メッセージ - 神の働きのための整え - 脱ぐべき靴と清められるべき唇(- 出エジプト3:5) 水曜夜礼拝

神の働きのための整え - 脱ぐべき靴と清められるべき唇(- 出エジプト3:5) 水曜夜礼拝

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pastor 2026-2-18 22:00

神の働きのための整え - 脱ぐべき靴と清められるべき唇(- 出エジプト3:5) 水曜夜礼拝

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【概要】

聖なる召命の前に、モーセは靴を脱ぎ、イザヤは唇を清めらた。 私達も、神の国の働きをする前に必ず通る通過儀礼がある。 それは、私達が世を渡り歩いてきた時に付着した、心の汚れ、世的な立場、自らの力、じっとしていない唇、主義主張などなど…。 そうした「くつ」を脱ぎ捨てるなら、ようやく主の御前に有用な働き人になれる。

【聖書箇所】

  • 出エジプト3:5

  • イザヤ6章(祭壇の炭火による清め)

  • ヨハネ1章(御言葉なるキリスト)

  • エペソ1:14(贖いと罪の赦し)

  • 伝道者5:1-3

  • ヤコブ1:19(聞くに早く、語るに遅く)

【戒めの言葉】

  • 神の宮に行く時は軽々しく心焦って言葉を出してはならない

  • 聞く耳を持たずに礼拝に出席するなら、愚かな生贄を捧げることになる

  • 多すぎる言葉は愚かな者の声となる

【勧めの言葉】

  • 神の御前に進み出る時、脱ぐべき靴(汚れ、立場、力)を脱ぎなさい

  • イエス・キリストの御言葉を口に当て、唇を清めなさい

  • 聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅くありなさい

【悔い改めの促しの言葉】

  • 十字架の前に自分自身の罪をすべて書き出す必要がある

  • 高ぶり、偽り、嘘を脱ぎ捨て、焼き尽くされるべきである

  • 砕かれた魂、砕かれた悔いた心を神に捧げよ

【AIによる文字起こし】

今晩、恵みをいただく御言葉は出エジプト記3章5節です。皆さんで一緒に宣言しましょう。「神は仰せられた。ここに近づいてはいけない。あなたの足の靴を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。」

お昼の礼拝においては、預言者イザヤが召命を受けた場面を見ました。「主よ、私がここにおります。どうぞ私を遣わしてください」と。祭壇の炭火を持って清められたイザヤの姿です。

今晩は、モーセが神様から呼び出された場面を見てみたいと思います。私たちが本当にこの神様の働きをする上で、いかに整えられるべきか。これから子供たちにこの聖書教育に御言葉を教育する、聖書教育をしていく、それにあたり、今、私たちがまさに整えられなくてはならないからです。今日もその私たち自身の整えのために、この出エジプト記3章5節から見ていきます。

まず神様がモーセに現れて、「私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と、神様自身、自分がどの神であるのかをはっきりと宣言されました。モーセはそれを恐れて顔を伏せるのですが、そのモーセに対して言うのです。「ここに近づいてはいけない。あなたの足の靴を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。」

この神様の御前に進み出ること、これは日常生活の延長ではないのです。しっかりと脱ぎ捨てるべきものがあるのです。なぜなら神様の御前、この礼拝という場は聖なる場所だからです。本当にこの場所、この説教台に立つ時、もう十年以上ずっとずっと、いつも恐れがあります。神様のお言葉を取り次ぐに果たしてふさわしい者であるかどうか。ですから、この礼拝の前にしっかりと祈って、神様の前に立つのにふさわしい者にして、どうか十字架の血潮をもって清めてくださいと、いつも祈っております。

このモーセに対して、モーセをこの主の働きのために招く、その真っ先に主が言われたのが「靴を脱げ」ということだったのです。私たちも神様の御前に進み出る時、あるいは神様の働きに進み出る時、脱ぎ捨てるべきものがあるのです。

イザヤの場合、この主が圧倒的な臨在をもって、まずイザヤにその圧倒的な臨在をもって臨みました。イザヤをこの主の働きに任じる、その直前に、主はまず全くもって、このイザヤ自身のその足りなさ、汚れ、それを徹底的に示されました。神様の圧倒的な聖なる様を前にイザヤは絶望しました。ああ、自分は唇の汚れた者だと。真っ先に示されたのが唇が汚れた者ということでした。

イザヤ自身、それまで預言者として活動してきたのです。神様のお言葉を人々に取り次ぐ、その聖なる務めをしてきたイザヤでしたけれども、しかし自分は罪がある。唇が汚れた者、汚れた者にもかかわらず、神様のお言葉を伝えてきたんだ。徹底的に打ちのめされる。そしてイザヤ自身も自分は唇の汚れた民の間に住んでいる者だということを、それを示されて、ああ、もう自分はダメだ、絶望だ、滅びる以外にはないんだ、とイザヤ自身打ちのめされました。

けれども、イザヤの唇に祭壇の燃え盛る炭がイザヤの口に当てられました。口に当てられて、そしてその燃える炭が与えられた。彼は言われました。「これがあなたの口に当てられたので、あなたの罪は清められ、あなたの咎が覆われた」と、そういうふうに言われました。イザヤはその時、口に火傷を負うのではありませんでした。なぜでしょうね。もう燃え盛る炭火が置かれたら火傷する以外ないのですけど、しかし、イザヤの口は平気でした。

なぜ?そもそも祭壇の中に一体何が燃やされているのか。それはこのイザヤの身代わりに、そして私たち人類、私たち罪ある人間の身代わりに犠牲になった動物が、その祭壇の中で焼かれております。今の私たちにとっての祭壇の炭で焼かれている犠牲はイエス様です。イエス様が私たちの身代わりになって、炭火で焼かれております。イザヤの身代わりとなって動物が焼かれて、そしてそのイザヤが本来焼かれるべきである、その身代わりの動物が焼かれた。

私たちの身代わりとなって、十字架の上にかかって処罰を受けてくださったお方、イエス様。このイエス様をこの唇に当てて、御言葉なるイエス様、イエス様はお言葉なるお方であるとヨハネ1章に書いてあります。その言葉を私たちのこの唇に当てて、この唇からイエス様のお言葉を出して、イエス様を口ずさんで、イエス様を賛美して、そうしてこそ私たちも清められていくのです。ですから、本当にこの神様の働きをする前に、まず唇が神様の言葉で満ちるべきなのです。

私たちのこの口、色々と汚れがあります。人間の間に住んでいると、また神様抜きで生活していると、この口からはつぶやきが出たり、批判が出たり、高ぶりの言葉が出たり、嘘偽りが時にはペロッと出てしまったり、軽率な発言によって人を傷つけ、また軽率な言葉によってこの神様の宮を汚してしまったり、礼拝の場に軽率な言葉を声高に口走ることによって、礼拝者の他の礼拝者の心を害してしまったりですね。そういう軽率な言葉、これをこそ私たちは慎むべきなのです。この口はイエス様の言葉を当てるべきなのです。

主は言われました。私たちのこの唇からは心で満ちているものが口から出てくるのです、と。本当に私たちの唇は、私たちの内側の状態を映し出す鏡です。だからこそ、イザヤの唇が祭壇の炭火で清められる必要があったのです。この真の言葉であられるイエス様を私たちもしっかりと口から口ずさみ、イエス様の御言葉をもって、折にかなった助けをもって人を養うべき口となるべきです。

この真の言葉はイエス様が私たちの口に当てられることによって私たちは贖われて罪の赦しを受けるのです。エペソ1章14節に書いてあるのは、「この御子にあって私たちは贖い、すなわち罪の赦しを得ています」と書いてあります。イエス様にあって、御子イエス様によって贖い、罪の赦しを得られる。だから私たちはこのイエス様が必要なのです。働きにおいて、またこの唇を清めるにおいて、唇が清められたい方、ぜひイエス様のお言葉、これを口から出しましょう。イエス様の言葉をいつも口に備えましょう。そして、皆さん自身がどんどん清められていくのであるならば、主は皆さんをこの主の働きに任じて、「ここに私がおります。主、私を行かせてください、私を用いてください」という、その主の御用に間に合う者になっていくのです。

さて、モーセのことですけども、モーセは靴を脱ぎなさいというふうに言われましたね。神様の前に立つ備えであり、そしてそこは聖なる場所だから、この汚れた世の塵をいっぱいつけて回った靴、これ脱ぐべきだと示されたのですけども、では私たちにとって脱ぐべき靴というものは一体何でしょうか。礼拝の御前に進み出るにおいて、主の御前に進み出るにおいて、そして主の清らかな聖なる働きに繰り出すにあたって脱ぐべき靴。

まず私たち自身の汚れを脱ぐべきです。脱ぐべき靴の、その一、私たちの汚れです。また自分の立場。その二、私たち自身が世の中で身につけたいろんなステータスだとか立場だとかネーミングだとかありますけど、そうした立場も脱ぐべきです。神様の前に世の中で身につけてきた立場は一切関係がないからです。そして3つ目。私たち自身の力を脱ぐことです。

脱ぐべき、一つ目は私たちの汚れ、2つ目は私たちの立場、3つ目は私たちの力。これを脱いで、そして主の御前に進み出て、また世の中に派遣され、主の働きをしていくべきなのです。これら三つを身につけているとですね、例えば、汚れたままで子供伝道はいけないですね。口、唇が汚れたままだったら、もう意図しない言葉、軽率な言葉で人を傷つけてね。子供は特に敏感ですからね。この唇、汚れはしっかりと脱ぎ捨てるべきであり、またね、私たち、今までこの世の中で培ってきた諸々、これがかえって邪魔をしてしまうこともあります。

主の御前において本当に清らかな、ただ御言葉のみ、この祭壇の炭火、イエス様のみに焦点を当てて、私たちの思い、心は清められた立場でもって、そしてこの主の働きに進み出るべきであり、また私たち自身の勢いだとか力余りだとか、そうしたもろもろでやってしまうと、いろいろと障害が発生してしまいます。ですから、まず脱ぐべき靴。これをしっかりと脱いで、そしてこの主の働きへと進み出るべきです。

主の御前においては、私たちの力も立場も経験も通用しません。ただ、主がなさるから、主が導かれるから、私たちは進み行くことができ、また働きに従事することができるのです。

伝道者の書5章にこういうふうに書いてあります。伝道者5:1にはこう書いてあります。「神の宮へ行く時は、自分の足に気をつけよ。近寄って聞くことは、愚かな者が生贄を捧げるのに勝る。彼らは自分たちが悪を行っていることを知らないからだ。神の前では軽々しく心焦って言葉を出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから言葉を少なくせよ。」

本当に主の宮、主を礼拝する場面においては、特にこの唇の言葉、心焦った言葉を出すなというふうに、ここに書かれてあります。この礼拝の場において、礼拝者を通して語られる神様の御言葉に耳を傾けること、これが一番の生贄ではあるのですけども、しかし、この御言葉を思い巡らすではなく、自分の口で口走ってしまって、他の礼拝者たちがちょっとってなりますね。礼拝中に誰か一人が声高に何かブツブツブツブツ言っていたら、皆さん耳障りですね。礼拝中、主の宮において心焦って唇に言葉を出すな、2節に書いてあります。だから言葉を少なくせよ。

私たちは礼拝に来る時、本当に準備するべきもの、それはよく聞く耳を準備するべきであって、自分の意見、自分の考え、自分の計画、自分の主張は、そうした靴はしっかりと脱いでからこの礼拝の場面に入るべきであり、また主の働きの前に、その整えとして、こうした自分の軽率な言葉や、また自分の思い、自分の計画、自分の立場、自分の主張、主義、そうしたもろもろを脱ぎ捨てるべきです。

でないと、この神様の言葉が語られた時に、もし主義主張を持って言葉を聞いたならば、「いや、それ違う、私それ嫌だ」ってなってしまいますね。だから、この主の御前に進み出る時においては、そうした靴、自分の主義主張という靴、これはしっかりと脱ぎ捨ててから主の御前に進み出るべきです。聞く準備なしで礼拝に出るとするならば、それは愚かな生贄を捧げるということになってしまいます。

この5章1節のところ、「神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけよう」。足の靴をしっかりと脱ぐべきであり、「近寄って聞くことは、愚かな者が生贄を捧げるのに勝る」と日本語の聖書が書いてあるのですけども、英語の聖書では、愚かな生贄を捧げないために近寄って聞けというふうにも訳されるのです。愚かな生贄を捧げるようなことがないために、近寄って聞くようにしなさい、自分の足に気をつけなさいですから。聞く耳持たずで礼拝に出席するとするならば、愚かな生贄を捧げることになってしまい、その愚かな生贄が神様の気分を害し、礼拝者の気分を害してしまう。だから、よく聞く耳をしっかりと準備して、また自分の本当に高ぶる意見、主義、主張、これはしっかりとそうした靴は脱ぎ捨てて、礼拝に、また主の働きに進み出るべきなのです。

主は私たちの多くの言葉で、ベラベラベラベラしゃべることを望んでおられません。主はむしろ多くの言葉をしゃべるよりも、へりくだった耳、へりくだって聞く耳を主は求めておられるのです。

さらに、この伝道者の書5:3にはこう書いてあります。「仕事が多いと夢を見る。言葉が多いと愚かな者の声となる。」ここにも、脱ぎ捨てるべき二つの靴が、この伝道者5:3にありました。その一つ目、それは自分の夢、自分発の夢です。夢が多いと、仕事が多いと夢を見るって書いてあるのですけども、あれをしよう、これを成し遂げよう、そうした神様抜きであれしよう、これしようというそうした夢。もちろん主から与えられたビジョンは尊いものではあるのですけど、しかし、夢というものが主からの夢ではなく、自分の野心だとか、自分の心からの欲望から出た、そうした諸々の夢、それを外されたまま進み出るとするならば、それは良くない礼拝になってしまいます。このまず自分由来の夢という靴。これは脱ぎ捨てるべきです。

で、もう一つ。後半では「言葉が多いと愚かな者の声となる」ってありますね。多すぎる言葉。これが二番目の脱ぐべき靴。この伝道者5:3にある示された2つ目の靴です。多すぎる言葉。語ることに熱心で、聞くことには鈍い心で、主の御言葉を宣言する時、なかなか御言葉の宣言がうまくいかないという時は、頭の中に非常に夢がごちゃいっぱい入ってしまっていて、聞く耳が全くもって詰まりに詰まってしまっている状態だと、宣言がなかなかうまくいかないです。語ること、唇で語ることに熱心で、また自分のビジョン、夢で頭の中が煮詰まっているとするならば、本当に神様の言葉がスムーズに入ってこないし、スムーズに出てこないことになってしまいます。

ヤコブ1:19は言います。「聞くには早く、語るに遅く、怒るに遅いようにしなさい」と書いてあります。聞くには早くしなさい。語るには遅くしなさい。怒るのには遅くしなさい。これが本当に私たちも必要です。あれをしよう、これをしよう。そうした夢、そうした諸々は、本当に私たちはそうした靴を脱ぎ捨て、またこの多すぎる言葉という靴も脱ぎ捨てる。そして私たちは主の御前に進み出ていくべきなのです。

ですから、清められた者に対してこそ、主は正当に御前に進めていることができ、そして主の働きを正当に招き入れることができるようになる。そのようになっていくのです。靴を脱ぎ捨て、またこの唇の汚れが清められ、そしてこそ主は招きをするのです。

モーセに対しては、この出エジプト3:10において、「さあ行け。私はあなたをパロのもとに遣わす」。モーセは靴を脱いで御前にへりくだった心で進み出た結果、パロのもとに遣わすという召命が与えられました。世に対して遣わす。イザヤは、この祭壇の炭火で口が清められた時に、「主よ、ここに私がおります。私を遣わしてください」と言いました。それは主の招きの声、いや、主のうめきの声、「誰を遣わそうか、誰が我々のために行ってくれるだろうか」という主の声を聞いたからです。清められたイザヤ、そういうふうに、ここに私がおります、私を遣わしてください、そういうふうに言うことができたのです。

ですから、皆さん、いろいろな使命、皆さんの目の前にあると思います。けれども、皆さん、使命の前に、まず清めです。使命の前に脱ぐべき靴があります。使命の前に清められるべき口があります。清めが先、使命がその後、主は清められた者を用いられるからです。

私たちは、ですから、本当にこの十字架の前に自分自身の罪をすべて書き出す必要があります。十字架という祭壇で、主は犠牲になってくださいました。その犠牲となった主をこの口に当て、イエス・キリストをこの口に食べて、イエス・キリストの御言葉である、イエス・キリストをこの口から宣言して、そしてどんどん清められていくのであるならば、皆さんも主の働きにふさわしい者として大いに用いられる者になっていくのです。

この十字架という祭壇、そこは聖なる地です。そこでは靴を脱ぐべきであり、高ぶりは脱ぎ捨てられ、また偽り、嘘、偽りは焼き尽くされ、またたくさん口からベラベラとしゃべってしまう口は、本当にこの沈黙に変えられて、また高ぶった野心、これはへりくだられて、清められて、そして主の御前において用いられるような者になることができるのです。神への生贄は砕かれた魂、砕かれた悔いた心。神様はそれを蔑まれません。本当に私たちは、主の働きに出る時においては、脱ぐべき靴を脱ぎ、また清められるべき唇を清めていただき、そして本当にこのもはや自分の野心、自分の考え、主義、主張、これは全部降ろして、そうした靴を脱いで、そしてこの十字架の血潮でもって清められ、それでこそ主の働きに勤しむことができるようになります。

今、私たちはこの唇を清めていただきましょう。また本当に今までの自分の野心だとか、自分の夢だとか、そうした諸々の靴は脱ぎ捨てましょう。そして主の御前に進み出る時、主の御声が聞こえるのです。「誰を遣わそうか。誰が我々のために行くだろうか。」皆さんはこの本当に脱ぐべき靴を脱ぎ、また清められるべき唇で清めていただき、そしてこの主の働きに従事するに値する者とされ、そして大いに主の働きをしていく皆さんとなっていきますように。

【結論】

神の働きに従事するために、私たちはまず整えられる必要があります。使命の前に清めがあり、召命の前に献身があります。

脱ぐべき三つの靴:

  1. 私たちの汚れ

  2. 私たちの立場(世的なステータス)

  3. 私たちの力(自分の野心や計画)

清められるべき唇:

  • イエス・キリストという祭壇の炭火を口に当てる

  • 御言葉なるキリストを口ずさみ、宣言する

  • 聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅くする

十字架という聖なる祭壇の前で、砕かれた魂と悔いた心をもって進み出る時、主は「さあ行け」と私たちを遣わしてくださいます。清められた者こそが、主の働きにふさわしい者として大いに用いられるのです。

 

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