メッセージ - 狂っている(使徒26:19-23)
礼拝説教メッセージ音声:狂っている(使徒26:19-23):右クリックで保存
韓国語通訳有
「パウロよ、お前は気が狂っている。博学がお前を狂わせたのだ」(26:24)
自分の経験や認知という井戸の中が世の全てだと思っている人は、認知不能な神のみわざに出くわすと、自分の理解に収まる考えを当てはめ押し付けようとする。
フェストはパウロを「狂っている」として当てはめ、進化論者は生物の成り立ちを「偶然」と当てはめた。
世界はロゴス(御言葉)によって成り立ち、そのロゴスとは定理であり、数式や物理法則以上の理(ことわり)である。
御言葉は現実以上に真実であり、キリストは人間が生きている以上に「生きて」おられる。
それを人が理解できないのは、私達の生きている現実があまりに不真実なため、真実のほうが逆に狂気に見えるのだ。
真実なるお方と出会って交わる時、頭ではどうしても理解できなかった事も、実体験として知るようになる。
パウロが弁明の場に及んでキリストしか伝えないのは、狂っているからではなく、その真理を伝えずにはいられないほどの衝動があるからだ。
「私が神に祈りたいのは、ただ王だけではなく、今日私の話を聞いている人々がことごとく、私のようになることなのです。−この鎖だけは別ですが。」(29節)
死刑を求刑されている被告人が、裁判官や告訴人、列席の弁護士や傍聴席の皆に向かって「私のようになる事を願っている」と言うのは、尋常ではなく見えるかもしれないが、それがパウロの本心である。
キリストの愛の広さ高さ深さを知れば知るほど、自分の事はどうでも良くなり、キリストこそ全てとなって来る。
パウロはもはや、自分が訴えられている状況さえも、この素晴らしいお方を伝えるための道具としてさらに多くの者達に福音を伝えたい程、キリストの素晴らしさを知っているのだ。
主はそのような者を祝福し、世において必要な物は全て備えられ、来るべき世において栄冠を勝ち取るための良き行いも全て用意されておられるのである。
このキリストの愛の広さ高さ深さをますます知る皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!