メッセージ - 神にあって無駄なことは一つもない(1コリント15:58) 早天祈祷会 2026年1月15日(Thu)
神にあって無駄なことは一つもない(1コリント15:58) 早天祈祷会 2026年1月15日(Thu)
- カテゴリ :
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- 執筆 :
- pastor 2026-1-15 6:40
神にあって無駄なことは一つもない(1コリント15:58)
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1コリント15:58
ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
私達は日々、何かしらの「主にある」労苦があります。あのこと、このこと。。。
しかしそれらは、「主にあって」、むだではない、とパウロは言います。
「主にあって」、という点が、肝心です。
主に「ない」労苦は、ただひたすら虚しいです。
その事を、ソロモンは告白しています。
Ecc 1:14 私は、日の下で行なわれたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。
Ecc 1:15 曲がっているものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。
ソロモンは15節で言ってますね。
「曲がっているものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることができない」と。
それはキリスト抜きで何かやろうとすれば、そうです。
いくらIQが、ソロモンばりに何百、何千あっても。
曲がってしまっている自分自身の罪は、ねじまがった性質は、いくら正そうとしても、できないのです。
そのことを、ソロモンは証明していますね。
全ての知恵知識を得ても、結局神様を知らない人の行き着く先がここに至ってしまうんです。
だから、仏教の教えと、ソロモンがさとった事は、同じなのです。
じゃあ、イエス様の方法はどうか?
それは、十字架の死と、復活です。
イエス様の方法は、曲がっているもの、無くなっているもの、罪深いこの体は、
死に明け渡すこと!
そして、キリストとともに、復活することです。
今日の箇所、第一コリント15章は、死と復活の章です。
パウロはこの章の始まりに、次の事を「最もたいせつな事」としています(3節)。
すなわち、キリストは私達の罪のために死なれ、葬られ、
三日目によみがえられたこと、
ケパに現れ、それから12弟子にもあらわれて、
最後に、最も小さなこの自分にも現れて下さったこと。
特にパウロは、自分自身のことを、こう言っています。
15:8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。
15:9 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。
これは、ソロモン流に考えたら絶望です。
でもパウロは、人間の知恵や力では、到底及ばない、神様の恵みによって、変わりました。
15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
私達は、この肉だけを見れば、絶望しかありません。
しかし、「主にあって」が入ると、無駄ではなくなるのです。
パウロはこの章の最後に、いいます。
「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」
全てのことは、主にあって、無駄ではないのです!
この世の諸々の事柄は、群れをなして、自分へと襲いかかって来ます。
けれども、キリストにあって、あの時流した汗や涙も、主にあって忍耐し続けた一瞬一瞬も、決して無駄に落ちる事は、無いのです!
そこでパウロは、「ですから」と続けます。
ですから、今。
目の前に置かれた善を行う事に、疲れてはならない。
この、今はみていないけれども、見えないことの保証である「信仰」、これこそ勝利です。
信仰とは、見えないことの「保証」である、とヘブル書に書いてあります。
もし、みなさんの預金通帳に、何千億円も入っている、と記帳されているなら、
日々食べる事について心配する必要は無いですね。
ビルを購入する事にさえも、何の躊躇もいらないですね。
同じように「御言葉」の明細を見るなら、私達は何を食べようか何を着ようかと心配する必要は一切ないはずです。
その富を引き出すために、「信仰」という印鑑を持って、
足を動かして、神の銀行に行く、という行動をするのみです。
世の銀行、世のマネーは、何百年後には破綻しているでしょう。
しかし神の言葉は、永遠に破綻しません!
この、信仰こそ勝利であり、みなさんの保証です。
1Jn 5:4 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
1Jn 5:5 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。
ですから、私たちは堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みましょう。
私達の労苦は、主にあってむだでないことを知っているのですから。





