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メッセージ - 主の恵みの領域から離れるなかれ(ルツ記2:5-13) 早天祈祷会 2026年3月17日(Tue)

主の恵みの領域から離れるなかれ(ルツ記2:5-13) 早天祈祷会 2026年3月17日(Tue)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 定期祈祷会メッセージ
執筆 : 
pastor 2026-3-17 5:50

主の恵みの領域から離れるなかれ(ルツ記2:5-13) 早天祈祷会 2026年3月17日(Tue)

Youtube動画

【概要】

ルツ記の物語を通して、異邦人ルツに対してあふれるばかりの恩恵を施したボアズの姿から、私たちに無代価の恵みと完全な報いを与えてくださり、命の水で潤してくださるイエス・キリストの愛について語られたメッセージです。

【聖書箇所】

ルツ2:5-6

ルツ2:8-9

ルツ2:12

ルツ2:13

【慰めの言葉】

イエス様は、私たちが誰にも見られずにけなげに働き、主を慕い求めている姿をすべてご存知であり、私たちが潤されるようにと、わざと豊かな恵みの落ち穂を備えてくださるお方です。

【励ましの言葉】

世の中から冷たくされ、何の頼りもないように思える時でも、主の翼の下に避け所を求めるなら、主は決して見捨てず、私たちが捧げた小さな行いに対して「完全な報い」をもって報いてくださいます。

【勧めの言葉】

厳しい現実社会の中で疲れ果ててしまう前に、イエス様の恵みの畑である教会の交わりにとどまり続けなさい。主が備えられた命の水を豊かに飲み、主の保護の下で歩み続けましょう。

【AIによる文字起こし】

私は、2026年3月15日の主日礼拝でルツ記からメッセージを取り次ぎました。今日はその続きとして、神様の豊かな恵みについてお話しします。以前、韓国での講演においてキム先生から、ルツ記には「11の祝福の挨拶」が登場するということを学びました。本日はその挨拶にも触れながら、ルツ記2章から御言葉を味わっていきます。

ルツ記の物語は、そもそも暗く悲惨な状況から始まります。なぜそのような悲惨な状況に陥ってしまったのでしょうか。それは、人間が犯した罪と、神様から離れてしまったことが原因です。ルツの義理の父親であるエリメレクとその一家は、本来、神様を礼拝すべき場所にとどまらなければなりませんでした。しかし、「あちらの国に行けばパンがある、お金がたくさんある」と考えて、世の中へと出て行ってしまったのです。

私たちキリスト者にとっても、人生の旅は神様に礼拝を捧げながら歩むものです。しかし、礼拝の場所から離れて世の中に出て行き、ただひたすら働いても、結局はむなしい結果に終わってしまいます。「渡る世間は鬼ばかり」ということわざがありますが、神様の恵みの畑、つまり神様の保護の囲いの中から出てしまうと、途端に厳しい現実に直面し、悲惨な目に遭ってしまうのです。エリメレク一家もそうでした。夫のエリメレクは亡くなり、2人の息子たちも次々と死んでしまいました。

一家の中で残されたのは、妻のナオミと、2人の息子の嫁であったルツとオルパだけでした。ナオミだけがなぜ残されたのかといえば、彼女が主の御名を宣言する信仰を持った母であり、妻だったからです。ナオミは、若い娘たちに対して「何の望みもない私についてきても仕方がないから、自分の国に帰りなさい」と勧めました。そして、すべてを失い、平安も恵みもないどん底の状況の中で、彼女は嫁たちに向けてこう宣言したのです。「どうか、主があなたたちに恵みとご厚意をくださいますように。安らぎを与えてくださいますように。」

実は、このナオミの祝福の宣言が、その後の彼女たちの幸いな未来を作り出しました。ルツはこの恵みの宣言を受け取り、ナオミのもとを離れず、万軍の主の御前を離れませんでした。その結果、ルツはやがて王家へと続くダビデの家系に招き入れられ、ゆくゆくはイエス・キリストの系図に名前を連ねるという大きな恵みを得たのです。それは、ルツが全知全能なる神様の翼の陰に、保護と避け所を求めてきたからです。一方で、もう一人の嫁であったオルパは、新しい人生を築こうと元の場所へ戻って行きました。しかし彼女が戻って行った先は、真の神様の翼の下ではなく、異教の偶像の神々のもとでした。私たちは真の神様の保護の下にいてこそ、豊かに恵みをいただくことができるのです。

2026年3月15日の主日礼拝のメッセージは、ルツがボアズの畑に入ったところで終わりました。なぜルツはこのボアズの畑に入ることができたのでしょうか。それは彼女が主を慕い求めていたからです。そして、義理の母であるナオミの祝福の挨拶が、彼女の上に留まっていたからです。ルツが図らずも足を踏み入れたボアズの畑は、祝福の言葉があふれる場所でした。ボアズが従業員たちに「主があなたを恵んでくださるように」と声をかけると、従業員たちも「主があなたを祝福してくださいますように」と返しました。飢饉の時代であっても、ボアズはこのように祝福の言葉が飛び交う環境の中で着実に力を伸ばし、町の有力者となっていました。

ある日、ボアズは自分の畑で見慣れない女性が落ち穂を拾っているのを目に留めました。

ルツ2:5-6

ボアズは刈る者たちの世話をしている若者に言った。「これはだれの娘か。」刈る者たちの世話をしている若者は答えて言った。「あれはナオミと一緒にモアブの野から帰って来たモアブの娘です。」

「モアブの娘」という言葉が強調されています。当時のイスラエルの人々からすれば、モアブ人は異教の神々を拝む忌み嫌われる民族でした。世の中の人々はルツを軽蔑していたかもしれません。しかし、主の恵みの中で育ったボアズの目には、全能者の翼の陰に助けを求めてきたルツの姿が、全く違って見えました。ルツは義理の母ナオミに「あなたの行かれるところに私も行きます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」と信仰を告白していました。ボアズからすれば、このルツの信仰こそが本当に尊く、素晴らしいものだったのです。ヘブライ語で「エシェット・ハイル(力ある女、徳ある女)」という言葉がありますが、これには「誉れある者、勇者」という意味が含まれています。世間の目には何の頼りもない異邦人の娘であっても、ボアズの目には徳ある素晴らしい女性として映りました。

それもそのはずです。ボアズ自身の母親も、実は異邦人でした。カナン人の遊女であったラハブです。ボアズは自分がどのような出自であり、どんな血が流れているかなど、神様の前では関係ないことをよく知っていました。これは私たちにとっても同じです。皆さんはイエス・キリストを信じたゆえに、血筋や肉の欲求によってではなく、ただ神様によって新しく生まれた者とされました。ボアズはその神様の愛を知っていたからこそ、義理の母を養うために、他人の畑で落ち穂を拾い続けるという恥ずかしく重労働な日々を過ごしているルツを、守り、養ってあげたいと思ったのです。

朝から休みなく働き続けるルツに対し、ボアズは優しく声をかけます。

ルツ2:8-9

ボアズはルツに言った。「娘さん、よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたの邪魔をしてはならないと、きつく命じておきました。喉が渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」

このボアズの姿は、私たちの救い主であるイエス・キリストの性質を美しく表しています。ボアズはルツにとって「買い戻しの権利のある親類(ゴエル)」でした。彼が異邦人であるルツを豊かな恵みで覆ってくれたように、主の恵みがない世界は鬼のような人たちがいる厳しい場所ですが、主の御名が呼び交わされる場所には真の養いがあります。聖書には「貧しい人や孤児、やもめのために、刈り尽くさずに落ち穂を残しておきなさい」という神様のルールがあります。世の中の考え方からすれば、一切の無駄をなくして利益を追求するのが当たり前ですが、神様の法則には弱者への「恵み」が満ちているのです。

だからこそボアズは、「私の畑から離れないようにしなさい。若者たちにはあなたの邪魔をしないようきつく命じておきました」と言いました。イエス様も同じです。皆さんがイエス様を信じて恵みの中に入ってきたら、イエス様は周囲の敵に対して「この子の邪魔をしてはならない」ときつく命じて守ってくださいます。

さらにボアズは、「喉が渇いたら、若者たちが汲んだ水を自由に飲みなさい」と言いました。当時、水を汲むのは大変な重労働です。朝からカラカラに喉を渇かせて働いていたルツが、勝手に他人の井戸水を飲むことなどできませんでした。しかしボアズは、信仰の母のためにけなげに働く彼女の乾きを見て、力強い若者たちが汲んだ水を自由に飲んでよいと許可したのです。

イエス様のもとに行けば、私たちも大胆に恵みの御座に近づき、必要な助けを豊かにいただくことができます。「渇いている者はみな、わたしのもとに来て飲みなさい」とイエス様は言われました。私たちが「イエス様、今私は渇いています」と求めるなら、イエス様は必ず潤してくださいます。

ルツは驚き、地面にひれ伏して言いました。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」私たちもイエス様に対して同じように思います。「どうしてこんな罪深い私に、これほど親切にしてくださるのですか」と。ルツは本当にへりくだった女性でした。だからこそ、ボアズはさらに彼女を祝福します。「あなたが義理の母にしたこと、故郷を離れて知らない民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。」

皆さんが信じているイエス様も、皆さんのことをすべてご存知です。皆さんがけなげに信仰を奮い立たせ、主についてきていること。誰の目にも留まらないような教会のトイレ掃除やゴミ拾いであっても、主のために心を配って働いているその一つひとつの手の業、足の業を、イエス様は「すっかり話を聞いている」と言ってくださいます。そして、私たちが潤されるようにと、わざと恵みの落ち穂を落としてくださるのです。

ボアズは続けて、素晴らしい祝福の挨拶をルツに送ります。

ルツ2:12

主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。

ここには「主」という言葉が2回出てきます。1つ目は「主があなたのしたことに報いてくださるように」。皆さんが主のゆえに行っている一つひとつの行いに、主は必ず報いてくださいます。2つ目は「主から豊かな報いがあるように」。これはヘブライ語で「マスコレト・シュレマ」、つまり「完全な報い」という意味です。皆さんは、一生懸命働いたのに報いを受け取っていないと感じることがあるでしょうか。私たちの主は決してケチなお方ではありません。本来支払うべき額を出し惜しみするのではなく、むしろ2倍、3倍、いや1000倍にして報いてくださるお方です。主が皆さんに、一円の未払いもない完全な報いを与えてくださいます。

この祝福に対して、ルツはこう答えました。

ルツ2:13

彼女は言った。「ご主人様。私はあなたのご厚意にあずかりとう存じます。私はあなたのはしための一人でもありませんのに、あなたは私を慰め、このはしためにねんごろに話しかけてくださったからです。」

「ご厚意にあずかりとう存じます」。ルツは、自分のような者に親しく声をかけ、恵みを施してくださったボアズの愛を、ただ素直に受け取りました。私たちもイエス様に対して同じように答えるだけです。イエス様こそ、私たちにとって真の「買い戻しの権利者」です。

私たちが生きるこの世界は、讃美歌137番に「罪に満ちたる世界」とあるように、罪のゆえに悲惨であり、苦労して働かなければならない場所です。「渡る世間は鬼ばかり」の社会の中で、時には私たち自身も心を鬼にしなければ生きていけないような、厳しい現実に直面します。社会に出た途端、とてつもなく大きな壁を感じることもあるでしょう。

しかし、イエス・キリストの畑の中には、恵みの落ち穂が豊かに落ちています。イエス様は皆さんに語りかけておられます。「私の畑を離れないでいなさい。この教会の交わりの中にしっかりと留まり続けなさい。そして、私があなたのために汲んでおいた命の水を豊かに飲みなさい」と。

どうか皆さんは、このイエス様の交わりの中にしっかりと留まり続け、互いに祝福の挨拶を取り交わしてください。そしてこの厳しい時代の中にあっても、主の恵みを拾い集め、皆さん自身が養われるだけでなく、家族や周りの人々をも主の恵みで満たすことができるように。皆さんがこの時代において、主の恵みによって力強く栄えていくことを、イエス様のお名前によって祝福いたします。

【結論】

私たちが生きる世の中は時に冷たく厳しい場所ですが、イエス・キリストの恵みの畑に避け所を求めるなら、主は私たちの小さな信仰と行いをすべてご存知であり、完全な報いをもって豊かに潤してくださいます。決してその交わりから離れることなく、主が備えられた命の水を飲み、感謝をもってそのご厚意にあずかって歩んでいきましょう。

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