メッセージ - イエスの血(ヘブル9:15-28)
礼拝説教メッセージ音声:イエスの血(ヘブル9:15-28):右クリックで保存
韓国語通訳有
我々はイエスの血と良く言うが、イエスの血はどのような力があるのだろうか。
1、血はいのちそのもの、いのちを買い取る代金である(レビ記17:11)
いのちの代金の支払いは、人のがんばりや修行ではどうにもならず、血によって支払わなくてはならない。
大祭司は血を携えずして至聖所で贖いのつとめが出来ないのは、血がいのちの代金だからであり、それ無しで至聖所に入るのは、代金なしで店に入るようなもので、罰を免れない。
過越の子羊の血は、いのちの代金が支払い済みの領収書であり、もはや死も呪いも罰も寄り付いてはならない、という印である。
2、血は清めの役割を果たす(ヘブル9章14、22節)
旧約の祭儀規定は全て天の模型に過ぎず、自分の血ではない血を携えて年毎に捧げていたが、キリストは天そのものに入られ、ただ一度、ご自身を捧げる事によって完全ないけにえを捧げ、完全な勤めを果たされた。
「まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。」(9:14)
3、血は叫ぶ(創世記4:10、ヘブル12:22-25)
不当に流された血は神に叫び、その者に呪いをもたらす。
イエス様の血は不当に流され、その血の叫びによってイエスの敵は告訴され、糾弾され、呪われているのである。
我々がイエスと共にいるのであれば、イエスの血は神に対して弁護の叫びをするのである。
すなわち、キリストの血を塗るという事は、神の御子キリストの命そのものを塗る、という事であり、
血塗られた者の罪を消毒し、良心を清め、死んだ行いを改めさせ、
滅ぼす者も、呪いも、死も、その血を見て過ぎて去り、
塗られた血は敵に対しては呪いを、神に対しては弁護を叫ぶのである。
このアベルの血よりも優れた事を語りかけるイエスの血(ヘブル12:22-25)を、我々はどうして軽んじることが出来るだろうか。
語っておられる方を拒まぬよう、よくよく注意しなくてはならない。
詳細は音声メッセージで。。。
http://voice.of.christ.yokohama/media/2011/kitoukai/110629k1_iesunoti.mp3
イエスの血にあって守られ、血の全ての効力をまんべんなく享受できる皆さんでありますように。
主イエス・キリストの名前によって祝福します!