メッセージ - 「ザアカイ」という名に秘められた意味と、彼が真に解放された理由とは??(ルカ19:1-10) 早天祈祷会 2026年1月16日(Fri)
「ザアカイ」という名に秘められた意味と、彼が真に解放された理由とは??(ルカ19:1-10) 早天祈祷会 2026年1月16日(Fri)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2026-1-16 7:20
「ザアカイ」という名に秘められた意味と、彼が真に解放された理由とは??(ルカ19:1-10) 早天祈祷会 2026年1月16日(Fri)
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【概要】
取税人の頭ザアカイは、イエスがお通りになられると聞いて、ぜひ、会いたかった。 けれど、嫌われ者の自分が“救い主”に近づけるはずがない… でも、、、それでも、どうしても見たかった。 群衆に押し返され、嘲笑され、ついに彼はいちじく桑の木へ――。 その時。通り過ぎるはずのイエスが立ち止まり、見上げて告げる。 「ザアカイ…急いで降りてきなさい。今日はあなたの家に泊まることにしてある!」 なぜ、あの方は、わたしの名を知っているのか? なぜ、名を呼ぶのか?
【聖書箇所】
ルカ19:1-10(特に19:5)
【励ましの言葉】
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イエス様は今も生きておられ、一人一人を救いたいと願っておられる
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どんな問題も、罪の問題も、イエス様にあって解放される
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イエス様は皆さんの名前を呼び、皆さんの内に留まりたいと願っておられる
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心の中の神様にしか満たせない空白を、イエス様が満たしてくださる
【勧めの言葉】
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イエス様が通り過ぎる前に、イエス様を追いかけるべき
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イエス様の名を呼び、イエス様を求めよう
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イエス様を受け入れよう
【悔い改めの促しの言葉】
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ザアカイは過去の罪を償い、財産の半分を貧しい人に施し、騙し取ったものを4倍にして返すと宣言した
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名実ともに清いものになりたいという思いが、真の悔い改めを生む
【AIによる文字起こし】
今日、恵みをいただく御言葉は、ルカによる福音書の19章1節から10節です。はじめに、19章の5節をみんなで一緒に宣言しました。
ルカ19:5「イエスはちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。『ザアカイ。急いで降りてきなさい。今日はあなたの家に泊まることにしてあるから。』」
今日もイエス様は私たちのところに来てくださり、私たちの方を見てくださり、私たちの名前を呼んでくださっています。イエス様が今日も一人一人に訪問しておられることを感謝します。
御言葉の時は、セレブレーション、お祝いなんです。主イエス様をお祝いするこの時です。イエス様は今まさに生きておられます。あの聖書の時代、およそ2000年前だけにおられたお方ではなく、今まさに生きておられ、神の御子として皆さんに来て、そして皆さんお一人お一人を救いたいと願っておられます。
皆さん一人一人は救われるべき罪の問題や、また地上における生活の問題、苦難もろもろありますけれども、このイエス様に向かうのであるならば、どんな問題も、罪の問題も、また本当に自分自身の良くないところからも解放されるんです。このイエス様にあって。
今日は、ザアカイという人について見ていきたいと思います。このザアカイ、エリコという町に住んでおりました。ザアカイ、名前の意味は、清いとか潔白な、あるいは正しい、無罪のもの、義と認められたものという意味があるんです。ヘブライ語のザッカーという意味が、ザアカイというふうに、お父さんお母さんは名前をつけたんです。
幼い頃、このザアカイがまだ小さい頃は、お父さんお母さんから愛された子でしょう。「ザアカイ、あなたはそのような名前にふさわしい者に成長しなさい。清い潔白な者として、神様の御前において正しく歩んで、神様を喜ばせる者になりなさい。あなたはアブラハムの子孫なんだから、それらしく信じる者として歩みましょう」というふうに言われながら、きっと育ったことでしょう。きっとお父さんお母さんもそのように祈っていたと思うんです。
それなのにザアカイ、ティーンエイジャーになり、またお友達と遊ぶようになり、そして世の中の仕組みを徐々に理解し始めていきました。この世の中はどうも、信仰によって進むよりも、何か目の前のお金だとか力、パワーが現実なんじゃないか。ローマ帝国のその力ある様を見るに、どうも神の民としてよりもローマ帝国のそのパワーの方がもっと魅力的だと映ったんです。信仰で生きるこのイスラエル民族は何か抑圧されてるんじゃないか。むしろ力を持って圧倒する方が何か栄えてるじゃないか。
今の世の中の現実もそのような節があるかもしれません。信仰者のお父さんお母さんは子供を信仰によって育てることの難しさを覚えているかもしれません。本当に何か世の中は金が全てであるかのような、パワーが全てであるかのような、その方面にティーンエイジャーになったらどんどん傾いて、映画とか漫画とかパワーが全てであるかのような、そういう情報に溢れておりますね。
ザアカイもいつしかお父さんお母さんのその教えを捨てて、むしろ自分自身で、結局お金が全てじゃないか。だったらこのパワーがあるローマ帝国の犬と呼ばれてもいいから、とにかくこのパワーを手に入れて自分の地位を確立したいんだ。お金、生涯困らないようになりたいんだということで、ローマ帝国に属する、その税金を取り立てる者になったんです。イスラエル民族の人々からお金を取り立ててローマに納めるという仕事を行うようになりました。
人々からは、「あれは裏切り者だ、自分の魂をローマに売ったんだ、神様を捨てた者だ」というふうに散々言われる、陰口叩かれるようになっていきました。でもそれでも、彼は心に迷いを覚えつつも、そのように日々を暮らしておりました。
彼はお金持ちになっていきました。どんどん、そして取税人の頭、リーダーにもなって上り詰めたんです。でも彼は人々から「ザアカイ」と呼ばれるたびに思い起こしたかもしれません。親がつけた名前、「あなたは正しいもの、潔白なもの」。ところが今、自分がやっていることはどうだろうか。確かにお金持ちにはなった。取税人の頭、ローマ帝国にもある程度認められるようにまでなったけれども、心の中が乾いて乾いてしょうがなかったんです。
空白の部分があったんです。その空白の部分は本来、神様にしか埋められない空白なんです。皆さんにもそのような心の中に神様しか満たせない空白があります。神様と共に歩んでいる人は、いつもそこが満たされてはあるんですけれども、けれども神様から離れ、そして世の中のそういう教えに従って歩む人は、やはり心の中がいつも乾いているんです。ザアカイはいつも心の中が乾いておりました。
そして、けれども、このエリコという町の中において、ある程度の地位を築き、お金を取り立てて、そしてものには不自由しない生活をしてはいたんですけども、けれども、どこか心の中に空白を覚えていたんです。
そんなある日のことでした。このエリコの町が、何か騒がしいんです。何か興奮気味であるかのような、何か喜ばしいかのような、そういうざわざわざわざわした有様でした。これは一体どういうことなんだろうか。ザアカイはそこにいる人が、互いが話している声に聞き耳を立てたんです。「どういうことですか」って聞くことを恐れたことでしょう。自分は取税人の頭として人々から嫌われ者になっております。で、聞き耳を立ててみました。「どういうことだろう、このざわつきは」
人々が互いに言ってます。「ナザレのイエス・キリストがこの町をお通りになるぞ」「彼は、あの預言者だと言われている彼か」「彼は何でも病の人を癒し、悪霊を追い出し、また罪人を、それを清める、罪ある人を赦す権威があるお方だということだぞ」「いやいや、そうじゃない。あれはそういうふうに自称しているだけだ。神の子ではなく、あれは異端だ」
そういうふうに、人々が騒いでいる声を耳にしたんです。ザアカイもイエス様の噂は聞いておりました。そして気にかかっておりました。「彼こそメシアではないか」という救い主。救い主だとしたら私は本当に罪人の頭のようなものだ。私とは関係ないんじゃないか。でも彼は聞いていたんです。彼は本当に罪ある人のところに行って、その罪を赦す権威のあるお方、罪を清め、そして立ち返らせ、人生180度変わったよという人の噂も聞いている。
ぜひこのお方に会いたい、いや会えないにしても、こんな自分、イエス様と話を、もしメシアだとしたら、こんな自分とは程遠い存在だ、話すことはできないにしても、見ることはしたい、そういうふうに思っていたんです。
だからザアカイは、このイエス様がお通りになるという噂を、これを耳にした時、何としてでも見たかったんです。そして、そのイエス様がお通りになるというところに行ってみました。けれどもザアカイ、背が低かったんです。人々の群衆が壁のようにして立ちはだかっていて、どうしても見ることはできない。「ここでは見ることもできない。じゃああっちに行けば人が少ないだろうか」って言ってあっちに行ってみるんですけども、けれどもやはり人々がどこもかしこもいっぱいだ。ちょっとでも人が少ないところ。「ここだったら見れるだろうか」本当にジャンプしてでも見ようとしているところです。
人々は後ろを見ると「あ、ザアカイだ。こんなやつに、嫌がることをしてやろう」ということで、「お前なんかにはイエス様を見せてやらないぞ」というような感じで、「あっち行け、この汚れたもの、この異端者」、そういうふうに、イエス様のことを見ることを何としても人々は邪魔をするんです。
ザアカイは「このままではイエス様が通り過ぎてしまう。イエス様のことを見れないまま、イエス様は行ってしまう」危機感を覚えました。
皆様、イエス様が通り過ぎる前に、本当にイエス様を追いかけるべきなんです。ザアカイは追いかけたんです。そしてそこに、イチジクグワという木がそこに生えておりました。このイチジクグワは非常に葉っぱが生い茂っていて、子供でも登りやすい木で、そしてイチジクほどではないにしても、甘みを実らせる、そういう木です。
ザアカイは、ここぞとばかりその木を登り始めました。人々は何かイチジクグワの木がざわざわしているので、見上げてみたら、あの小さいザアカイが木を登っている。もう嘲笑ったことでしょう。「見ろ、あの取税人の頭がなんと木に登っているぞ。なんとみっともない」あははは、嘲笑われたことでしょう。
ザアカイは、そんな嘲笑われてもいいから、とにかくこのイエスというお方を見てみたいんだ、そういう思いで、木に登って、そしてそのお方が通り過ぎるのをじっと待ちました。
イエス様が、その一行が徐々に徐々に近づいてくるのが見えました。「あれが噂に聞くイエスというお方か」しげしげと見ました。しかもその方が、どんどんどんどん自分のところに近づいてくるんです。群衆が割れて、そのお方をお通しする。そして彼が、どんどんどんどん近づいてきて、そしてなんとそのお方はザアカイのことを見上げるんです。
そしてそのお方が言われました。「ザアカイ」
彼は胸が止まったことでしょう。自分の名前を知っているんです。そしてザアカイという意味、潔白なもの、正しいもの、清らかなものという意味です。ザアカイ。このあのお方が自分のその名前を呼びました。胸が止まりました。何と言われるんだろうか。この方、私のことを知っている。私が今までしてきたことを全部知っているに違いない。この方、やっぱり預言者だったんだ。この方はやっぱりただ者ではないんだ。何を言われるんだろうか。今までしてきたあのこととこのことが、一瞬思い浮かんで冷や汗をかいたことでしょう。
ところが、あの方はこういうふうに言うんです。
ルカ19:5「急いで降りてきなさい。今日はあなたの家に留まることにしているから」
なんと。ザアカイ、名前を呼ばれて、何か罪を指摘されるんじゃないんです。「あなたの家に泊まることにしているから」ザアカイ、無罪潔白という名前の意味です。そして、私の名を呼んでくれたこの方こそ本当に救い主に違いない、この方こそまことにメシアに違いないって彼は確信したんです。
彼は罪を指摘されたのではなく、「あなたのところに留まることにしているから」とその言葉を聞いて大喜びで降りていきました。イエス様は、こんな罪人である私、罪人である皆さんのうちに宿りたいと、「今日はあなたのところに留まることにしているよ」というふうにここにいる皆さんにも語りかけます。イエス様は皆さんの中に留まりたいお方なんです。
ザアカイは本当に大喜びで、心軽やかになりました。降りていきました。けれども人々はつぶやくんです。群衆たちのなんかざわざわし出す声があまりよろしくないような感情です。「あの方は罪人のところに行って客となられた」そういうふうに群衆たちが言っております。
けれどもザアカイはこのイエス様の御前において本当に心が軽やかになりました。罪赦す権威のあるお方が自分の名前を呼んでくださって、そして私のところに留まってくださるということで、喜んで言うんです。
ザアカイはアブラハムの子孫です。そして律法を知っている人です。ザアカイは律法を思い巡らしました。自分がしてきたこと、このことを思っていたので、こういうふうに言うんです。
ルカ19:8「主よ、ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また誰からでも私が騙し取ったものは4倍にして返します」
4倍にして返す。騙し取った人からは。彼は律法を知っていたんです。律法を心にかけていたんです。だからこの時にこの律法の言葉、もし悪意を持って騙す心を持って、盗み心を持って、羊を盗んだものは4倍にして償わなければならないという律法を知っていたんです。思い出したんです。
確かにザアカイはそれまでもう意図的に悪意を持って騙すつもりで人を騙し、そして人々から搾取してきました。お金に困っている人、弱い立場の人、そのような人たちからも税金を取り立てて、ローマからは100万円が税金だと言われたら、120万円が税金だと嘘ぶいて、人々から取り立て、その差分の20万を自分の懐に入れてということをずっとそれまでしてきました。だから、騙し取ったことについては4倍にして償うという、この御言葉を思い出して、そして本当にそれがパッと出たんです。
償いたい、清くなりたい、本当に名実ともにザアカイの名前にふさわしいもの、お父さんお母さんがつけてくれたこの素晴らしい名前に値するものになりたいと思ったんです。それで、そのように言ったんです。
とてもお金持ちで、なおかつ裕福だったんです。財産の半分を施してもなお、自分が騙し取った人々に4倍にして償えるだけの財力を彼は持っていたんです。彼はなんと有用な神の働き人に、これからなっていくことでしょうか。与えられている賜物、タラントを活用して、本当にこれからイエス様のためにイエス様の御用のために用いて、また困っている人々には本当に償って、そして人々には「過去私はこんな罪人だった。裏切り者だった。お父さんお母さんがこんな素晴らしい名前をつけてくれたにもかかわらず、それにふさわしくない人生を歩んできた。けれどもイエス様と出会った。イエス様は私の名前を呼んでくれた。私のところに来てくれた、私の家に宿ってくれた。そこから私の人生は転換したんだよ」というそういうふうにザアカイは人生本当に変えられていったことでしょう。
皆さんも変わることができるんです。
イエス様はザアカイに言われました。
ルカ19:9-10「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は失われた人を探して救うために来たのです」
アーメン。このイエス様は今この時代、この2026年という今も生きておられ、皆さんお一人お一人を訪ね、皆さんの家に、皆さんのうちに留まりたいと願っておられるイエス様です。
イエス様は今日もあなたに向かって歩んでいきます。皆さんも本当にこのイエス様の名を呼びましょう。イエス様を求めましょう。もしイエス様が遠く離れているとする、そういう思いのある人は、皆さんにとってのイチジクグワに上りましょう。イエス様は皆さんのところに来て、皆さんの名前を呼んで、あなたのところに今日留まりたい。イエス様を受け入れましょう。
このイエス様は、たとい、イエス様が100匹の羊を飼っているとしても、1匹が迷い出たら99匹を置いて捜し求める、そういうお方です。このイエス様に期待しましょう。イエス様をお迎えしましょう。そして救いの喜びが皆さんの内に豊かに沸き起こりますように。
【結論】
イエス様は今も生きておられ、一人一人の名前を呼び、私たちの内に留まりたいと願っておられる。ザアカイのように、たとえ過去にどんな罪を犯していたとしても、イエス様と出会い、イエス様を受け入れるなら、人生は180度変わる。イエス様は失われた人を探して救うために来られたお方である。私たちもイエス様の名を呼び、イエス様を求め、イエス様をお迎えしよう。そうすれば、救いの喜びが豊かに沸き起こる。





