メッセージ - 能力ゆえに主から選ばれたのではなく生まれる前から主に選ばれていた(エレミヤ1章) 早天祈祷会 2026年2月19日(Thu)
能力ゆえに主から選ばれたのではなく生まれる前から主に選ばれていた(エレミヤ1章) 早天祈祷会 2026年2月19日(Thu)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
- 執筆 :
- pastor 2026-2-19 19:27
能力ゆえに主から選ばれたのではなく生まれる前から主に選ばれていた(エレミヤ1章) 早天祈祷会 2026年2月19日(Thu)
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【概要】
エレミヤ書1章から、主に召された働き人として遣わされる者への約束と権威について学びます。主は私たちが生まれる前から召しておられ、遣わされた先で必要なすべてのもの―言葉、力、権威、守り―を備えてくださいます。
【聖書箇所】
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エレミヤ1:5-10
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エレミヤ1:18-19
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マタイ28:18-20
【励ましの言葉】
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主は私たちが母の胎内に形作られる前から召し、知っておられる
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主は遣わされた先で必要なすべてを備えてくださる
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主ご自身が先に行かれ、勝利しておられる
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私たちは城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁とされる
【勧めの言葉】
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自分の足りなさを主に申し上げ、主に委ねる
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御霊の風を察知し、その導きに従って進む
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主が「行きなさい」と言われるならば、恐れずに進み出る
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天においても地においても一切の権威を持つイエス様から遣わされた全権大使として歩む
【AIによる文字起こし】
今朝、恵みをいただく御言葉はエレミヤ書の1章です。
まず、皆さんと共にエレミヤ1章9節と10節を宣言したいと思います。
「その時、主は御手を伸ばして私の口に触れ、主は私に仰せられた。今、私の言葉をあなたの口に授けた。見よ、私は今日、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいは壊し、あるいは建て、また植えさせる。」(エレミヤ1:9-10)
アーメン。
イエス様が生きて働かれるということを皆さんは実感しているでしょうか。アーメン。生きて働かれていますね。その恵み、その実態を日々、皆さんは体験していますね。特につくばみらいの地において、これから子どもたちに言葉の手順を教えていく、その準備をする上で、一歩一歩必要な道のりを示してもらえるんですね。
私たちが将来のことを考えようとするとき、IBMにいた頃は、WBS(ワークブレイクダウンストラクチャー)というのを作って、やることリストを縦軸にして、横軸に時間を決めて、そして担当者を決めて、何日までにここのマイルストーンをこなして、ここまでは何をして、そのためには誰と誰がここをしなきゃいけなくて、期日何日までにもしできてなかったら上司に相談してとか、そういう形で仕切って作ってやっておりました。
けれども、このつくばみらいの働きにおいて、また本当にこの10年、このイエス様の働きをしていく上で、自分の人間の計画をきちきちやっていくと、途端にサウルの防具みたいに窮屈になって、息苦しくなって、御霊の動きが自由にできない、そういうことを感じました。だから、もう主に全部お委ねしていったところ、主がその都度その都度「これをしなさい」「これが今するべきことだよ」「あなた、今そのことを心配する時じゃないよ」というのが分かるようになってきたんですね。
御霊に導かれる人というのは、本当にこの聖霊の風を受けて、帆船のように、風を受けて進んでいく。それが御霊に導かれる人のコツです。聖霊は風とも訳されますね。ギリシャ語ではプニューマ、ヘブライ語ではルアハ。これは風です。私たちはこの御霊の風をよく察知して、そしてウィンドサーフィンのごとく、この御霊の風が今吹いたならば、今帆を上げる。御霊の風が吹かないならば、そこにとどまればよし。この御霊の導きに従って進んでいくというのが、この御霊に導かれる主の働き人の進むべき条件ですね。自分の計画ではなく、主の御霊の吹く風のままに進んでいくということ、これが本当に私たちの行くべき道です。
今日の箇所、エレミヤですね。主の召命シリーズと言いますか、主に呼び出された働き人のシリーズを昨日からやっております。昨日はイザヤであったり、モーセであったりしました。今朝はエレミヤです。
そして今週、特に学んでいることは、主がわずか5つのパンと2匹の魚で5000人以上を養われたということを、福音書から一つ一つ見ていきました。そこから分かることは、主が必要を満たしてくださるということですね。主が「あなた方が働きなさい」と言われたならば、働く人々の前に行ってパンを裂いて配りなさいと言われれば配る。足りないという心配をしなくてよろしい。主が言われるのであるならばする、ということでした。主は皆さんの必要を満たしてくださり、皆さんが主のために働く必要をすべて満たしてくださるお方です。
今日の箇所において、主の働き人エレミヤが召し出されました。共通していることは「私があなたと共に行く」ということですね。そして特にこのエレミヤに対して共通していること、それは主ご自身がそのエレミヤの口に御手を触れて、そして「私があなたに言葉を授けたよ」ということなんですね。
主はこのエレミヤに対して、いつエレミヤをこの国々の預言者として立てたのか。5節にはこう書いてあります。
「私はあなたを胎内に形作る前からあなたを知り、あなたが腹から出る前からあなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」(エレミヤ1:5)
アーメン。もうお母さんの体内に宿る前からなんですね。もうすでにエレミヤがこの時代、主の言葉を取り次ぐ預言者として主ご自身が任命しておられました。であるからには、皆さんの一人一人も、皆さんのお母さんの胎内に形作られる前から、もう主は皆さんのことを目に留めておられて、主の働きをするように、神の国のために任命しておられたということが分かります。
皆さん、恐れてはなりません。皆さんは、皆さんのお母さんの胎内に形作られる前からも主に覚えられていたんです。だから、皆さんは恐れる必要はないんですね。
けれども、エレミヤは6節で言うんです。
「そこで私は言った。ああ、神、主よ。ご覧の通り、私はまだ若くて、どう語っていいか分かりません。」(エレミヤ1:6)
エレミヤは、主から「私はあなたを遣わす」と言われて、その時即座に感じたこと、それは自分の足りなさでした。自分の不足です。本当に主の働きをする上で感じるのは足りなさです。弟子たちも、パンがこれしかありません、と足りなさを感じましたね。
皆さん、足りないと感じた時、その足りなさを主に持っていけばいいんですね。「主よ、今、私の手元にはこれしかありません。5つのパンと2匹の魚しかありませんが、あなたは5000人を食べさせるというのですか。どうしたらいいんですか。」そしたら主が祝福して裂いてくださって、「これを配りなさい」と。したら、裂いても裂いてもなくならないパンでもって5000人を養うことができました。
このエレミヤもまた「自分は足りません」「私はご覧の通り若くて、どう語っていいのか分かりません」と言うんですね。自分は若い、経験がない、語る力もない、人々に受け入れられないかもしれない。けれども、そういうふうに主に申し上げるということをするのであるならばいいんです。
良くないのは、自分は足りないと言って、そして主から離れてしまって、何もしない。タラントを地面に埋めてしまうようなこと、これが一番良くないことです。けれども、皆さんが少なくとも主に「私は足りません」と主に申し上げる、主とコミュニケーションする、主に報告、連絡、相談する、これが皆さんのするべきことなんですね。するならば主が、皆さんにとって必要なことを授けてくださいます。
7節を見ますと、
「すると主は私に仰せられた。まだ若い、と言うな。私があなたを遣わす、どんなところへでも行き、私があなたに命じるすべてのことを語れ。」(エレミヤ1:7)
アーメン。ですから、主は、ただ単に「あなた行け」というだけじゃないですね。過酷な上司みたいに「営業に行ってこい。行けばもう後はなんとかなるから」というような、ただ単に突き放すだけではなく、主は行った先々において必要なすべてのもの、こと、権威、力、威力、言葉を授けてくださるんです。
主ご自身が、主は皆さんの能力を見て皆さんを召したのではないんです。皆さんに何か力があるとか、トーク力があるとか、そういったことを主が見て「お、こいつはトーク力があるから遣わそう」ということじゃなくて、もう皆さんが生まれる前から召しておられますね。主は能力を見て召されるのでなく、主が一方的に召してくださった。だから私たちはただ遣わされていくのみなんですね。遣わすのは主、遣わした先でことを行うのも主。そして私たちの役割は、ただ主が遣わされたところへと足を運んでいくことだけです。アーメン。
行けと言われるのであるならば、私たちは足を使っていくこと、これが私たちの役割です。その場所、場所において語るべき言葉を備えるのは主であり、また働くべき働きをされるのも主です。私たちはただ、役割としては、主が遣わされたところへ足を用いていくということですね。
しかも、行った先における保証付きなんですね。保証があります。8節と9節にはそう書いてあります。どんな保証があるのか。じゃあちょっとみんなで一緒に8節と9節を宣言します。
「彼らの顔を恐れるな。私はあなたと共にいて、あなたを救い出すからだ。―主の御告げ― その時、主は御手を伸ばして私の口に触れ、主は私に仰せられた。今、私の言葉をあなたの口に授けた。」(エレミヤ1:8-9)
アーメン。主はなんと手を伸ばしてエレミヤの口に触れてくださいました。イザヤと一緒ですね。主は遣わした先において、皆さんに何もしないのではありません。皆さん、自力でなんとかしなさいではなく、主ご自身が、ちゃんと行った先において、皆さんがするべきことを、その対処方法を教えておられ、また何を語るべきか、もう主が口に触れてくださって、そして語るべき言葉を授けてくださったんです。そして皆さんがそれを成し遂げるに値する力を与え、権威を与え、そして守りも与えてくださるということが分かるんですね。
主はどれほどの権威を、力を帯びさせてくださるのか。10節も皆さんと一緒に宣言します。
「見よ、私は今日、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいは壊し、あるいは建て、また植えさせる。」(エレミヤ1:10)
アーメン。「あなたを諸国の民と王国の上に任命し」と書いてありますね。主から遣わされた者の方が王より上なんです。この世の権威、今、日本国の権力、いろいろありますけれども、主が遣わされるのであるならば、その諸々の権威よりも皆さんの方が上として、主が権威を授けてくださるんです。
しかも、「あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいは壊し」、この主に逆らう諸々の制度、諸々の威力、力、そうしたもの諸々を引き抜き、引き倒し、壊し、そしてなおかつ建て上げて、また植えさせる。この権威を与えているんですね。
皆さんが行く先々において、いろいろな困難、課題、もろもろあるかもしれません。しかし、主が皆さんを召し出してくださるのであるならば、皆さんはその上に位置するんです。このことを忘ってはならないんです。
この時、エレミヤに遣わされますけれども、しかし語る、行くのはエレミヤですが、その口に授けた言葉は主のものです。皆さん、これから子どもたちにテフィリン、神の言葉を口移しで教えていくんですけども、御言葉は主です。ことを行うのは主。私たちはただそれに乗っかっていくものです。
私たちは「主を、主を、我を導きたまえ」というふうに賛美しつつ祈っておりますね。我を導くのは主。皆さんでというよりも主です。皆さんの子育てスキルだとか、そうした子どもに対しての皆さんの愛情、まあどれほどあるでしょうかね。それではなくて、主が子どもたちを導く。皆さん、それに乗っかる。これが皆さんの役割です。だから「恐れるな」ということが書いてあるんですね。
本当に口に主が言葉を授けてくださる。モーセに対してもそうでした。モーセは、出エジプト記4章において、主がモーセを召し出す時、モーセは「私、口べたです」と言うんですけども、「誰があなたに口を授けたのか。誰が人を喋れるようにしたり、黙らせたりするのか、私ではないか。さあ、行きなさい。あなたの口と共に私があるからだ」と言われます。
イザヤに対してもそうでした。昨日のメッセージで、このイザヤの口に、本当にイザヤは自分が唇が汚れた者だ、もう罪を犯すような者だと。それに対して、この主がセラフィムを遣わして、祭壇の炭火をイザヤの口に当てて、そして「見よ、これがあなたを清めた。あなたはこれによって贖われた」と。そしてイザヤは主からの召命のチャレンジ、「誰を遣わそうか、誰が我々のために行くだろうか」という、この主の切実な働き人への求めに対して、イザヤは答えました。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」このように、主から清められて用いられていくイザヤのような働き人もおり、またエレミヤのように、もう生まれる前から働き人として召命されて、今、この時生きなさいと言われる人もおります。
いずれも主ご自身が働かれて、そして皆さんはその働きに乗っかることができるんですね。
確かに行く先々においては、平坦な楽な道ではありません。行く先々においては、戦わなくてはならないことが確かにあります。けれども、この行く先々において、権威、力、威力を帯びさせてくださるのは主です。
このエレミヤの時代は、もう本当に世の中こぞって不信仰な世代になってしまっておりました。今の日本も、主に反逆するというよりも、主を知らないまま、ずっと何百年も過ぎているのがこの国ですね。主を知らない、この世代の中に皆さんが遣わされていくにあたって、このエレミヤのように、主ご自身が派遣してくださるのであるならば、主はその派遣先で必要な力、権威、威力、知恵、そして語るべき言葉を授けてくださるんです。恐れる必要はないんですね。
さらに、今度は18節、19節を皆さんで宣言します。18節からです。
「見よ、私は今日、あなたを全国に、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、この国の人々に対して、城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁とした。だから彼らがあなたと戦っても、あなたには勝てない。私があなたと共にいて―主の御告げ―あなたを救い出すからだ。」(エレミヤ1:18-19)
アーメン。「私があなたと共にいる。」「あなたを城壁のある町とする。」エレミヤに対して、「あなたは城壁の町だよ」「エレミヤに対して、あなたは鉄の柱だよ」「エレミヤに対して、あなたは青銅の城壁だよ」というふうにした。そういうふうにしたと18節に書いてありますね。すごいですね。堅固な城壁になったんです。エレミヤが。
それと同じように、皆さんもそのようにしてくださる、この主の力が今この時代働いていることを信じるでしょうか。アーメン。そうです。不信仰な世代であればあるほど、本当に主は皆さんを、それよりもより堅固な城壁にしてくださり、鉄の柱にしてくださるんです。
「だから彼らがあなたと戦っても、彼らはあなたには勝てない」と。19節で、「主の御告げ」と言って宣言してくださいました。「主の御告げ、あなたを救い出す」。この「救い出す」、イエスはイエス様と同じ語源です。今の時代、イエス様が皆さんを救い出します。
イエス様、今この時代、皆さんに対して、「全世界に出て行って、福音を宣べ伝えなさい。見よ、私は世の終わりまでいつもあなたと共にいる。」マタイの福音書の一番最後で宣言されましたね。このイエス様、どれほどの権威を持っているか。イエス様は言われたのは、
「私は天においても地においても一切の権威が与えられています。」(マタイ28:18)
アーメン。書いてありますよ。マタイ28章18節に。イエス様は、天においても地においても一切の権威が与えられている。「この私があなたを遣わすのだ。あなた方は行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また私があなた方に命じておいたすべてのことを守るように教えなさい。見よ、私は世の終わりまで、いつもあなたと共にいる。」
アーメン。エレミヤの時代もそうでした。今この時代の皆さんも同じです。主がいつも伴われます。そして「行け」と言われます。行った先々で必要なことを行うだけの力、権威、威力、尊厳、勢いを与えているから。必要なお金も、必要な物事も、また必要な人ももうすでに主が与えておられます。
だから私たちは、主が「行きなさい」と言われるのであるならば、進んで進んで、三国の勇士として進んで、そこを勝ち取っていくだけでいいんです。主はもうすでに先に行って、そこを勝利しておられます。アドナイ・パニーム・ハーラクと宣言しておりました。主ご自身が先に行って、そこを占領しているゆえに、私はただ行くだけ。アーメン。
どうか皆さん、この時代において、本当にこのエレミヤのように、すべてが備えられた者として恐れず進みゆき、そしてこの敵を勝ち取り、この時代、栄光の時代を立て上げる。またこの時代、本当にこの主の働き人として多くの魂たちを勝ち取り、またよくない業は、それを本当に良い主の業と塗り替える、その働きをしていく皆さんでありますように、イエス様のお名前によって祝福いたします。アーメン。
【結論】
主は私たちを母の胎内に形作られる前から召し、知っておられました。主が遣わされるのであるならば、行く先々で必要な言葉、力、権威、知恵、守り、すべてを備えてくださいます。私たちは自分の足りなさを感じても、それを主に申し上げ、主の導きに従って進むだけです。主ご自身が先に行かれ、すでに勝利しておられます。天においても地においても一切の権威を持つイエス様から遣わされた者として、恐れることなく、主の御国を拡大していく働き人として歩みましょう。
