払い、イエス様のために力を支払い、イエス様のために本当に思い、心、感情を注ぎ、主に支払い、その積み立てがこの油なんですね。これは物々交換できるものではありません。

どうか皆さん、今、本当に主がいつ来られようとしているかわかりません。あなたは毎日イエスのそばを歩んでいるか、花婿なるキリストを迎えに出られるか。皆さんはしっかりと今、もう一夜漬け信仰はダメです。しっかりと日々イエス様と交わりましょう。イエス様との関係を築き、そしていざ主が来られたぞという時にすっくりと目覚めて起き上がって、灯火に火をつけて、煌々と照らして、主をお迎えする、その準備がいつでも整っている皆さんでありますように。

【結論】

主を迎える準備は、一夜漬けではできません。日々の主との交わり、祈り、御言葉、主のために労すること、忍耐すること、そうした積み重ねこそが油です。この油は誰かから分けてもらうことはできず、私たち一人一人が日々主との関係の中で積み立てていくものです。いつ主が来られても、煌々と灯火を灯して主をお迎えできるよう、今日から主との親密な交わりを大切にしていきましょう。

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