メッセージ - 万軍の主の御名と羊飼いの道具だけを携え、巨人に向かって行くダビデ(1サムエル記17:41-47) 水曜夜礼拝
万軍の主の御名と羊飼いの道具だけを携え、巨人に向かって行くダビデ(1サムエル記17:41-47) 水曜夜礼拝
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- 執筆 :
- pastor 2026-1-28 21:40
万軍の主の御名と羊飼いの道具だけを携え、巨人に向かって行くダビデ(1サムエル記17:41-47) 水曜夜礼拝
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【概要】
剣や槍を持たず、万軍の主の御名と羊飼いの道具だけを携えて巨人に立ち向かうダビデ少年。 巨人の傲慢な言葉が、彼の内に秘めた真理を呼び覚ました! これは、血肉の戦いではない。 真理が信仰と共に宣言される時、 力と口が達者な世の力は真理によって打ち砕かれ、真理が現実を飲み込んでいく。。。 真の霊的バトルが幕を開ける!
【聖書箇所】
第一サムエル17:41-47
ゼパニア3:17
【励ましの言葉】
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主は私たちのただ中におられる救いの勇士です
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主を拠り所とする者に、主は自信と勝利を与えてくださいます
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キリスト者は主の勝利に乗っかって進むことができます
【勧めの言葉】
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真理を口で宣言することが霊的な戦いにおいて重要です
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戦いを主の戦いとして、主の御名によって立ち向かいましょう
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主により頼み、主にあって進みゆきましょう
【***詳細***】
今日恵みをいただく御言葉は、第一サムエル記17章41節から47節です。はじめに皆さんと共に41節と42節を宣言したいと思います。第一サムエル記17章41節から、せーの。
「そのペリシテ人も盾持ちを先に立て、ダビデの方にじりじりと進んできた。ペリシテ人はあたりを見下ろしてダビデに目を留めた時、彼を蔑んだ。ダビデが若くて紅顔の美少年だったからである。」アーメン。
愛する主よ。強者が盾を持ってじりじりと迫って、覆いかぶさってこようと、私たちを飲み込もうとしてやってくる時において、私たちは勝利の術を持っていることを感謝いたします。主よ、あなたが勝利の源なるお方、あなたが私たちの相続財産、あなたが私たちのご褒美です。イエス様、あなたを得ている私は、なんと幸いなことでしょうか。今晩、主よ、このじりじりと迫ってくる強者に対して圧倒的に勝利する術を、この御言葉から学ばせてください。どうか取り次ぐしもべの唇を、また聞く人々の耳を通り良くして、あなたの御旨、あなたの御言葉そのものを豊かに豊かにいただき尽くすことができますように。御霊よ、助け導いてください。初めから終わりまで、すべてをただイエス様の支配の御手にお委ねして、私たちの愛する主イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。
ハレルヤ、シャローム、シャローム。主の御名を褒めて大賛美いたします。本当に主は勝利の主なんですね。主は今も生きて働かれます。この聖書の時代だけでなく、今まさに皆さんお一人お一人と生きて働かれる主が皆さんと関わり、皆さんを愛し、皆さんと手と手をつないで共に行こうと、そのような志を持って、主はいつでも皆さんに望んでおられるんですけども、私たちの心が主に向いていないと、主は一緒に働くことができなくて、寂しい思いをされているんですね。
今日のこの箇所において、ずっと神様は40日ずっと寂しい思いをしておられたんです。しかし、このダビデという少年、このイエス様と手と手をつないで共に歩もうとしている一人の少年が現れた時、この戦況ががらりと変わるんですね。
今日のところにおいて、いよいよこのダビデとゴリアテが面と面を向かう場面に入ったんですけども、それまで、この40日も朝晩、1日2回、合計80回、律儀にこのイスラエルをなぶりに来ていたこのゴリアテ、それがようやくダビデが立ち向かっていくんですね。
立ち向かっていく様、本当にどういう様だったでしょうか。ゴリアテとしては、もう朝晩、もう80回も同じようにイスラエルをなぶっていて、もうルーチンワーク化していたことでしょうけれども、ようやくこのゴリアテの前に1対1で戦おうという戦士がようやく現れたということをゴリアテが聞いて、ゴリアテはどういう思いをしたか、まあ、いろいろ思ったんですね。やっと現れたかっていう、まあ、そういうふうに思ったか、あるいはゴリアテとして、もしかしてちょっとした恐れが、不安がよぎったんじゃないか、そうかもしれないですね。
なにしろイスラエルの神、主は力強いお方だということは聞いていたんですけども、ずっと今まで調子に乗って、もう80回もなぶり続けていた。で、いよいよこの自分の前に立ちはだかる戦士が現れた。じゃあ、一体それはどういうものであるのか。いざゴリアテの前に、ゴリアテはこの若者を、盾持ちの若者を引き連れて、その盾持ちを前にして、ゆっくりゆっくり戦場に歩いてきました。
で、それで向こうの方から、また若者が来るんですね。しかも盾を持っておりません。若者はいるけれども、なんか屈強な戦士の姿は見えないんですね。なんか杖を持った羊飼いの姿をした若者が来て、盾も持っていない。戦士もいない。で、ゴリアテは、あたりを見回すんですね。見回して見ると、どうやらその羊飼いの姿をした少年が、なんか本気の本気顔で自分に向かって、それで自分をなんか倒す気であるかのような、そんな様子をしながら自分に向かってくるんですね。
で、それでダビデに目を留めて彼を蔑んだ。ダビデが若くて紅顔の美少年だったからであると書いてあるんですね。顔がまだ赤みが残ってる少年ですね。まあ、ダビデはこの時、まあ15歳以下だったんですね。まあ中学生ぐらいですね。まだ高校にも入っていないような、そういう年齢の美少年が真面目な顔をして、この歴戦の戦士である自分に向かって来るんです。
で、それでペリシテ人はダビデに言った。「俺は犬なのか。杖を持って向かってくるが」。ペリシテ人は自分の神々によってダビデを呪った。
このペリシテ人ゴリアテとしたら、もうなんか馬鹿にされたかのような、そういう思いだったかもしれないですね。杖を持ってくる。剣とか槍とか、なんか屈強な装備とかではなくて、このゴリアテにとっての盾持ちの少年と同じぐらいか、まあ、そんな感じの少年が杖を持って自分に向かって本気顔で向かってくる。「俺は犬なのか」って。まあ、自分で自分のことを犬呼ばわりした時点でも、このゴリアテの、そのまあ負け根性と言いますか、もう確定してるかのように見えるかもしれませんけども。
そしてペリシテ人は自分の神々によってダビデを呪ったと書いてあります。相手がもしもう余裕で倒せるような、そういう相手だと睨んだら、別にそんな神頼みしなくても、まあ、良さそうなもんですけども。しかし、なんとなくこの時、ゴリアテは嫌な予感がしたんじゃないでしょうかね。自分の神頼みと言いますか、神々の名前を出さなければ、何かやっていけないかのような、そういうところがあったのかもしれません。
こうして神々の名前を出して、それでペリシテ人はダビデに言った。「さあ、来い。お前の肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」というふうに、そういうふうに言います。蔑むんです。また罵倒します。脅しかけてきます。
この蔑んだり、脅しかけてくる、その口達者なものが、この世の中ではより有利に立ち位置を進めていける、そういう傾向があるかもしれませんね。より口達者で、より蔑み上手で、そういう人がその場の空気を握って、そういうふうに言葉一つで支配していくかのような、世の中においては蔑み達者なものがやりくりしていくのが、うまくいくところがあるかもしれないんですけど、しかし皆さん、神の国においては蔑み達者ではなく、真理達者な人が勝利するんです。
この蔑み達者、いかに相手が、もう筋肉隆々の巨体であろうとも、いかに相手が蔑み口達者であろうとも、真理にしっかりと立って、そして真理を宣言して、真理で真理の土俵に相手を持ってくるのであるならば、皆さんはこの真理が、真理が偽りを飲み込み、真理が現実を飲み込み、そして真理が勝利する、持ってくることができるんです。
持ってこない、口を開かない、真理を宣言しないとするならば、相変わらず飲み込まれたまんま。皆さん、霊的な戦いというのは言葉による戦いですね。口を使うべきなんです。祈りにおいても賛美においても、口を開くべき時に開くべきなんです。また、敵が、こういう蔑み言葉をしてきた時も、皆さん口を開いて真理を宣言するべきなんです。真理を宣言するならば、偽りは真理に飲み込まれ、また、現実はこの真理に飲み込まれて、真理に立つ側が勝利するように、この世界はできているんです。アーメン。
この彼はゴリアテは、自分の神々によってダビデを呪ったんですけども、じゃあこのゴリアテが宣言したペリシテの神々は一体どういう神々か。ダゴンの神なんですね。体が、上半身人間の体、下半身は魚のしっぽ。それがダゴンなんですけども、もうあれですね、このサムエル記のもっと前の方の章で、ダゴン、このイスラエルの神によって、もう胴体切り離され、頭と首が切り離されておりましたね。
そのダゴンの名前によって、このゴリアテはダビデを、この神々の名によって呪って、「さあ来い、野の獣にお前の死体をくれてやろう」っていうふうに呪いの言葉でやるんですけども、もうすでにこの言葉を発した時点で、ダビデとしては、なんかその勝利の自信がメラメラと湧いてきたんじゃないでしょうか。
あ、ゴリアテは自分も神々の名前によって呪ったぞ。あのゴリアテがその名前出したその自分の神々って、あのイスラエルの神に、もう胴体切り離された、あのみっともない無力な神じゃないか。よし、これは勝てるぞっていうですね。もうこのゴリアテの口を通して、ダビデが自信を持ったんじゃないかと思われます。
皆さんも、敵と対峙する時、真理に固く立って、祈りながら、そのいざ戦いの場に進めた時、現代の戦いは槍や槍の戦いではないですね。まあ、例えば入試のための面談だとか、その採用試験だとか、その面接相手の口から、そういうなんか自信を持たせるような言葉が出るということを、私、何度か経験してるんですね。
あ、この戦いは勝てる戦いだって、なんとなく、その本人自身の口を通して、あるいはその当日の状況などなどを通して、また道が開かれないな、本当にこのままだと、家が根絶やしにされてしまうかのような、そういう思いで祈ってたら、もうなんかもう別の意外の方面から解決方法が与えられたりとかですね、そういったことも何度か経験しております。
皆さんも本当にこの真理に立つ時に、主が皆さんに、自信のない皆さんに自信を持たせてくださるような、そういうしるしや、またそういった導きをくださることがあります。主は真実なお方だからです。
戦いにおいては、いかに装備を強くしたか、力をつけたか、トレーニングを積んだか、それによって勝利するものですけども、真理の戦い、霊的な戦いというものは、背後におられる主によって勝利するものです。
ここ何度か、月曜日からずっと、このダビデとゴリアテの戦いの、そのまあ前哨戦、ずっとメッセージしてるんですけども、一貫して皆さんに言いたいこと、これは皆さんが戦う時、どなたを背後に据えるかということ。皆さん自身で戦えば負けますよということ。しかし、皆さんのうちにいます強者、皆さんのうちにいます勝利者、勇士であるイエス様にあって戦いを挑むのであるならば、皆さんは恐れる必要は全くなくなるということ。これを皆さんしっかりと学んでください。
私たちの戦いは血肉によるものではないんです。この体だとか、経験値だとか、年齢だとか、装備だとか、そうしたものによって、そうしたものに頼ってではなく、主により頼んで戦ってください。主は皆さんにとっての救いの勇士です。
ダビデはこの戦いを、イスラエルの万軍の主と、このダゴンとの戦いに持ち込みます。45節で、じゃあ皆さんと一緒に。45節ダビデになったつもりで宣言してください。45節せーの。
「ダビデはペリシテ人に言った。お前は剣と槍と投げ槍を持って私に向かってくるが、私はお前がなぶったイスラエルの陣営の神、万軍の主の御名によってお前に立ち向かうのだ。」アーメン。
皆さんが面接前だとか何か戦いの前だとか、本番の演技の前とか、そうした戦いの前にこれを宣言してくださいね。私はイスラエルの陣営の神、万軍の主の御名によってお前に立ち向かうのだ。本当に自信がつく言葉です。
ダビデはこの戦いを、イスラエルの陣営の神、主と相手の神との戦いに持っていきました。で、エリヤもそうでしたね、エリヤは。この戦い、自分一人対相手850という、そんな人海戦術的な戦いではなく、むしろ神対神の戦いに持ち込みましたね。それで勝利しました。勝利できます。
私たちの神様、強い神様です。世の中の何者よりも強い私たちの神様により頼んで、そのお方にあって進みゆくならば、皆さんの心は平安になり、そして現実が真理に飲み込まれていくんです。
キリスト者は、本当に望みがありますね。もう腕立て腹筋して鍛えることによって勝利する戦いではないこと、本当に感謝ですね。イエス様が勝利してくださった、そのイエス様がすでに勝利されたその勝利に乗っかって、それによって進みゆくんです。ジェットコースターに乗っかったら、もう超スピードでいきますね。イエス様に乗っかったら、勝利が超スピードで進んでいくんですね、私たちは。
ですから、言ってみれば、キリストのふんどしを取って相撲を取るものです。あのことわざで、虎の威を借りた狐って、皆さんご存知ですか。虎の威力を借りて、狐が、俺は強いんだぞって、そういうふうにやるんですけど、しかし中身は狐なんですね。あの虎男、なんか虎の毛皮をかぶった、そういう成りをして、俺は虎だぞなんか、そんなことしても結局中身は弱いけれども、皆さん、キリストを着たものは強いんですね。
キリストを着たキリスト者、キリストを呼び込んだキリスト者は、この世の中において平安が与えられ、また、そのキリストの導きが与えられ、キリストが具体的に勝利してくださるから、そのキリストの勝利に向かっていくことができる。アーメン、このことが可能なんです。
ダビデのそのさらなる言葉が続きますけども、では46節、次の46節をみんなで一緒に宣言します。せーの。
「今日、主はお前を私の手に渡される。私はお前を打って、お前の頭を胴体から離し、今日、ペリシテ人の陣営の屍を空の鳥、地の獣に与える。すべての国はイスラエルに神がおられることを知るであろう。」アーメン。
この節には、主、神という言葉が何度か使われました。ダビデはこの戦いを神の戦いにしました。きっとダビデとすれば、本当に、このゴリアテに対して話している間に、ゴリアテのその成り、図体を見ながら、きっと神様がビジョンとして見せてくださったんじゃないでしょうか。
このゴリアテの頭と胴体が切り離されている様を、そして本当にこのダゴン、神様が胴体と頭を切り離してくださったあの様を見て、あの様を聞いて、そして自分も今、主にあって戦うのであるならば、このゴリアテをも切り離せるって、そういうふうに思ったことでしょう。そうしてイスラエルに神がおられるということを全員が知るようになると宣言しました。
では47節、みんなと一緒に宣言します。ここで主という言葉が、まあ合計3回出てきますね。本当に皆さん、主という言葉を皆さんしっかりと念頭に置きつつ宣言してください。せーの。
「この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はお前たちを我々の手に渡される。」アーメン。
はっきりと宣言しました。「これは主の戦いだ。主はお前たちを我々の手に渡される。」アーメン。本当にこの主、主の御名によって宣言すること、これが力があるんです。皆さんが本当にこの主を拠り所としており、そして主の時、主の御旨通りに進んでいくのであるならば、主が皆さんが宣言した言葉の通り、その時に主が与えてくださるんです。
この主の栄光を皆さんがしっかりと握りしめること。主は私たちよりも主が栄光を受け取ってくださいと。本当にこの主を、主をより高くしようとする人に、主はこのようにして、この自信を与え、また実際的な勝利を与えてくださるんです。この宣言、「これは主の戦いだ」。主はまさに私たちのただ中におられる救いの勇士です。
冒頭で宣言した箇所、ゼパニア3章17節に書いてあるんですけども、「あなたの神、主はあなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びを持ってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌って、あなたのことを喜ばれる。」アーメン。
主は皆さんのことを愛しておられます。主は主により頼む皆さんのことを本当に喜び、楽しみで、主は本当にその愛によって安らぎを与える。そして主は高らかに歌って、皆さんのことを喜ばれる愛の主です。皆さんのことを本当に好き好んでおられる主です。
皆さんが本当にこの主によりどころを求めてくるのであるならば、主は本当に皆さんのことを喜び、楽しみをあります。「ようやく私を頼ってくれたか。このイスラエルの陣営の中に、ようやく私の御名を用いて勝利をもたらすものがやっと来たか」。主は本当にこのダビデがこの戦場に来たことを喜んでおられたことでしょう。
今この日本に皆さんが生まれて、そして主を信じて、主の御名を用いて、この栄光の実体を破国に育てる働き、本当に主が喜んでおられることでしょう、皆さん。本当にこの主の御名を用いて、この日本に救いをもたらしていきましょう。
この私たちもダビデのように信仰を持って宣言して、この世代、この時代、この場所、この国に主の栄光をもたらしていく皆さんでありますように、イエス様のお名前によって祝福いたします。アーメン。
【結論】
私たちの戦いは血肉によるものではなく、主の戦いです。主は私たちのただ中におられる救いの勇士であり、私たちを喜び、楽しんでくださるお方です。真理を口で宣言し、主の御名によって立ち向かう時、主は具体的な勝利を与えてくださいます。キリストを着た者、キリストに乗っかる者は、すでに勝利されたイエス様の勝利によって、この世において勝ち得て余りある者となることができます。主により頼み、主の栄光を掲げて、この時代に主の救いをもたらしていきましょう。





