メッセージ - 主の恵みの限りない広さ、高さ、深さ(詩篇103:8-12) 早天祈祷会 2026年2月9日(Mon)

主の恵みの限りない広さ、高さ、深さ(詩篇103:8-12) 早天祈祷会 2026年2月9日(Mon)

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pastor 2026-2-9 6:40

主の恵みの限りない広さ、高さ、深さ(詩篇103:8-12) 早天祈祷会 2026年2月9日(Mon)

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【概要】

今、自分の人生が、あたかも狭い枠の中に囚われ、息苦しさを感じていませんか? 自分を縛る常識や罪の性質から解放されたいと願うでしょうか。 神の恵みは、空よりも高く、広く、深いと真理の言葉は言います。 主はあなたの罪を、東と西が永遠に交わらないように、遠く引き離される! この圧倒的な愛と自由の世界を、知りたいでしょうか?

【聖書箇所】

詩篇103:8-12、イザヤ55章(言及)

【慰めの言葉】

主は憐れみ深く、情け深いお方であり、はらわたがちぎれるほどの慈しみをもって私たちを見ておられます。主はいつまでも怒ってはおられず、私たちの罪に従って扱うことをせず、咎に従って報いることもありません。

【励ましの言葉】

主の恵みは天が地よりもはるかに高いように、私たちの上に大きく注がれています。私たちは狭い枠の中に自分を閉じ込めるのではなく、主が用意してくださった限りなく広い自由の世界に進み行くべきです。

【勧めの言葉】

罪を犯したら、自分で自分を牢獄に閉じ込めるのではなく、すぐにイエス様のもとに走って行き、「主よ、私は罪を犯しました。イエス様の血潮で清めてください」と祈るべきです。主の血潮を携えて、大胆に恵みの御座に進み出ましょう。

【***詳細***】

今日、恵みをいただく御言葉は詩篇103篇8節から12節です。はじめに11節と12節を皆さんで一緒に宣言します。

「天が地上はるかに高いように、御恵みは主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちの背きの罪を私たちから遠く離れさせる」アーメン、ハレルヤ。

今朝、素晴らしい主イエス・キリストの御名を褒め称え、賛美いたします。主は私たちを恵もうとして待っておられるお方ですね。父なる神様は私たちに恵みたいと待っておられるお方ですけれども、けれども私たちは本当に時に何かとても狭い領域の中で窮屈に暮らしているかのような感覚に陥ることがあるかもしれません。

もしかしたら、今までの人生ずっとなんか窮屈な針のむしろの中にいるかのようにして、もう右に行けば何々だから、左に行けば人に迷惑がかかるから、前に進めばなんか制度があれこれだから、ちょっと私はもう前にも後ろにも行けない、なんか狭い、とても窮屈なところで生きているかのような、もう狭く窮屈でものがいっぱいあると、もうこんな風にして寝なきゃいけない、なんかとてもいびつな感じですね。人生そのようないびつな形で住んでいないでしょうか。とても窮屈な思いがして、あっち行ったらこう、こっちに行ったらこう、そういうなんかぎこちない世界で住んでいる方も、もしかしたら今そういう窮屈さを感じている方も、もしかしたらおられるかもしれないですけども。

でも主が私たちを導こうとしておられるところは、限りなく広い自由な世界なんですね。なぜなら、真理はあなた方を自由にすると書いてあります。アーメン。自由というものは、ただ単に私たちが好き放題して良いということではありません。この主の秩序の中における自由です。その自由、罪を犯す、犯さない、罪を犯してもいいんだという、そういう自由ではなくて、主がしっかりと祝福の道を歩んで、自由意志を持って、あ、この道が本当に素晴らしいのだ、この道は災いがもたらされるから、この道は行かないんだ、そういう選択の自由があるんですね。

そして本当にこの選択の自由をいただくためには、正しい知識が必要です。よく親御さんが自分の子供を自由な育て方をしたいということで、クリスチャンの親でさえも、子供が何を信じるのも自由だ、子供が生物学的には男子として生まれたのに、女子として生きることも自由だ、そういった自由は全くもって不自由、むしろ本当に永遠の滅び、全くの不自由さをもたらす、そういう道になってしまいます。その罠に陥ってはなりません。

真の自由というものは、イエス・キリストにある自由。イエス様がおっしゃった真理はあなたを自由にする。これはこの神様の秩序の中における自由ということですね。私たちは本当にこの神様の用意してくださった、広い、おおらかな、また気前の良い、そういう神様の用意してくださった、限りなく広い自由の世界に進み行くということを神様は望んでおられるんです。

主は本当に気前が良いお方ですね。ケチケチしているお方ではないですね。ケチケチ、これ、狭い世界の話です。お金がこれしかないからだから、広々とした家ではなくて、狭い家を買おうということになってしまうんですね。本当に私たちは主から、気前が良い主から大いなる、もう素晴らしい未来を約束されている。ですから私たちは本当にこの主が用意してくださった、限りなく豊かな恵みの世界の中で生きるということを、この道をこそ模索すべきであり、また主はそのように素晴らしい大きなお方であるということを信じて進み行くべきです。

本当に、特に私たちを窮屈にしているものは、やはり罪ですね。自分はこれこれのような罪があるから、自分は、私はふさわしくないから、私はどうせこういう人間だから、私はどうせ罪深いから、そんなところに立たない、そういった言葉、まるで自分で自分のことを牢屋の中に自分で閉じ込めてしまっているかのようにして、それであれもできない、これもできないっていうことに陥ってしまうんですけど、しかし詩篇は全く違った風景を皆さんに見せてくださいます。

今日の詩篇の103編において、ダビデは歌うんですけども、8節の方、じゃあちょっと皆さんと一緒に宣言します。8節。

「主は憐れみ深く、情け深い。怒るのに遅く、恵み豊かである」アーメン。

ここで使われている憐れみ深いという言葉、原語においてはお母さんが子供を抱いている時のような心境、もう内臓が震えるほどの慈しみですね。新約聖書にスプランクニゾマイ、皆さんよく使うと思うんですけど、スプランクニゾマイは、はらわたがちぎれるほどの憐れみ、慈しみですけども、主は本当に皆さんのことを、はらわたがちぎれるほどになんとかしてあげたいという、そういう感情を伴った深い慈しみ心、憐れみの心を持って皆さんを見ておられるんです。

神様、遠く遠く離れた世界から冷たく引き離すような、そういうあるいは冷たくさばくような、そういう神様ではなく、むしろ罪の中でまみれている皆さんを本当に何とかしてあげたい、はらわたがちぎれる思いで皆さんのことを見ておられる、そういう愛の神様です。

さらに主はこういうふうに続くんです。9節見ますと、9節。

「主は絶えず争ってはおられない。いつまでも怒ってはおられない」アーメン。

本当に神様はいつまでも怒ってはおられないと書いてあります。私たちは違いますね。なんか怒りを、もう後生大事に握りしめているかのような、あの人の憎たらしい、この人、あのことが許せない、っていうのは、もう本当に握りしめて、怒りを長く保っているから、そういう価値観だから、神様もきっとそうじゃないかと思うだろうかって。でも聖書は書いてあります。主は絶えず争ってはおられない。いつまでも怒ってはおられない。アーメン、アーメン。

主は出エジプト記においても繰り返して語られているのは、主は憐れみ深く情け深い神、怒るのに遅く、恵みと誠に富む、アーメン。主は本当に怒るのに遅いお方です。もし人間が罪を犯したのであるとしたら、たちまち天から降りてきて、もうぶん殴るような、そんな神様だったら、もう何発殴られたかわからないですね。もう罪を犯しがちなけども、私たち、本当に河合先生がよく金曜の礼拝で21項目、私たちの死に値する罪、それを本当に罪を犯しているにもかかわらず、けども、主は怒るのに遅い。そして人が立ち返るのを待っておられます。

なんとかして、裁かれる前に、この主の恵みのただ中に来ることを主は望んでおられるんです。もし主が怒るのに速い神だったら、もう人間はたちまち滅ぼされてしまっておりました。創世記で、もうアダムとエバが早速罪を犯して、カインの時代からもう早速罪が全地にはびこって、そこからもう千年以上も経ってから洪水がようやく起こっているですね。

洪水が起きたのも、もう本当に人の中に罪がはびこって、その当時の世界が、例えば十億人の人口だったら、十億人総出で殺人鬼十億人、みんなそれぞれ不品行の、そういうものたち、そういう世界でもう義人と言いますか、そうじゃない人が世界で8人しか残らなくなって、もうその8人を今にも飲み込まれそうになってしまったように起きた洪水でしたね。

主はまことに憐れみ深く、怒るのに遅いお方、本当に救われたいと願っておられるゆえに、どんなあくどい人であっても、すぐに裁くことをしないで、むしろ立ち返ることを待っておられるのが、これが主です。そんな主ですから、私たちがどうして自分で自分のことを私、罪深いから、私、神様の前にふさわしくないからといって、あれこれ制限する必要があるでしょうか。

もしそう感じるのであるならば、主の恵みの御座に進み出て、折にかなった助けをいただくために、大胆に進み出ようではありませんか。書いてありますね。私たちは、どうしてそれができるのか。功(いさお)なけれど、主の血潮により御前に出ることができると賛美しておりますね。功なんて言うんですか、あの、そういう、それに値するということ、値することではない、私だけど、確かそういう意味ですね。

功はなけれど、けれども、主の御前に進み出ることができるのは、イエス様が十字架で血を流してくださって、そして私たちの身代わりに罰せられてくださったから。だから私たち、功はなけれど、主の血潮によって主の恵みの御座に進み出ることができるんです。

もし皆さんの罪悪感、あるいは自分はふさわしくない、そういった思いに駆られているとするのであるならば、主の血潮を携えて御前に進み出ればいいんです。そしてイエス様、私、このような者です。主よ、あなたの血潮でもって清めてくださり、私をふさわしい者として、あなたが見ておられることを感謝します。あなたの恵み、憐れみがこんなにも海よりも深く、空よりも広いことを感謝します。その深さ、広さでもって、この者をあなたのその知識を持って清め、またその深い深い憐れみの中に私を浸し込んでください。そういうふうに祈ればいいんです。

主はいつも争っておられない、怒ってはおられないお方、誠に情け深い恵みと誠に富んだお方、恵みと誠に、リッチなお方であると書いてあります。

さらに詩篇の103編の10節の方で書いてあるんですけども、じゃあ10節、皆さんと一緒に宣言します。

「主は私たちの罪に従って私たちを扱うことをせず、私たちの咎に従って私たちに報いることもない」

これ、とてつもなくすごい慰められることはですね、主は私たちの罪に従って扱うことをしない。私たちが日々犯す罪、また本当に自分はふさわしくない、そういう感覚。この罪に従って扱うことはしない。私たちの咎に従って私たちに報いることもないと書いてありますね。私たちの常識はここで崩れ去ります。

私たちの常識としたら、悪いことしたらその分だけ罰を受ける、っていうものですけども、しかし主はそういった計算をなさらないんです。イエス・キリストにあって。イエス・キリストにある者は、そのような計算ではないんですね。イエス・キリストになければ、もうあの21項目で死罪に当たる罪、たちまち日ごと、もうすぐにでも犯してしまいます。けれども、イエス・キリストの血潮によりて、私たちは、この主は計算外だ、あなた方がもう今まで犯してきた罪はもう計算の外にするということにしてくださるんです。

この私たちの咎、本当にこれは私たちはあるんですけども、しかし主はそれに従って報いることをしない恵みの時間があります。恵みの時間のうちに、この主の血潮の陰に隠れる人は、その計算がさらになしにされるんですね。けれども、その恵みの時間に、あ、自分は何しても罰されないんだって調子に乗っていると、その恵みの時が過ぎてしまいます。

やがてそういう時が来てしまう前に、私たちはイエス・キリストの血潮によって、イエス様、許してください。イエス様、助けてください。その主により頼む者は、本当に主はそのような罪を許してくださるお方ですから、私たちは本当に何か罪を犯したらすぐに主のもとに行くべきです。

何か罪を犯してしまったら、ああ、やっちゃった、やっちゃった、自分はダメだ、自分はダメだって言って、その牢獄に閉じ込まったままで主のもとに行かないとするならば、それは悪魔サタンが喜ぶことです。皆さんは悪魔サタンが喜ぶことをしてはなりません。主が喜ぶことをしましょう。

主が喜ぶこととは、罪を犯したらすぐに主のもとに走って行って、主よ、私は罪を犯しました。イエス様の血潮で清めてください。そういうふうに言うことですね。

皆さんの子供が、歩いていて、転んでしまって、たまたま運悪く泥んこの水たまりのところにべちゃってなって、もう服が汚れてしまった。その子供はああ、服を汚しちゃった。もうパパとママには嫌われるんだ、会えないんだって言って、それで子供が狭い牢獄の中で閉じこもって、一人で閉じこもっていったら、そんな子供ね、ちょっとあれですね。むしろ子供は汚れたんだったら、親のもとに行って、パパ、ママ服汚しちゃったって、走っていくものですね。

皆さんは神の子供であるなら、罪で汚れたなら、むしろイエス様のもとに走っていくべきなんですね。それをイエス様は望んでおられるんです。

さらに11節も皆さんと一緒に宣言します。11節。

「天が地上はるかに高いように、御恵みは主を恐れる者の上に大きい」アーメン。

天はもう本当に計り知れない高さです。どこまで行っても行っても届かない。それが天です。主の恵みは、皆さんがする後悔よりもはるかに高い。主の恵みは、皆さんが自己評価する自己評価よりもはるかに高い。主は皆さんの、主の恵みは皆さんの上に注がれて注がれて、それは天よりも高い、なるほどの高い高い恵みを、主は皆さんに注いでおられるんです。どうして小さい領域で縮こまって自分ダメだ、あっち行ってもダメだ、こっち行ってもダメだにとどまっているでしょうか。主の恵みは空よりも天よりもはるかに高い、アーメン、その主の恵みに皆さんは飛び込んでいくべきなんです。

そしてさらに12節でこういうふうに締めくくられているんですけども、12節。

「東が西から遠く離れているように、私たちの背きの罪を私たちから遠く離れさせる」アーメン。

この東と西、決して交わらないものです。東と西がくっつくということはありえないですね。どれだけ歩いても歩いても、近づいていくことはできません。主は皆さんの背きの罪を、遠く、もう東と西が遠いように、もうお互いがタッチできないように、私たちの背きの罪を私たちから遠く離れさせてくださる、引き離してくださったんです。十字架によって。

ですから、私たちは、この十字架によって、罪は東と西がもう決して交わらないかのようにして引き離してくださったんです。それなのに、私たちどうでしょう。もう神様が遠くに投げ捨てた罪も、なんかもう一度持ってきて、拾い集めて、これ私の罪ですって言って、罪を後生大事に持ち歩くかのような。そうやって、それは真実ではありませんね。

この背きの罪で、これ、ただ単に、あの、知らないで犯した罪ではなく、知って犯した罪で、そしてあえてわざと、これが罪だと知って犯した罪、そのような背きの罪、これを私たちから遠く離れさせると書いてあるんです。

私たちは罪に戻ることがあるかもしれません。けれども、あ、戻ったと感じたのであるならば、あ、清くなりたい、思ったのであるならば、すぐにイエス様の懐に飛び込んで、イエス様、助けてください。イエス様、罪を犯しました。すぐにイエス様のもとに飛び込んでいってください。

主の恵みは天よりもはるかに高く、また罪を皆さん東西が分離しているごとく分離させてくださるのが私たちの主です。アーメン。これほどの素晴らしい主は、神様が他にいるでしょうか。本当に私たち自身の罪、火のように赤くても雪のように白くしてくださる。書いてありますね。アーメン。まことに主は高い広いお方、また本当に気前が良い、そういうお方です。

冒頭で宣言したところは、イザヤ書の55章なんですけども、そこも全く同じようなことが書いてあるんですね。私の思いはあなた方の思いとは異なり、私の道はあなた方の道と異なる。天が地よりも高いように、私の道はあなた方の道よりも高く、私の思いはあなた方の思いよりも高い。アーメン。

私たちは本当に狭い世界で、これが世界だと縮こまった考え方をするんですけど、しかし、主の思いはあなた方の思いよりはるかに高いんです。天が地よりもはるかに高いごとく。皆さん、飛行機に乗ったことありますね。もうどんどん離陸していくと、地上が小さく小さく、地上の人が、また車がどんどんどんどん、もう塵の塵としてなくなってくるほどになりますね。

神様の視点から見れば、皆さんのその罪、それは本当に塵の塵として見てくださるお方です。皆さんがイエス様に行くのであるならばです。けれども、皆さんがイエス様にないとするならば、もうすぐに皆さん、21項目の罪のどれかで犯して、もう死罪に当たる死に値する罪になってしまいます。だからイエス様にいつも皆さんにより頼むべきなんです。イエス様、助けてください。イエス様、自分を本当にこの罪から汚れから清くしてください。いつでもイエス様に、イエス様のもとに、すべての罪を投げて、またあるいはイエス様のもとに走り寄って、イエス様から直接この罪の清めをいただく。また主の空よりも高い恵みをいただくべきです。

私たちは何かと自分を小さい枠にはめ込んでしまいます。皆さんは世の光なんですね。世の光を、枡の中に閉じ込める者はいないって、イエス様はおっしゃいましたね。この燭台をベッドの下に置く者はいないって言いましたね。なんでそんなことをする人がいるのかって普通、人間、常識的に考えて、なんで灯火を枡の下に置こうとするのか。そんな人間、常識的にいないよって思うんですね。

でも、私たちの霊的な有り様がそうなんです。もう枡、自分という枡の中に押し込んで、主の恵みはこんな枡、こんなぐらいだって。いやいや、主の恵みは天よりもはるかに高いと書いてあります。自分の能力はこの枡のこのぐらいしかないんだって、なんでそんなこと思うんですか。主は皆さんを、こういう者だって、そういう思い込みから解放してくださる主です。主には解放ができます。天よりも高い主の恵みが皆さんを解放してくださいます。この主の恵みに浸し込まれましょう。

【結論】

神様の憐れみや恵みは、私たちが自分で決めつけたものよりはるかに高い、広く高く、深いものです。だから私たちは神様のもとに行くべきです。するならば、イエス・キリストの血潮によって、私たちの罪は東と西が引き離されたごとく引き離され、もう私は罪を握りしめる必要はないんです。主の赦し、主の気前良さ、これは天よりも高い。アーメン。今日から私たちは、本当にこの空よりも高い主の恵みの下で生きて、そして本当に自分自身の枡の中にとどまることはなく、本当にこの主の高い高い空の下で自由に息をして、自由に主の恵みのただ中で歩んでいく私たち共々でありますように。

 

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